THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ベン・イズ・バック』&『マネー・モンスター』

 

●『ベン・イズ・バック』

 

 

 わたしの本名と主人公の男の子の名前が同じなために、劇場での公開当時から気になっていた。また、「ジュリア・ロバーツってCDプレイヤーみたいな口しているよな」という(たしか村上春樹太田光が言っていた)悪口を若い頃に聞いて以来、ジュリア・ロバーツの印象が異様に強くて、彼女が出演している映画はついつい観たくなる。

 お話としてはありがちで、オピオイド中毒の少年ベンジャミン(ルーカス・ジズ)がリハビリ施設から抜け出して実家に戻ってくるんだけど母親のジュリア・ロバーツ以外は彼のことをまったく中毒せず、そして案の定ベンジャミンはまたオピオイドに手を出しそうになったりならなかったり、そのうち彼がヤク中時代につるんでいた悪友がちょっかい出してきたり悪いギャングが犬を盗んで脅したりして……みたいな。

『チェリー』もそうだったけれど、薬中が主人公の映画はとにかく暗くて、救いのない内容になりがちだ。それは薬物中毒というものはいちどハマったら脱出困難であり自分だけでなく家族や大切な人も巻き込んで破滅させていく救いがたい事象である、ということを作品に忠実に反映するためだろう。むしろ、ヘタに救いを描いたりハッピーエンディングにしてしまうと、薬物中毒の深刻さを軽んじるものとして団体の人とかから怒られてしまうし、作品の批評性とか志とかも下がってしまうはずだ。……とはいえ、救いのない映画ってやっぱりあんまり面白くない。『ベン・イズ・バック』にはそこそこの救いがあるのだが、それでも、薬物中毒を題材にしたテーマに特有の陰鬱さとテンポの悪さが邪魔をしており、まあ要するに面白い映画ではなかった(それがわかっていたから公開当時はスルーしたのだ)。

 とはいえジュリア・ロバーツの演技はすごいものだし、ベンジャミンのダメ息子っぷりの描き方も性格面でのディティールが凝っていて優れている(冗談めかして隠しもっていたオピオイドを母親に見せちゃうシーンのヘラヘラっぷりや腑抜けっぷりは実にすごい)。ジュリア・ロバーツが息子を怒るシーンが出てくるたびに、自分が母親に怒られているような気持ちになってビクビクしたり申し訳なくなってしまったりしちゃった。ジュリア・ロバーツ以外のほぼ全登場人物がベンジャミンに「薬物中毒が治るわけねえだろ、また面倒おこして余計なことするよコイツ」という目線を向けているのもリアルだし、盗まれた犬を取り戻そうとするベンジャミンに対してビビったジュリア・ロバーツが放つ「もともと保護犬なんだし、数年間も育ててあげたんだから十分に善いことしたわ、もう犬は諦めましょ」というセリフもひどいもんだけど笑っちゃう。一方で、過去にベンジャミンにオピオイドを処方して薬物中毒になるきっかけを作った老医師に対して「死ねばいいのに」とジュリア・ロバーツが言い放つシーンはあんまり気分が良くなかった。中毒になるのには本人の責任もあるでしょ。

 

●『マネー・モンスター』

 

 

 ジュリア・ロバーツつながりで、当時に劇場で観た『マネー・モンスター』も再視聴。

 この映画は世評はあまり芳しくないようだが、わたしはかなりお気に入りの作品だ。

 なんといっても、主人公のジョージ・クルーニーがハマり役。世界一セクシーな男であり、貫禄があって責任感に溢れるリーダーを演じているイメージの強いジョージ・クルーニーだが、軽薄で無責任なTVキャスターの役も実によくマッチしている。そんな彼が、爆破テロ犯と半ばストックホルム症候群みたいな状態になりながらも徐々に報道人としての責任感に目覚めていき、徐々に我々の知っているジョージ・クルーニーへと戻っていって、最終的には投資会社の社長の詐欺行為を暴いて公共の電波で問い詰めるに至る、という流れもドラマチックでよい。サスペンス要素とヒューマンドラマ要素が衝突することなく絶妙のバランスでマッチしていて、さらには資本主義批判や投資番組のパロディも詰め込まれていてと、90分の上映時間のわりにはかなり満足度が高くて充実した作品なのだ。『嘘悔い』のマキャベリゲーム編(「闇のみのもんた」が登場する編)が好きな人には、特におすすめできる。

 準主人公のジュリア・ロバーツも、ジョージ・クルーニーのような軽薄さはなく責任感と人情と情熱のあるしっかりものな女性プロデューサーの役柄にベストマッチしている。『ベン・イズ・バック』の母親役もそうだけど、真面目で意志も強いが情にはもろくて優しいという、最近の浅薄な「強い女」像とはちがう伝統的な意味での「女性的な強さ」を発揮する役が実に似合っている。

 そして、主人公のTVキャスターだけでなく、カメラマンなど彼を支えるチームがキャスターの改心に触発されて報道陣の使命を追及するようになっていくという、「チームもの」や「仕事もの」としてのドラマや感動も織り込まれていく。投資会社の女性副社長が上司の汚職を暴くためにジュリア・ロバーツに協力して世界中のプログラマーに連絡するくだりも、やや甘ったるいとはいえ、世界観に広さや深みを足す効果があって優れている。

 

 おそらく、この作品が批判される原因は、テロ行為とそれによるストックホルム症候群を肯定的に描いている点にあるだろう。現代的にはモラルに欠けた、昔風の作品とはいえる。とはいえ、昔ながらのモラルって、物語のドラマ性という点では現代のそれよりもずっと吸引力やダイナミックさがあるものだ。

 TVキャスターの「命の値段」が付けられるくだりの緊張感と(負の)カタルシスは、中盤の白眉となる。その後の、撃たれないようにするためにテロ犯とTVキャスターがくっついて移動するシーンもなんだか感動的だ。もうちょっと多くの人に観られて、評価されてもいい作品のひとつであるだろう。

『007/スペクター』

 

 

theeigadiary.hatenablog.com

 

 

 上の記事を書いたときには『スカイフォール』のことをそんなに評価していなかったけれど、『スペクター』を観る前に視返したところ、やっぱり面白かった。「これやるならMCUでいいだろ」という気持ちはまだ持っているものの、ハビエル・バルデム演じるシルヴァのキャラクター性はやはり特出している。長尺のセリフをすらすらと喋りながら縛られているボンドのほうに徐々に接近してくる初登場シーンの演出は見事なものだし、クライマックスに至るまでメタっぽいセリフを吐き続けるところには批評性も感じる。また、地下道を爆発させて電車をボンドに激突させようとする場面には迫力もあるし、ヤバい事態になっても皮肉を効かせながらベン・ウィショー演じるQとユーモラスな会話をするダニエル・クレイグジェームズ・ボンドの魅力も引き立てられている。

 

 とはいえ、世評の悪い『スペクター』についても、わたしは『スカイフォール』と同じくらい魅力的であると思う。たしかに満を辞して登場した悪役のスペクターは、せっかくクリストフ・ヴァルツという名優を使っているのに、シルヴァに比べるとずっと魅力に欠けるキャラクターだ。なんかもうただの典型的なボス敵でしかないし、そんな彼がボンドと義理の兄弟であることが判明したうえに過去三作の出来事もすべてスペクターが仕組んだことだと言われたら、世界があまりにも狭くなって実にガッカリ感が漂う。ボンドを拷問するシーンの小物っぽさもひどい(ボンドが猫に挨拶をして余裕を示すくだりは魅力的だけれど)。長テーブルでの会議シーンで顔が見えない状態でもってまわったセリフを吐くところには悪役としての貫禄が感じられるけれど。

 しかし、冒頭においてQに対して無言のパワハラをボンドがおこなうシーンや、前半におけるデビッド・バウティスタとのカーチェイスなど、前作以上にユーモラスでコメディあふれるシーンがたっぷりなところは実に楽しい。つまり、『スペクター』は『スカイフォール』と比べて、あえて「軽め」に作られているのだ。砂漠に停車した電車から降りたボンドとヒロインをロールスロイスがノタノタと迎えにくるシュールなシーンとか、研究所が馬鹿みたいに大爆発してボンドとヒロインがポカーンとするシーンにも、それが示されている。だから、ボス敵が描き割り的でしょーもない存在であることも意図的なものかもしれない。

 その一方で、オープニングにおけるメキシコの「死者の日」を背景にした追跡シーンは実に見事であり何年経っても印象に残る。爆発する建物からクルーザーで脱出するシーンなど、キメるところはきちんとキメてくれるところも好印象。

 人妻のモニカ・ベルッチもいいけど、ヒロインのレア・セドゥも実にヨーロピアンで綺麗で可愛らしくて魅力的。『カジノ・ロワイヤル』のエヴァ・グリーンのときと同じく、気が付いたらボンドがゾッコンのメロメロになっており彼女のためにガンガン命を賭けられるようになっているところには「いつの間にそんなに惚れちゃったの?」と思ってポカンとするところもあるんだけれど。でもわたしもレア・セドゥとしばらく一緒にいたら惚れちゃうと思う。

 

『初恋』+『回路』+『プラットフォーム』

 

●『初恋』

 

 

 

 公開当初は評判が実によく、カンヌでもなんか評価されていたらしいからけっこう期待して観たのだけれど、ぜんぜんダメだった。昔のタランティーノ的な内容であるけれどあちらを100点としたら30点という感じ。画面の暗さ、何言っているかよく聞き取れないセリフ、ヘラヘラしたり仏頂面だったり叫んでばっかりでバリエーションのない演技、ダラダラと間延びしてメリハリなく進行するくせに大事な場面でギャグやアニメ演出を入れるバランス感覚のなさなどなど、日本映画の悪いところがテンコ盛り。これがカンヌで評価されたとしたら、日本人がバカにされていて日本映画に何も期待されていないということでしかないと思う。

 ベッキーのキャラクターがやたらと評価されているが、「大暴れ」というほどには暴れもしないし、ひたすら叫んで口汚い言葉ばっかりなセリフは言わされている感が強い。このクオリティの「強い女」すら日本映画ではなかなか描かれていないから待望されていたということかもしれないけど、もうちょっと高い望みを持ってもいいと思う。

『初恋』というタイトルのくせに窪田正孝演じる主人公と小西桜子演じるヤク中ヒロインの恋愛に全然尺が割かれておらず、全く印象に残らないのもダメダメ。元ネタにしているであろう『トゥルー・ロマンス』や『ベイビー・ドライバー』を見習ってほしい。そもそも主人公の出番自体が少なすぎるし、占い師のくだりしか印象に残らない。

 純主人公的なポジションを演じる染谷将太だけは魅力的だが、彼のキャラクターも、なーんかコーエン兄弟作品にいそうな感じ。そう、とにかくありとあらゆる点において、10年とか20年とか前の映画の劣化版でしかないのだ。

 

●『回路』

 

 

 黒澤清といえばホラー風味に不気味で不穏でホラーっぽい作品は撮るけれど実際には「恐怖」とはやや違うものを描こうとするし怖くもない……と思って観たら前半はふつうにホラー映画でこわかった。ビビっちゃった。

 時代性もあってエヴァンゲリオンを連想させるような雰囲気が漂っており、ホラー作品な前半から「セカイ系」的な後半への飛躍が評価の理由だろう。思わせぶり感やすごいものを描いてますよ感もやや強すぎるし、現代で同じことをやられると失笑ものだけれど、平成当時の雰囲気とは実にマッチしているし、やはりオリジナリティは凄くて悪くない。『アカルイミライ』のこともいろいろと思い出した。

 登場人物たちのコミュニケーションの演出も独特で印象的。とくに加藤晴彦が演じる大学生のパートは、大学図書館やパソコン室の描き方のノスタルジアがすごくて、自分の学生時代を思い出してセンチメンタルな気持ちになった。ノースリーブな先輩女子を演じる小雪も実に魅力的で、惚れない男はまずいないだろう。一方で麻生久美子が演じる会社員のパートは、ホラー要素は強いものの面白みは少ない。

 閉鎖的な人間関係のなかで次々と人が死んでいくホラーでありながら、冒頭とエンディングで「船」が描かれることで希望や開放が演出されている構成も実に独特だ。もちろん、後味はまったく悪くなく、単なる幽霊ホラーではなくなにかしらの「映画」というものを観た気にさせてくれる。

 

●『プラットフォーム』

 

 

 

 スペイン語はわからないので英語吹き替えで観たかったけれどなかったから日本語で視聴。けれども、寓話的なストーリーや世界観であるためか、日本語吹き替えも予想外にマッチしていた。

 

 この手の映画でエンディングがはっきりとせずに思わせぶりに終わるのはかなりのマイナス点であり、それまでに描かれてきた色々なトラブルやそれに対処する主人公たちの苦悩や苦闘もなかったことにしてしまい台無しになる。しかし、この手の映画で、はっきりと何かを示したり解決したりするエンディングはなかなか描かれないことも事実だ。そういう点ではシャマラン監督の『オールド』は実にエラかった。

 

 とはいえ、垂直に連なる200階の個室のそれぞれに二人組が監禁されていて、垂直に運ばれていくフルコースメニューを各階層の人が食していくことで上の階層の人は食事に困らないが下の階層の人は飢え死にのリスクが高まっていく、というひとつの設定だけで一本の映画を撮れているのは評価点。そこで起きるトラブルや人間ドラマは、食人をめぐるいざこざも含めてほとんどは予想の範囲であるが、クライマックスに主人公とアフリカ系の人が「下の人に食事を残すために、フルコースと一緒に自分たちも下の階層に降っていき、食事を取り分けていく」という決断をするところは悪くない。

 エゴがむき出しになる設定のなかで善性が煌めいて「協力」や「倫理」が成立するか否か、というドラマはデスゲームものとして定番であるが、終わり方は満足いかないとはいえそのドラマに挑戦するところはそれなりに評価できる。『カイジ』を思い出したりもした。まあ結局のところは中途半端な作品ではあるんだけれど、ちょっと考えさせられるところもありちょっとワクワクさせられるところもある上質なデスゲーム映画として鑑賞するぶんにはよい作品だ。

 

おまけ

 

●スコア

 

 

 

 ロバート・デ・ニーロエドワード・ノートンのW主役で、さらにはマーロン・ブランドまで出ている豪華作品なのに、かなり凡庸な内容。エドワード・ノートンっていつも二重人格か障害者かそれを偽装する役をやっているんだなと思った。

 

●『007/トゥモロー・ネバー・ダイ

 

 

 90年代らしいケバケバしさと安っぽさと軽薄さが全開。敵役が「智」と「暴」に分かれているのは007の定番であるが、「智」がイエロージャーナリズムを煽るメディア王であるところは新しい……と思いながらも、ふつうに兵隊を持っており実力行使で007を始末しようとするところはどうかとおもう。また、「暴」担当の人はロックミュージシャンみたいな格好をしていてあまりにも貫禄がなかった

『マスカレード・ホテル』+『検察側の罪人』

 

●『マスカレード・ホテル』

 

 

 予告がいかにもつまらなさそうなのでまったく観る気はなかったんだけれど、ネットフリックスに表示されたキムタクのドアップの顔に惹かれるものがあり、いざ観てみたら存外におもしろかった。

 木村拓哉が演じる刑事と長澤まさみ演じるホテルマンが、それぞれの職業に基づく経験や見識と倫理に基づいて客と接していき、どちらもそれぞれに長所と欠点がある……というバランスの取れた描き方は見事なもの。「刑事もの」と「お仕事もの」のミックスに成功しているのだ。ネットは労働者の権利ばかりが騒がれて「過剰なサービスの存在しない社会が理想だ」みたいなことばっかり言われるが、そんな風潮はどこ吹く風と言わんばかりに「お客様は神様です」というホテルマンとしての職業倫理を強調するのも堂々としていて好感が抱ける(迷惑客には裏でこっそり対処するという強かさが同時に描かれているところもいい)。

 キムタクは刑事になってもヤンキー気質で、長澤まさみに対しても「マンスプレイニング」的な態度を取りまくる。昨今の欧米映画だと一発でNG判定が出て総スカンを喰らい興行的に失敗しちゃうだろうけれど、でもそれがキムタクの魅力だし、2020年代になってもそんなキムタクの魅力をスクリーンに映せるというのは欧米映画に対比したところの日本映画の貴重な利点であって懐の深さだ。だって実際に刑事なんてみんな(女刑事ですら)マンスプレイニング的な態度とってくるだろうし、現場のたたき上げの人間なんてそんなものであって、それならそれをしっかり描くのがリアリティというものであるのだ。

 

 とはいえ、珍客や迷惑客たちが繰り広げる個々のエピソードはまったくリアリティがなく、過剰で書き割り的であって、さほどおもしろいものではない(俗情に阿るエンタメ小説家としての東野圭吾の悪いところが出ていると思う)。

 ミステリー部分の真相には意外性があるが、でも犯人の動機はしょうもないし「完璧主義」に根ざしているとされる交換殺人的なトリックや仕掛けがどう考えても逆効果でアホみたいなので白けるところもある。

 

●『検察側の罪人

 

 

 

 

『マスカレード・ホテル』でキムタクにハマったので、こちらも鑑賞。

 過剰に正義を追い求める主人公のキャラクター性は、独善性や横柄さに相変わらずのマンスプレ気質など、いずれも木村拓哉にばっちりとハマっている。そんな彼がはじめて自分で手を汚すときには慌ててしまい情けない姿を晒すところや、計画や策略にけっこう抜け目があってグダグダであるところなど、人間味も強く描かれているあたりにがバランス感覚がある。

 ただし、キムタクを前半では慕い後半では疑う後輩検事を演じる二宮和也はお世辞にもいい役者だとはいえないし、彼が出てくるシーンではだいたい白けてしまう。吉高由里子が演じる女性事務官のキャラクターもなんかアメリカ映画なら普通に成立するけど日本でやられると「こんな女がいてたまるか」となってしまう。松重豊が演じるブローカーがおっさんのくせに「あなたの物語の続きを見てみたいのですよ」とかなんとか漫画みたいなセリフを吐くところも小っ恥ずかしい。

 過去の殺人事件の容疑者・松倉に対する主人公の策略と、主人公の友人と右翼政治家や軍国主義がどうこうで「白骨街道」がああだこうだみたいな政治劇や政治メッセージの部分がまったく噛み合っていないあたり、映画としては明確に失敗していると判断できるだろう(世評が悪いのもこのためだ)。とはいえ、もともと日本映画に大それたことは期待していないし、「まあ原作だったらちゃんと描けていたんだろうな」と察せられるから別にいいと思う。

 後輩検事と女性事務官に追及されそうになったキムタクが事前に用意していたウソや反撃手段を持ち出していけしゃあしゃあとドヤ顔でやりかえすシーンがいちばんおもしろかった。

『クーリエ:最高機密の運び屋』

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 ついつい『ブリッジ・オブ・スパイ』を連想してしまう設定だが、予想以上に内容は『ブリッジ・オブ・スパイ』に近い。設定だけでなく、自由主義食とソ連の人間との「男の友情」やブロマンス、「信念」といったテーマが似ているのだ。

 この作品の最大の感動ポイントは、収容所に入れられてしまったグレヴィル(ベネディクト・カンバーバッチ)がオレヴ・ペンコフスキー(メラーブ・ニニッゼ)の手を握りながら「君の決意は無駄じゃなかった、君はやり遂げたんだ」と伝えるシーンだろう。やはり『ブリッジ・オブ・スパイ』でトム・ハンクスマーク・ライランスから「不屈の男」と呼ばれるシーンを連想してしまうが、讃える側と讃えられる側の陣営の東西が入れ替わっているところがポイントであるだろう。また、『クーリエ』のほうでは男たちは収容所に入れられて頭をそられて心身ともにボロボロになっているからこそ、そんななかでも友情を忘れず信念を讃えるカンバーバッチの姿にグッとくるものがあるのだ。

 

 お高くとまっていたりユーモラスな役をやったりする印象が強いベネディクト・カンバーバッチであるが、この映画の前半ではふつうのセールスマンという「庶民」を、そして映画の後半では友情のために自己犠牲を厭わない「熱い男」を、見事に演じきっている。いままでは「個性的な顔つきのおかげでシャーロック好きの女の子にウケているだけデショ」と若干妬みつつそんなにカンバーバッチのことは評価していなかったんだけれど、『クーリエ』を観たら褒めざるを得ない。すごい俳優だ。

 準主役であるメラーブ・ニニッゼも魅力的だ。使命感を胸に秘めつつ祖国を裏切り続ける役柄なので基本的に常に顔が緊張しており、表情のパターンも乏しい役柄なのだが、眼力がすごいおかげで存在感を発揮し続けている。そして、そんな彼が珍しく表情を崩すダンスシーンでの笑顔も印象的だし、その笑顔が後半の回想シーンで効いてくるのがよい。

「眼力」といえば、CIAの諜報員エミリー・ドノヴァンを演じるレイチェル・ブロズナハンもなかなかのもの。彼女のまん丸い青い目がスクリーンいっぱいに映し出されるシーンが多々あり、いやでも印象に残る。女性らしい同情心や真面目さに溢れながらそれが空回りしてしまうエミリーのキャラクター性も実話ならではという感じであるが、ブロズナハンは役柄にマッチしていた。

 

 観る前は「ずっと緊張感が漂っていたり重たかったりしたらイヤだな」と思っていたけれど、サスペンスがあふれるシーンや収容所に入れられるこおとによる辛さや苦しさが強調されるシーンは後半にとっておいてあり、前半はテンポよくストーリーが進んでいくところも素晴らしい。諜報員の事務所のテーブルがどんどん増えていくくだりにはワクワク感があるし、ロシアの人たちがイギリスの煌びやかな消費文明を毒付きながらも楽しんでしまうシーンは定番ながらもおもしろいものだ。

 最初にグレヴィルが電話を受けるシーンにて二つの部屋を同時に写す撮影の仕方も印象的であり、「日常」の象徴であるグレヴィルの奥さんを演じるジェシー・バックリーまさに「庶民」という感じでスパイスが効いている。グレヴィルが過去に浮気をしていたという事実が奥さんに疑惑を抱かせるくだりもリアリティがあるし、だからこそ奥さんが収容所を訪れるシーンの感動にもつながるわけだ。

「実話」であることに甘えず、さまざまな点で工夫を効かすことで、観客を最初から最後まで楽しませることに成功した映画であるといえるだろう。

 

 

 ……とはいえ、やっぱり『ブリッジ・オブ・スパイ』の後発であるという事実は無視できない。そして『ブリッジ・オブ・スパイ』が100点だとすれば、『クーリエ:最高機密の運び屋』は90点だ。『ブリッジ・オブ・スパイ』にあったほどのパワーやドラマチック性には、惜しいところで欠けているためである。90点でもすごいもんだけど。

『レミニセンス』

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インセプション』を連想させるような予告が話題であるが、過去にとらわれるかどうかというエンディングはたしかに『インセプション』を想起させる。そして、『インセプション』の最大の感動はレオナルド・ディカプリオ演じる主人公が夢(=亡き妻との過去)の世界に決別して現実(=現在)を生きる選択をしたことをふまえると、『レミニセンス』の主人公のヒュー・ジャックマンが現在を捨てて過去を選択することは、「こういうオチもあるのね」とは思えるけど感動に欠ける。作品としてのメッセージ性や志も、かなり低いところまで落ちてしまったように思えるのだ。

 

 とはいえ、チームによるミッションものであった『インセプション』とは違い、この作品は(タンディ・ニュートンという相棒も一応いるけど)主人公がひとりで孤独に真相を追い求めるハードボイルドな探偵ものだ。そしてハードボイルド映画らしく、レベッカ・ファーガソンというヒロインに対するロマンチシズムはこれでもかというくらいにたっぷり描かれている(そんなに美人だとも思えないし、「そこまで引きずることあるかぁ?」って思っちゃったんだけれど、それを言い出したらこの作品に限らずハードボイルド探偵映画はだいたい成立しなくなってしまう)。最近のハードボイルドものといえば『マザーレス・ブルックリン』だけれど、ロマンスの要素が弱めなあちらに比べたら、『レミニセンス』は近未来SFという特異な設定ながらハードボイルドの王道を2021年に貫徹しているという点では評価に値するだろう。すくなくとも気骨が感じられる作品ではある。ハードボイルド探偵の主人公は情けなく女を追い求めてチンピラに暴力を振るわれて迂闊なミスから大ピンチに陥るのが定番であり、この作品でもそういった要素がコテコテに盛り込んであるが、ヒュー・ジャックマンのムチムチマッチョな体系と、意外と甘ったるくて情けない顔立ちも、この作品の主人公としては実にふさわしい。

 とはいえ、ストーリーの単調さや真相のしょうもなさ、ボス敵のショボさなど、ハードボイルド作品に特有の欠点もしっかり残してしまっている点は困りもの。せっかくの近未来SF設定なんだから、それをフルに活かして欠点を改善するくらいの工夫はしてほしかった。脳がイカれてしまい夫との過去を再現しようとしつづける老婆の狂気を描くシーンはよかったし、黒幕の男子もちょっと気の毒で印象的だったけれど。

 

 監督が女性であることにはけっこう驚いた。いかにも男性的な理想とロマンを描いているし、ヒロインがけっきょくは善人であるという世界観の甘ったるさも男性監督のそれのように思えたのだ。とくに、主人公が悪役の記憶を覗くことを前提にした「告白」シーンは胸ヤケがするくらい甘ったるい。でもまあ、ちょっとロマンチシズムが露骨過ぎて今の男性監督には恥ずかしくて描けなくて、女性監督だからこそ「男ってバカね~」と思いつつ描けたのかもしれない。SNSの感想を観ると、ヒュー・ジャックマンを「愛でる」という観点で観ている女性も多いようだ。

 しかし、ドラマ畑出身の監督であるせいか、セリフによる説明が多すぎたと思う。なんでもかんでも説明してしまうし、冒頭も終わりもひたすらクドく描写されるので、ハードボイルド映画としての余韻が感じられないというところもあった。

 

 

 

『スウィング・キッズ』+『EXIT』+『エクストリーム・ジョブ』

●『スウィング・キッズ」

 

 

 

 朝鮮戦争時の捕虜収容所を舞台としており、タップダンスを通じて北朝鮮兵士のロ・ギス(D.O.)と米軍の黒人兵士のジャクソン(ジャレッド・グライムス)が友情を培っていき、ほかにも中国人兵士や女性通訳士などもタップダンスチームに参加して仲良くなってあれこれと関係を深めていくが、最終的には収容所内で暴動とその鎮圧が起こってジャクソン以外はみーんな死んじゃいます、というお話。

 前半は実にテンポがよく、自由主義嫌いのギスがタップンダンスの魅力には逆らえずついつい絆されていく流れの描写も丁寧だし、個性の強い脇役たちも魅力的だ。白人兵士たちの「ダンスバトル」のシーンでは、戦時を舞台にしたファンタジー人情ものとしてのこの作品の魅力が最高潮に達する。しかし、ダンスバトルで負けた白人兵士たちがけっきょく暴力に訴える流れを皮切りにして、乗り越えられないイデオロギー対立や分断や憎しみなどの「リアル」が顔を出していく。……だけれど、韓国映画らしく、この「リアル」なバイオレンスの描写が過剰なくせに雑で、リアリティをまったく感じられない。クライマックスの「悲劇」も、無理矢理につくられたものとしか思えないのだ。それに対する救済の描写もなくて「なんやねん」となる。こんなんだったらお花畑なファンタジーに徹していた方がはるかに魅力的な作品になっていただろう。

 もちろん、最初から最後までファンタジーとリアリティの配分が絶妙だった『ジョジョ・ラビット』には及ぶべくもない。比較するのもおこがましい。

 リアリティを描こうとしているくせに「死亡フラグ」をネタにしたコメディタッチで死亡シーンが描かれるのは頭がおかしいとしか言いようがないし、冒頭でギスが踊るコサックダンスがCGで描かれているのも作品のメインモチーフである「ダンス」の価値をしょっぱなから貶めていて「ナメとんのか?」という感じだ。『パラサイト:半地下の家族』もそうだけど、韓国映画って、傑作に必要とされるはずの洗練や徳や品性をかなぐり捨てがたる悪癖が強すぎると思う。

 

●『EXIT』

 

EXIT(字幕版)

EXIT(字幕版)

  • チョ・ジョンソク
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 毒ガスであふれる高層ビルから、ニートの青年(ヨンナム)とホテルウーマンのウィジュ(イム・ユナ)が脱出をはかる、サバイバルもの。

 序盤はパニック映画としての要素もあるが、主役カップル以外は早々に救出されるし、一般市民はともかく主人公の関係者は死んだりしない。明るくて前向きでコメディ・タッチな雰囲気が常にただよう、ゆるい感じの作品だ。

 コメディ描写はありきたりで指して面白くないし、クライマックスの展開もありがちで予想が付くものだが、まあ見ていネガティブな感情は抱かない。『#生きている』といい、ニートの青年が主人公になるというのはアメリカ映画ではなかなか見られなくて、韓国映画と日本映画の妙な共通点だと思う。マンガ的な感じがするね。

 

●『エクストリーム・ジョブ』

 

 

 

 麻薬捜査班の落ちこぼれ五人組が犯罪現場を特定するためにフライドチキン店をはじめたらそれが繁盛してしまい……というコメディなポリス映画。

 ギャグはコテコテであるし、アメリカ映画っぽさもやや強すぎるが(ハリウッドリメイクが決定しているらしいが納得だ)、なかなか面白い。導入の設定のおもしろさだけなく、主役であるおっさんのコ・サンギ (リュ・スンリョン)をはじめとして捜査官五人組のキャラも敵役のキャラもしっかり立っている。テーマソングもテンションが上がるし、クライマックスの格闘シーンにて落ちこぼれ五人組が格闘面ではエリートであることが判明する流れも実に爽快で楽しい(おっさんのしょぼくれっぷりの演技が見事で、すっかり騙されてしまった)。

 日本語吹き替えがあったので、それで観たんだけれど、ところどころ違和感を抱きつつも、抵抗感なく観れた。ほかの二作よりも好印象が抱けたのも吹き替えによりストレスや負担なく観れたということがあるだろう。