THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『カリスマ』+『ボーン・コレクター』+『マンディ/地獄のロード・ウォリアー』+『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』+『シャーロック・ホームズ』

 

 つまらなかった映画シリーズ。

 

●『カリスマ』

 

 

 

 もともとシュールさがウリの黒沢清作品ではあるが、『カリスマ』ではホラー要素を薄めてコメディ要素が薄められているためにシュールさが増し過ぎており、そのくせ絵面は地味なので、なんだか惹かれるところがない作品になってしまっている。「カリスマ」の木をめぐって登場人物たちが繰り広げる議論はまあまあ興味深いし、陽気な音楽が印象に残ったりはするのだけれど。しかし『回路』と続けてみると黒沢作品の「思わせぶり」感もなんだか腹が立ってくるな。

 

●『ボーン・コレクター

 

 

 

デンゼル・ワシントン演じる主人公の、ハンニバル・レクターを彷彿とさせるような「安楽椅子探偵」的な設定はそこそこ面白い(レクター博士と違ってこちらはちゃんとした善人だけど)。主人公の身の回りを世話する黒人看護師さんも魅力的なキャラだし(だからこそ死んでしまうのが残念だ)、なにより、アンジェリーナ・ジョリー演じる女性警官は「善性」や「女性としての強さ」がしっかり伝わってきて実に印象的だ。『チェンジリング』といい『モンタナの目撃者』といい、アンジーは善と強さを体現する女性を演じるにあたってはピカイチである。
しかしながら、作品としては1990年代後半~2000年代前半に特有の過剰さや安っぽさが全面に出ていて、殺害シーンの絵面も猟奇的なわりにインパクトには薄くて印象に残らず、犯人も主人公に対する私怨で行動するしょぼい人間であるし、推理ものとしてのおもしろさもなくて、ダメダメ。原作は当時にベストセラーになっていたはずだけど、どんな感じなんだろう。

 

●『マンディ/地獄のロード・ウォリアー』

 

 

時代遅れの「カルト的名作」になることを狙ったかのような、そしてその狙いがすっぽりと外れた作品。ゴミ。前半がかったるいくせいに主人公が復讐を始める後半も爽快感はそれほどでもなく、サイケデリックな色彩や演出は押しつけがましくて鬱陶しい。ニコラス・ケイジが出ているからいいってもんじゃないでしょう。

 

●『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ

 

 

 

敵方の設定は凝っているし導入部分にも惹きこまれるしで、007シリーズ内の凡作と比べたら観るべきところはあるかもしれないが、やはり1990年代らしい「安っぽさ」や「軽薄さ」が足を引っ張っている。でもヒロインが思いっきり敵に回り、そして同情の余地もガッツリあるという複雑な設定、魅力的な脇役たちなど、現代のクオリティでリメイクすれば結構な名作になる可能性も秘めていると思った。

 

●『シャーロック・ホームズ

 

 

 

ガイ・リッチーは好きな監督だし、続編の『シャドウ・ゲーム』は公開当時に映画館に観に行ってそこそこ楽しんだ記憶があるけれど、この作品はどうにもダメ。ロバート・ダウニー・ジュニアはアイアンマンのときと似たような演技だけどあっちのほうがずっとキャラが深くて濃いし、ヒロインのレイチェル・マクアダムスもあんまり美人ではないし、ワトソン役のジュード・ロウはパッとしないし、敵役のアンディ・ガルシアはあんまり怖くない。アクションとしてもミステリーとしても中途半端だし、当時のロンドンを再現したのかもしれないがモノクロで冷たい感じの画面もどうにもワクワクしないのだ。

 

『容疑者Xの献身』&『舟を編む』

●『容疑者Xの献身

 

 

 

 

 ずっと前にネットで情報を見たか友人からネタバレされたかでメインのトリックは知っていたんだけれど、そこを前もって知っていても特に面白さに支障がないタイプの映画で、そこはよかった。

 要するに、北村一輝が演じる数学者・草薙の純粋な"献身"に惚れ惚れしつつ(悔しいけどこのタイトルは作品の魅力を実に的確に伝えていて素晴らしいと思う)、主人公の物理学者を演じる福山雅治のイケメンっぷりにも惚れ惚れして、ついでに柴崎コウ演じる女性刑事のそこそこの可愛さにもほんわかしておけばいい映画であるのだ(松雪泰子に関しては作中で美人と連呼されるせいで「そんな美人じゃないでしょ」という違和感が先立ってしまった)。

 

ja.wikipedia.org

 

 Wikipediaによると『メインの犯行とは別個の、道義的には遥かに悪質な行為がトリックの手段として淡々と描かれながら「感動的なラスト」と評されたことについても議論となった』そうだが、これは、作品を見る前にトリックだけを知っていた状態のわたしも「ひでえ作品だな」と思っていた。しかし、いざ観てみると、「純愛」や「感動」の描き方や演出がなかなか上手で、「まあ騙されてやってもいいかな」というくらいには思えるようになった。

「主人公が数学者に殺されちゃうでしょ」と思わせてくる雪山でのミスリードは尺稼ぎという雰囲気がありつつもなかなかスリリング。元ホステスのシングルマザーとその娘が住む部屋の散らかりっぷりとか狭さはなんか「貧乏」を表現できている感があっていい。福山雅治が焚き火をしている大学構内はなんか妙に懐かしくてノスタルジックだった。また、そのほかの画面についても、平成が舞台であるはずなのに昭和を思い出せるくらいにノスタルジックな風景が連続しており、それが作品の魅力となっているように思える。

 

●『舟を編む

 

 

 

 主人公の松田龍平は苦手だけど、オダギリジョーはかなりキャラクターも見た目もかなり魅力的だった。加藤剛はなんだか役所広司に似ていると思った。宮崎あおいは美人だけれど「幼さ」が不安になるくらいに残っている、ちょっと特殊な見た目をしている女性だと思う。

 

 話としては、「辞書を編纂する」という行為やその背景にある「出版文化」さらには「書籍」「本」「活字」に対するファンタジーフェティシズムノスタルジアありきで、それを相対化したり脱構築したりする視点がほぼ皆無であるため、単調で甘ったるく薄っぺらい。主人公の苗字がマジメなところも「ふざけているのか」って感じだ。

 アメリカ人はなんだかんだ言ってフェティシズムノスタルジアを直球で描くことには「照れ」を感じるから、『舟を編む』がアメリカで撮影されていたら、インターネットの時代では辞書が役に立たなくなったり主人公たちの好意がそもそも全く無意味であったり、主人公がマジメの皮を被った思考停止野郎や近視眼野郎であることを示唆するシーンを入れたりするなど、ズラしやハズしによる相対化を必ずや付けくわえていたことだろう。

『マインド・ハンター』を観ていて気付いたことの一つは、「お仕事もの」作品が傑作になるためには「仕事」に対するニヒルで冷徹な視点が不可欠である、ということだ。本人の人生がかかっていたり、狭い視点では壮大な「価値」を含むかのように見えるものが社会と経済と世間の観点からすれば全くそうではないかもしれない、という洞察へと観客を導いてこそ、作品の深みが増すというものである。

 ところで、三浦しをんといえばBLなイメージがあるけれど、この映画における松田龍平オダギリジョーは誰がどうみてもBLなものであったように思える。宮崎あおいは取ってつけたような存在だったね。しかし編集者連中が料亭でいいもの食っているシーンはなんか「文化」野川に属している人々の無意識の傲慢さがあらわれているようで無性にムカついたな。

 

『クラシック・ホラー・ストーリー』&『ポロライド』

 

●『クラシック・ホラー・ストーリー』

 

www.netflix.com

 

 泥酔しながら飛ばし飛ばしで見たけれど、よくあるホラー映画パロディ映画(「"よくあるホラー映画"のパロディ映画」ではなく、「よくある"ホラー映画のパロディ映画"」)で、内容は覚えていないけどつまんなかったことだけは覚えている。

 

●『ポロライド』

 

 

 

 こちらも後半は泥酔しながら見たけれど、泥酔していない前半の時点であまりにふつうのホラー映画すぎて、ひたすら面白くなかった。どう考えても原因は主人公にあるのに、問い詰められると「わたしのせいじゃないわ」と不服そうにしているシーンはマジで腹立った。正当にも問い詰めた男の子は死んじゃうし。人の良い保安官が死ぬのもイヤ。ホラー描写はフツー、登場人物に個性も魅力もなし、姿をあらわした幽霊はショボい、ひたすら画面が暗くてなに起こっているかよくわかんないし導入から暗すぎてムカつくので惹き込まれない、などなど、なにも良いところなしな映画だった。同じ監督が後に作成した『チャイルド・プレイ』もつまらなかったな。

『ベン・イズ・バック』&『マネー・モンスター』

 

●『ベン・イズ・バック』

 

 

 わたしの本名と主人公の男の子の名前が同じなために、劇場での公開当時から気になっていた。また、「ジュリア・ロバーツってCDプレイヤーみたいな口しているよな」という(たしか村上春樹太田光が言っていた)悪口を若い頃に聞いて以来、ジュリア・ロバーツの印象が異様に強くて、彼女が出演している映画はついつい観たくなる。

 お話としてはありがちで、オピオイド中毒の少年ベンジャミン(ルーカス・ジズ)がリハビリ施設から抜け出して実家に戻ってくるんだけど母親のジュリア・ロバーツ以外は彼のことをまったく中毒せず、そして案の定ベンジャミンはまたオピオイドに手を出しそうになったりならなかったり、そのうち彼がヤク中時代につるんでいた悪友がちょっかい出してきたり悪いギャングが犬を盗んで脅したりして……みたいな。

『チェリー』もそうだったけれど、薬中が主人公の映画はとにかく暗くて、救いのない内容になりがちだ。それは薬物中毒というものはいちどハマったら脱出困難であり自分だけでなく家族や大切な人も巻き込んで破滅させていく救いがたい事象である、ということを作品に忠実に反映するためだろう。むしろ、ヘタに救いを描いたりハッピーエンディングにしてしまうと、薬物中毒の深刻さを軽んじるものとして団体の人とかから怒られてしまうし、作品の批評性とか志とかも下がってしまうはずだ。……とはいえ、救いのない映画ってやっぱりあんまり面白くない。『ベン・イズ・バック』にはそこそこの救いがあるのだが、それでも、薬物中毒を題材にしたテーマに特有の陰鬱さとテンポの悪さが邪魔をしており、まあ要するに面白い映画ではなかった(それがわかっていたから公開当時はスルーしたのだ)。

 とはいえジュリア・ロバーツの演技はすごいものだし、ベンジャミンのダメ息子っぷりの描き方も性格面でのディティールが凝っていて優れている(冗談めかして隠しもっていたオピオイドを母親に見せちゃうシーンのヘラヘラっぷりや腑抜けっぷりは実にすごい)。ジュリア・ロバーツが息子を怒るシーンが出てくるたびに、自分が母親に怒られているような気持ちになってビクビクしたり申し訳なくなってしまったりしちゃった。ジュリア・ロバーツ以外のほぼ全登場人物がベンジャミンに「薬物中毒が治るわけねえだろ、また面倒おこして余計なことするよコイツ」という目線を向けているのもリアルだし、盗まれた犬を取り戻そうとするベンジャミンに対してビビったジュリア・ロバーツが放つ「もともと保護犬なんだし、数年間も育ててあげたんだから十分に善いことしたわ、もう犬は諦めましょ」というセリフもひどいもんだけど笑っちゃう。一方で、過去にベンジャミンにオピオイドを処方して薬物中毒になるきっかけを作った老医師に対して「死ねばいいのに」とジュリア・ロバーツが言い放つシーンはあんまり気分が良くなかった。中毒になるのには本人の責任もあるでしょ。

 

●『マネー・モンスター』

 

 

 ジュリア・ロバーツつながりで、当時に劇場で観た『マネー・モンスター』も再視聴。

 この映画は世評はあまり芳しくないようだが、わたしはかなりお気に入りの作品だ。

 なんといっても、主人公のジョージ・クルーニーがハマり役。世界一セクシーな男であり、貫禄があって責任感に溢れるリーダーを演じているイメージの強いジョージ・クルーニーだが、軽薄で無責任なTVキャスターの役も実によくマッチしている。そんな彼が、爆破テロ犯と半ばストックホルム症候群みたいな状態になりながらも徐々に報道人としての責任感に目覚めていき、徐々に我々の知っているジョージ・クルーニーへと戻っていって、最終的には投資会社の社長の詐欺行為を暴いて公共の電波で問い詰めるに至る、という流れもドラマチックでよい。サスペンス要素とヒューマンドラマ要素が衝突することなく絶妙のバランスでマッチしていて、さらには資本主義批判や投資番組のパロディも詰め込まれていてと、90分の上映時間のわりにはかなり満足度が高くて充実した作品なのだ。『嘘悔い』のマキャベリゲーム編(「闇のみのもんた」が登場する編)が好きな人には、特におすすめできる。

 準主人公のジュリア・ロバーツも、ジョージ・クルーニーのような軽薄さはなく責任感と人情と情熱のあるしっかりものな女性プロデューサーの役柄にベストマッチしている。『ベン・イズ・バック』の母親役もそうだけど、真面目で意志も強いが情にはもろくて優しいという、最近の浅薄な「強い女」像とはちがう伝統的な意味での「女性的な強さ」を発揮する役が実に似合っている。

 そして、主人公のTVキャスターだけでなく、カメラマンなど彼を支えるチームがキャスターの改心に触発されて報道陣の使命を追及するようになっていくという、「チームもの」や「仕事もの」としてのドラマや感動も織り込まれていく。投資会社の女性副社長が上司の汚職を暴くためにジュリア・ロバーツに協力して世界中のプログラマーに連絡するくだりも、やや甘ったるいとはいえ、世界観に広さや深みを足す効果があって優れている。

 

 おそらく、この作品が批判される原因は、テロ行為とそれによるストックホルム症候群を肯定的に描いている点にあるだろう。現代的にはモラルに欠けた、昔風の作品とはいえる。とはいえ、昔ながらのモラルって、物語のドラマ性という点では現代のそれよりもずっと吸引力やダイナミックさがあるものだ。

 TVキャスターの「命の値段」が付けられるくだりの緊張感と(負の)カタルシスは、中盤の白眉となる。その後の、撃たれないようにするためにテロ犯とTVキャスターがくっついて移動するシーンもなんだか感動的だ。もうちょっと多くの人に観られて、評価されてもいい作品のひとつであるだろう。

『007/スペクター』

 

 

theeigadiary.hatenablog.com

 

 

 上の記事を書いたときには『スカイフォール』のことをそんなに評価していなかったけれど、『スペクター』を観る前に視返したところ、やっぱり面白かった。「これやるならMCUでいいだろ」という気持ちはまだ持っているものの、ハビエル・バルデム演じるシルヴァのキャラクター性はやはり特出している。長尺のセリフをすらすらと喋りながら縛られているボンドのほうに徐々に接近してくる初登場シーンの演出は見事なものだし、クライマックスに至るまでメタっぽいセリフを吐き続けるところには批評性も感じる。また、地下道を爆発させて電車をボンドに激突させようとする場面には迫力もあるし、ヤバい事態になっても皮肉を効かせながらベン・ウィショー演じるQとユーモラスな会話をするダニエル・クレイグジェームズ・ボンドの魅力も引き立てられている。

 

 とはいえ、世評の悪い『スペクター』についても、わたしは『スカイフォール』と同じくらい魅力的であると思う。たしかに満を辞して登場した悪役のスペクターは、せっかくクリストフ・ヴァルツという名優を使っているのに、シルヴァに比べるとずっと魅力に欠けるキャラクターだ。なんかもうただの典型的なボス敵でしかないし、そんな彼がボンドと義理の兄弟であることが判明したうえに過去三作の出来事もすべてスペクターが仕組んだことだと言われたら、世界があまりにも狭くなって実にガッカリ感が漂う。ボンドを拷問するシーンの小物っぽさもひどい(ボンドが猫に挨拶をして余裕を示すくだりは魅力的だけれど)。長テーブルでの会議シーンで顔が見えない状態でもってまわったセリフを吐くところには悪役としての貫禄が感じられるけれど。

 しかし、冒頭においてQに対して無言のパワハラをボンドがおこなうシーンや、前半におけるデビッド・バウティスタとのカーチェイスなど、前作以上にユーモラスでコメディあふれるシーンがたっぷりなところは実に楽しい。つまり、『スペクター』は『スカイフォール』と比べて、あえて「軽め」に作られているのだ。砂漠に停車した電車から降りたボンドとヒロインをロールスロイスがノタノタと迎えにくるシュールなシーンとか、研究所が馬鹿みたいに大爆発してボンドとヒロインがポカーンとするシーンにも、それが示されている。だから、ボス敵が描き割り的でしょーもない存在であることも意図的なものかもしれない。

 その一方で、オープニングにおけるメキシコの「死者の日」を背景にした追跡シーンは実に見事であり何年経っても印象に残る。爆発する建物からクルーザーで脱出するシーンなど、キメるところはきちんとキメてくれるところも好印象。

 人妻のモニカ・ベルッチもいいけど、ヒロインのレア・セドゥも実にヨーロピアンで綺麗で可愛らしくて魅力的。『カジノ・ロワイヤル』のエヴァ・グリーンのときと同じく、気が付いたらボンドがゾッコンのメロメロになっており彼女のためにガンガン命を賭けられるようになっているところには「いつの間にそんなに惚れちゃったの?」と思ってポカンとするところもあるんだけれど。でもわたしもレア・セドゥとしばらく一緒にいたら惚れちゃうと思う。

 

『初恋』+『回路』+『プラットフォーム』

 

●『初恋』

 

 

 

 公開当初は評判が実によく、カンヌでもなんか評価されていたらしいからけっこう期待して観たのだけれど、ぜんぜんダメだった。昔のタランティーノ的な内容であるけれどあちらを100点としたら30点という感じ。画面の暗さ、何言っているかよく聞き取れないセリフ、ヘラヘラしたり仏頂面だったり叫んでばっかりでバリエーションのない演技、ダラダラと間延びしてメリハリなく進行するくせに大事な場面でギャグやアニメ演出を入れるバランス感覚のなさなどなど、日本映画の悪いところがテンコ盛り。これがカンヌで評価されたとしたら、日本人がバカにされていて日本映画に何も期待されていないということでしかないと思う。

 ベッキーのキャラクターがやたらと評価されているが、「大暴れ」というほどには暴れもしないし、ひたすら叫んで口汚い言葉ばっかりなセリフは言わされている感が強い。このクオリティの「強い女」すら日本映画ではなかなか描かれていないから待望されていたということかもしれないけど、もうちょっと高い望みを持ってもいいと思う。

『初恋』というタイトルのくせに窪田正孝演じる主人公と小西桜子演じるヤク中ヒロインの恋愛に全然尺が割かれておらず、全く印象に残らないのもダメダメ。元ネタにしているであろう『トゥルー・ロマンス』や『ベイビー・ドライバー』を見習ってほしい。そもそも主人公の出番自体が少なすぎるし、占い師のくだりしか印象に残らない。

 純主人公的なポジションを演じる染谷将太だけは魅力的だが、彼のキャラクターも、なーんかコーエン兄弟作品にいそうな感じ。そう、とにかくありとあらゆる点において、10年とか20年とか前の映画の劣化版でしかないのだ。

 

●『回路』

 

 

 黒澤清といえばホラー風味に不気味で不穏でホラーっぽい作品は撮るけれど実際には「恐怖」とはやや違うものを描こうとするし怖くもない……と思って観たら前半はふつうにホラー映画でこわかった。ビビっちゃった。

 時代性もあってエヴァンゲリオンを連想させるような雰囲気が漂っており、ホラー作品な前半から「セカイ系」的な後半への飛躍が評価の理由だろう。思わせぶり感やすごいものを描いてますよ感もやや強すぎるし、現代で同じことをやられると失笑ものだけれど、平成当時の雰囲気とは実にマッチしているし、やはりオリジナリティは凄くて悪くない。『アカルイミライ』のこともいろいろと思い出した。

 登場人物たちのコミュニケーションの演出も独特で印象的。とくに加藤晴彦が演じる大学生のパートは、大学図書館やパソコン室の描き方のノスタルジアがすごくて、自分の学生時代を思い出してセンチメンタルな気持ちになった。ノースリーブな先輩女子を演じる小雪も実に魅力的で、惚れない男はまずいないだろう。一方で麻生久美子が演じる会社員のパートは、ホラー要素は強いものの面白みは少ない。

 閉鎖的な人間関係のなかで次々と人が死んでいくホラーでありながら、冒頭とエンディングで「船」が描かれることで希望や開放が演出されている構成も実に独特だ。もちろん、後味はまったく悪くなく、単なる幽霊ホラーではなくなにかしらの「映画」というものを観た気にさせてくれる。

 

●『プラットフォーム』

 

 

 

 スペイン語はわからないので英語吹き替えで観たかったけれどなかったから日本語で視聴。けれども、寓話的なストーリーや世界観であるためか、日本語吹き替えも予想外にマッチしていた。

 

 この手の映画でエンディングがはっきりとせずに思わせぶりに終わるのはかなりのマイナス点であり、それまでに描かれてきた色々なトラブルやそれに対処する主人公たちの苦悩や苦闘もなかったことにしてしまい台無しになる。しかし、この手の映画で、はっきりと何かを示したり解決したりするエンディングはなかなか描かれないことも事実だ。そういう点ではシャマラン監督の『オールド』は実にエラかった。

 

 とはいえ、垂直に連なる200階の個室のそれぞれに二人組が監禁されていて、垂直に運ばれていくフルコースメニューを各階層の人が食していくことで上の階層の人は食事に困らないが下の階層の人は飢え死にのリスクが高まっていく、というひとつの設定だけで一本の映画を撮れているのは評価点。そこで起きるトラブルや人間ドラマは、食人をめぐるいざこざも含めてほとんどは予想の範囲であるが、クライマックスに主人公とアフリカ系の人が「下の人に食事を残すために、フルコースと一緒に自分たちも下の階層に降っていき、食事を取り分けていく」という決断をするところは悪くない。

 エゴがむき出しになる設定のなかで善性が煌めいて「協力」や「倫理」が成立するか否か、というドラマはデスゲームものとして定番であるが、終わり方は満足いかないとはいえそのドラマに挑戦するところはそれなりに評価できる。『カイジ』を思い出したりもした。まあ結局のところは中途半端な作品ではあるんだけれど、ちょっと考えさせられるところもありちょっとワクワクさせられるところもある上質なデスゲーム映画として鑑賞するぶんにはよい作品だ。

 

おまけ

 

●スコア

 

 

 

 ロバート・デ・ニーロエドワード・ノートンのW主役で、さらにはマーロン・ブランドまで出ている豪華作品なのに、かなり凡庸な内容。エドワード・ノートンっていつも二重人格か障害者かそれを偽装する役をやっているんだなと思った。

 

●『007/トゥモロー・ネバー・ダイ

 

 

 90年代らしいケバケバしさと安っぽさと軽薄さが全開。敵役が「智」と「暴」に分かれているのは007の定番であるが、「智」がイエロージャーナリズムを煽るメディア王であるところは新しい……と思いながらも、ふつうに兵隊を持っており実力行使で007を始末しようとするところはどうかとおもう。また、「暴」担当の人はロックミュージシャンみたいな格好をしていてあまりにも貫禄がなかった

『マスカレード・ホテル』+『検察側の罪人』

 

●『マスカレード・ホテル』

 

 

 予告がいかにもつまらなさそうなのでまったく観る気はなかったんだけれど、ネットフリックスに表示されたキムタクのドアップの顔に惹かれるものがあり、いざ観てみたら存外におもしろかった。

 木村拓哉が演じる刑事と長澤まさみ演じるホテルマンが、それぞれの職業に基づく経験や見識と倫理に基づいて客と接していき、どちらもそれぞれに長所と欠点がある……というバランスの取れた描き方は見事なもの。「刑事もの」と「お仕事もの」のミックスに成功しているのだ。ネットは労働者の権利ばかりが騒がれて「過剰なサービスの存在しない社会が理想だ」みたいなことばっかり言われるが、そんな風潮はどこ吹く風と言わんばかりに「お客様は神様です」というホテルマンとしての職業倫理を強調するのも堂々としていて好感が抱ける(迷惑客には裏でこっそり対処するという強かさが同時に描かれているところもいい)。

 キムタクは刑事になってもヤンキー気質で、長澤まさみに対しても「マンスプレイニング」的な態度を取りまくる。昨今の欧米映画だと一発でNG判定が出て総スカンを喰らい興行的に失敗しちゃうだろうけれど、でもそれがキムタクの魅力だし、2020年代になってもそんなキムタクの魅力をスクリーンに映せるというのは欧米映画に対比したところの日本映画の貴重な利点であって懐の深さだ。だって実際に刑事なんてみんな(女刑事ですら)マンスプレイニング的な態度とってくるだろうし、現場のたたき上げの人間なんてそんなものであって、それならそれをしっかり描くのがリアリティというものであるのだ。

 

 とはいえ、珍客や迷惑客たちが繰り広げる個々のエピソードはまったくリアリティがなく、過剰で書き割り的であって、さほどおもしろいものではない(俗情に阿るエンタメ小説家としての東野圭吾の悪いところが出ていると思う)。

 ミステリー部分の真相には意外性があるが、でも犯人の動機はしょうもないし「完璧主義」に根ざしているとされる交換殺人的なトリックや仕掛けがどう考えても逆効果でアホみたいなので白けるところもある。

 

●『検察側の罪人

 

 

 

 

『マスカレード・ホテル』でキムタクにハマったので、こちらも鑑賞。

 過剰に正義を追い求める主人公のキャラクター性は、独善性や横柄さに相変わらずのマンスプレ気質など、いずれも木村拓哉にばっちりとハマっている。そんな彼がはじめて自分で手を汚すときには慌ててしまい情けない姿を晒すところや、計画や策略にけっこう抜け目があってグダグダであるところなど、人間味も強く描かれているあたりにがバランス感覚がある。

 ただし、キムタクを前半では慕い後半では疑う後輩検事を演じる二宮和也はお世辞にもいい役者だとはいえないし、彼が出てくるシーンではだいたい白けてしまう。吉高由里子が演じる女性事務官のキャラクターもなんかアメリカ映画なら普通に成立するけど日本でやられると「こんな女がいてたまるか」となってしまう。松重豊が演じるブローカーがおっさんのくせに「あなたの物語の続きを見てみたいのですよ」とかなんとか漫画みたいなセリフを吐くところも小っ恥ずかしい。

 過去の殺人事件の容疑者・松倉に対する主人公の策略と、主人公の友人と右翼政治家や軍国主義がどうこうで「白骨街道」がああだこうだみたいな政治劇や政治メッセージの部分がまったく噛み合っていないあたり、映画としては明確に失敗していると判断できるだろう(世評が悪いのもこのためだ)。とはいえ、もともと日本映画に大それたことは期待していないし、「まあ原作だったらちゃんと描けていたんだろうな」と察せられるから別にいいと思う。

 後輩検事と女性事務官に追及されそうになったキムタクが事前に用意していたウソや反撃手段を持ち出していけしゃあしゃあとドヤ顔でやりかえすシーンがいちばんおもしろかった。