THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『コンテイジョン』:良質(?)なウイルスパニックもの

 

コンテイジョン (字幕版)

コンテイジョン (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 この映画は2011年に劇場で上映されたのを観に行って、あまり期待せずに観に行ったのだが当時はえらく感動してmixiで発表した「2011年年間ベスト映画」のトップ1にもあげた。しかし、当時仲の良かった映画好きの女の子に「今年は『コンテイジョン』が一番面白かった」と言ったら怪訝な顔をされて反応に困っていたし、最近になって別の友人からも「『コンテイジョン』を観たけど面白くなかった」と言われた。みんなのシネマレビューでも平均6点とかなり点数が低い。

 私は基本的に映画に対して辛口の評価をすることが多いので、人が褒めるていものを貶すことはあっても、人が貶しているものを褒めることは滅多にない。しかし、期せずしてというか『コンテイジョン』に関しては世間の評価が低い作品を褒める形になってしまい、自分のキャラクター的にもかなり「バツがわるい」気持ちになってしまった。

 だが、最近になって配信されていたのを改めて見返してみると、昔のような感動は抱けないにしても、やっぱり面白いなと思ってしまった。

 

 スティーブン・ソダーバーグ監督の映画は全体的にどの作品も「ソツがない」出来栄えであり、そのために平均的な打率は決して悪くないのだが、多くの人にとっては「グッとくるものがない」という視聴感になるようだ。実際、『コンテイジョン』は(当時の)他のウィルスパニックものに比べると「リアルさ」はあるのだが、だからといってリアルに徹しているわけでもなくいかにも映画的な作りのお話になっているし、かといって脚本にひねりがあるわけでもない。いちおう映画の最後の最後で時系列が遡る描写があり、これが「ひねり」になってはいるのだが、わざとらしいというかしょうもないタイプの「ひねり」ではある。

 要するに、技術的には特に見るべきところがない映画なのだ。

 しかし、私は『コンテイジョン』がかなり好きだし、他のソダーバーグ監督の映画もおおむね好きである。『コンテイジョン』の何がよいかというと、世界的なウィルス危機に立ち向かう人々の群像劇であり、ウィルス危機に立ち向かう人々の頑張りに共感できるところだ。この人々の頑張っている姿の描写も群像劇であること以外には工夫や特徴がなく、むしろ地味なのだが、この地味な「頑張り」の描写がやたらと心に響くのである。「人道」を守る人々の努力や使命感が伝わってきてグッとくるのだ。

 また、この映画のほぼ唯一の悪人が、ジュード・ロウ演じるデマをバラまくジャーナリストだ。影響力を考えるとこのジャーナリストのやっていることはかなり極悪なのだが、この悪人の描き方もサラっとしていて不愉快なものではないし、勧善懲悪的なオチにならないところも逆に後味がよかった。

 

 私としては、もっと映画の脚本の巧みさや監督の妙味なりみたいなテクニック的な面を重視して映画を観たいものなのだが、実際には人の感情や「人情」みたいなものが上手く描かれているかどうかと、「後味の良さ」の2点をかなり重視してしまう。あとは登場人物に共感できたかどうかもかなり重要だ。ともかく、どうしても感情を重視した鑑賞になってしまうのである。そして、その点からいうと『コンテイジョン』はかなり良かったのだ。