THE★映画日記

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『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』:犯人がバレバレなのはいいんだけど、ポリコレ要素が不愉快

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 ミステリーといえば「誰が犯人か?」ということを頭をひねって推理する知的な面白さを連想するものだが、実は、ミステリーには別の種類の面白さもある。それは、自分勝手な理由で相手を殺したうえに自分の罪を他人になすりつけて素知らぬ顔をしている犯人の罪を探偵役が暴いて刑務所送りにする、という勧善懲悪的な面白さだ。

 犯人視点で物語が進行する(つまり、視聴者は誰が犯人か最初からわかっている)『刑事コロンボ』シリーズは勧善懲悪的な面白さに特化したミステリーであるといえるし、ゲームの『逆転裁判』シリーズも大半のエピソードでは誰が犯人かバレバレである代わりに犯人の罪を暴いて追い詰める逆転の爽快感がゲームの肝になっている。むしろ、映画やドラマやゲームなどの映像メディアでは「推理」の要素よりも「勧善懲悪」の要素の方がメインになっている作品が大半であろう。これはメディア時代の制約が原因となる場合もあれば(小説に比べて映像は情報量が多いために小説では成立するトリックが映像では成立しない、俳優や声優の「格」を観客が周知しており「誰が重要な役柄か」ということがわかっているためにそこから逆算して犯人を導けてしまう、などなど)、作成に金のかからない小説であれば推理オタク向けのニッチに特化したものが商品として成立するが作成に莫大な予算が必要となる映画においては広い客層を狙わなければならないために推理要素よりもエンタメ性を押し出さなければならない、という商売上の戦略的な制約が原因となる場合もあるだろう。

 

 そして、 『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』も「誰が犯人か?」という推理ものの面白さは捨てて勧善懲悪とエンタメに振り切った作品だ。いちおうネタバレはしないでおくか、多少はミステリーや映画文化に慣れた人であれば、物語の中盤には真犯人の察しがついてしまうだろう。

  しかし、エンタメ的な作品としてはよくできている。ミステリーではよくある「遺産争い」のお話ではあるが、金に執着する汚い人間たちと金よりも人道を優先する善良な人間を対比した描写を行い、最後には善良な人間がその善良さゆえに勝利する、というストーリーになっている*1。ミステリーというものは後味が悪く終わる作品もあってイヤな思いをさせられることが多いのだが、この作品は終わり方がまさに勧善懲悪という感じでスッキリしていた。

 

  さて、この映画の問題点は、「汚い人間/善良な人間」という対比構造に「保守派/進歩派」や「移民反対/移民賛成」という対比を重ねてしまっていることだ。要するに、保守的な政治主張を行う白人はみんなロクでもなく汚い人間として書かれている一方で、マイノリティである移民の登場人物とその人物を支える人々が善良な人間として書かれている、ということだ。

 この映画は古典的な推理ものの舞台設定でありながら「現代っぽさ」を出しているのが一つのウリであるらしく、ネットフリックスやインスタやツイッターなどのいかにも現代っぽいインターネット関係の単語がちらほら出てくる。そして、映画の途中では(おそらくトランプ大統領のあーだーこーだが背景となって)「移民を受け入れるべきか」「不法移民は追い返すべきか」といったテーマについて登場人物たちが政治的な論争をするのである。そして、移民に反対する主張を行なっている人物は、例外なく金に汚くてモラルのない情けない人物として描かれているのだ*2。私が特に気になったのが、「オルトライト」として紹介されるティーンエイジャー男子の登場人物だ*3。この人物は主要キャラクターの中でも最も出番が少なかったうえに、他の登場人物がらボロクソに皮肉を言われてこき下ろされるし、見た目や喋り方もいかにも「イヤな奴」「キモい奴」として描かれている。このティーンエイジャー男子の反対の立場としてリベラルっぽい主張をするティーンエイジャー女子も出てくるが、この人物は情けないところが多少ありつつもおおむね善良でまともな人物として描かれていた。

 

 たしかに、「移民反対/移民賛成」という対比はこの映画のエンタメ要素やオチとも関わっている。しかし、内容的には、「移民反対/移民賛成」という要素を入れない「汚い人間/善良な人間」という対比だけでもほとんど同じようなストーリーを作れたはずだ。

 この映画を観終わった後は、ちょうど最近に読んだフランシス・フクヤマ『IDENTITY 尊厳の欲求と憤りの政治』いう本を連想した。別ブログの方で書いた本の感想記事から引用しよう*4

 

地方に在住する伝統的で宗教的な白人は、ハリウッド映画に対して「自分たちのような人間が注目されることはない。たまにばかにされるために登場するぐらいだ」と言う感情を抱いているそうだ(p.167)。実際、私もハリウッド映画を見ていると保守的で田舎在住の白人に対する扱いがひどすぎて辟易することは多々ある(イギリスが舞台の映画でわざわざアメリカ南部の教会に行って主人公が(差別主義者の)白人を虐殺する『キングスマン』は最悪だったし、そこまで極端でなくても、保守的な人物がストーリー上の邪魔者や障壁としてしか描かれていない作品は枚挙にいとまがない)。

 

『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』でも、保守的な白人たちはまさに笑い者にされて、勧善懲悪要素を成立させるためだけに登場させられる。

 これが「移民賛成」というメッセージをもっと本気で扱ったり、移民反対派の問題点や非道徳性を指摘して糾弾したりする「真剣な」作品であれば私も文句は言わない。しかし、エンタメの添え物として特定の政治的主張アイデンティティを馬鹿にすること、しかも「このような政治的主張アイデンティティは馬鹿にしていい」とお墨付きを得てしまっているものを安全圏から馬鹿にするという安直さや考えのなさ、覚悟のなさが不愉快なのである。そして、馬鹿にされている側にも、製作陣の安直さや覚悟のなさは伝わってくるはずだ。

 こういう感じでリベラル派が保守派を馬鹿にするからアメリカでは政治的対立やアイデンティティ対立が深刻になってトランプみたいな大統領が誕生する、という主張は日本にてもうんざりするくらい聞かされている。私としてはそのテの「アイデンティティ・ポリティクスに対する危惧」みたいな主張を聞かされ過ぎて「はいはいもうその話はわかったから知っているから」という気持ちになっていたのだが、『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』を観ると、「アイデンティティ・ポリティクスに対する危惧」はいまだに主張される必要があるのだと再認識した。

 同じライアン・ジョンソン監督の『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が「ポリコレが過ぎる」という理由で叩かれまくったのは記憶にあたらしく、私としては『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』はむしろ好きな作品ではあるのだが、新作である今回の『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』でもまた同じような(考えの浅い)ポリコレ描写をされたとなるとさすがに「考えのなさ」や「開き直り」みたいなものを感じてしまう。

 

 とはいえ『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』自体は悪い作品ではなく、特にコメディ要素が面白かったように思う。ゲロのシーンはもちろん、画面奥から犬が証拠品を加えて走り寄ってくるシーンは劇場でかなりの笑いを引き起こしていた。登場人物がみんな移民の看護師の出身地を間違えて呼ぶところも、天丼ギャグとメッセージ性を両立していて面白かったと思う。

 しかし、推理ものでは探偵役は狂言回しになることは常とはいえ、「切れ者」っぽい雰囲気を漂わせているダニエル・クレイグ演じる探偵が切れ者でもなんでもなくて、能天気なコメディリリーフみたいになっていたのはちょっと期待はずれだ。なにしろジェームズ・ボンドのイメージが強すぎてコメディがあまり似合わない。キャプテン・アメリカのイメージが強すぎるクリス・エヴァンスの役柄に対しても同じような思いを抱いた。一方で、移民の看護師を演じるアナ・デ・アルマスはピッタリの役柄だったように思う。 

*1:探偵役以外でメインとなる登場人物はちょっとだけ『LIAR GAME』の「神崎直」を連想させられた。

*2:いちおう、移民に賛成する主張を行なっている登場人物のなかにも金に汚くて情けのない人物はいることはいるが、移民反対派の人物に比べると数は少ないし、まだ多少はマシな扱いで描かれているように思えた。

*3:字幕では「ネトウヨ」と訳されていた。

*4:

davitrice.hatenadiary.jp