THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

「優しくない笑い」の面白さ(名作シットコム紹介(2):『となりのサインフェルド』)

 

 

 日本で有名なアメリカのシットコムといえば、みつ昔前なら『フルハウス』、ふた昔前なら『フレンズ』、ひと昔前なら『ビッグバン★セオリー』だろうか。今ではNetflixなどの配信サービス各社がそれぞれオリジナルのドラマ作品を配信していることもあり、代表的なシットコムを一つだけ選ぶことも難しくなっている状況であろう。

 しかし、シットコムの歴史のなかにおける金字塔が『となりのサインフェルド』であることは間違いない。日本ではあまり人気が出なかったらしく、TSUTAYAにもDVDはシーズン4までしか置いていなかった覚えがあるのだが(10年前の話だ)、1990年代のアメリカでは国民的人気を博した作品である。

 

 シットコム(シチュエーションコメディ)の特徴は、ほぼ全てのエピソードに出てくるメインの登場人物が数人存在すること、また、舞台もほとんど毎回同じであることである*1。同じ登場人物と同じ舞台を使いながらいかに毎回違ったエピソードを描いて観客を笑わせられるか、ということがポイントになるのだ。そして、基本的にはどのエピソードも一話完結であり、物語の縦軸や「来週はどうなるだろう」というヒキなどに頼る構成にはなっていないことも重要である。

 …とはいえ、『フレンズ』や『ビッグバン★セオリー』などが人気を博した理由は、そのコメディ要素の「笑える度」以上に、共感できるキャラクター性をした登場人物たちの魅力、そして「登場人物たちの間の恋愛関係がどうなるか?」という物語の縦軸に依っている部分があることは否定できない。『フレンズ』では特にロスとレイチェルの恋の行方が終盤のシーズンまで二転三転して視聴者の興味を引っ張っていた記憶があるし、昨日に紹介した『そりゃないぜ!?フレイジャー』でも序盤のシーズンではナイルズによるダフネへの片想いがポイントとなる。

 登場人物の恋愛に興味が行くのも、登場人物たちが魅力的であり、視聴者が登場人物たちに対して温かで前向きな気持ちが抱けるからだ。コメディ作品の中に恋愛要素を入れることには、恋愛に絡んだギャグやジョークを描けるようになるという利点もある(『そりゃないぜ!?フレイジャー』におけるナイルズの片想い描写は古典的だが笑えるものだ)。…しかし、視聴者が登場人物に対してあまり温かな気持ちを抱くことは、コメディ作品にとっては制約ともなり得る。というのも、登場人物をあまりに滑稽に描いたり、登場人物を突き放した描写をすることが難しくなってくるからだ。また、視聴者の気持ちが冷めてしまうことを避けるために、登場人物の傲慢さや愚かさを強調することも難しくなってしまう。

 

となりのサインフェルド』の特徴は、まず、恋愛要素がほぼ皆無であることだ。主人公であるジェリー・サインフェルドと紅一点のエレイン・ベネスは元カレ元カノの関係ではあるのだが、その設定が作中で強調されることはあまりないし、視聴者としても二人の恋愛を特に応援したくなるつくりにはなっていない。他の二人のメイン登場人物、ジョージ・コスタンザとコズモ・クレイマーがエレインと恋愛関係になることもない。

 

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サインフェルドとエレイン

 

 メインキャラクター4人の中で最も人気があるのは、間違いなくコズモ・クレイマーだろう。Wikipediaでも「クレイマーがジェリーの部屋に入って来たら客席から歓声があがる」と書かれているほどだ。ただし、クレイマーは思考回路も行動も突飛なものであり、理解不能な人物だ。共感が抱けるようなタイプのキャラクターではなく、トリックスター的な面白さを持ったキャラクターである。

 

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コズモ・クレイマー

 

 そして、『となりのサインフェルド』の面白さを最も象徴するキャラクターが、何と言ってもジョージ・コスタンザだ。ジョージは他のシットコム作品ではなかなか見受けられないような異様なキャラクター性をしている。まずチビでハゲでデブであり、現代風にいえば「キモくてカネのないおっさん」な見た目をしている。見た目だけでなく性格も相当に気持ち悪いものであり、見栄っ張りで嘘つきなうえに神経質でケチだ。その性格がゆえに恋愛もよく失敗するし、見栄や嘘が原因で仕事を失ったりしてしまうこともある。『となりのサインフェルド』の中ではサインフェルドやエレインの人格的な問題点が強調される場面や、彼らが(大概の場合は自業自得的な理由で)ひどい目にあってしまうが、ジョージの描写はそれに輪をかけたものであるのだ。視聴者はジョージのことを面白いと思うし、人格的に問題のある視聴者であれば自分とジョージの共通点を意識してしまってドキッとしてしまうかもしれないが、少なくとも共感や同情を抱きたくなる相手ではない。また、主人公であるサインフェルドも毒舌で嫌味な人間であり、彼に対しても素直に共感を抱けない視聴者は多いだろう。

 

 

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ジョージ・コスタンザ

 

 

 …つまり、キャラクターに対して視聴者が共感などの「温かな気持ち」を抱くことを期待しないかわりに、登場人物の欠点や滑稽な点を強調する、シニカルで毒のあるユーモアが『となりのサインフェルド』の持ち味なのだ。この面白さは、「登場人物に指を差してゲラゲラと嘲る」ような面白さとも表現できるかもしれない。

 毒のあるユーモアを主とする『となりのサインフェルド』は、いま日本で流行っているような人を傷付けない「優しい笑い」とは真逆の「優しくない笑い」を提供するドラマだ。そして、少なくとも私にとっては、登場人物への共感や恋愛模様への興味などを除いて「笑える度」だけで評価すると、数あるシットコムのなかでも『となりのサインフェルド』はぶっちぎりでトップである。

「優しい笑い」は今年になって日本で流行しだしたとはいえ、アメリカではしばらく前から「優しい笑い」がメインストリームになっているような気がする。たとえば、私がNetflixに加入してから観始めたシットコムの『ブルックリン・ナイン-ナイン』や『グッドプレイス』は、どちらも「愛すべき登場人物たち」による緩くて温かな笑いを強調した作品であったように思える。だが、はっきり言ってしまうと、上記の2作の「笑える度」はかなり低かった。登場人物が可愛らし過ぎてお行儀が良過ぎる作風がどうしても鼻についてしまうのだ。

 アメリカでも日本でも、「優しい笑い」が流行になりだした背景にはポリティカル・コレクトネスの影響が多かれ少なかれあるだろう。『となりのサインフェルド』ではサインフェルドとジョージはどちらもユダヤ系であり、ユダヤナチスをネタにした際どいが鋭いネタもたまに登場する。一方で、「ポリティカル・コレクトネス」が流行りだした90年代の作品ということもあって、一部のマイノリティの描き方が雑であったりポリコレを逆張り的に揶揄したネタが登場する回があることも確かだ。…だが、困ったことに、ポリコレを揶揄する回もやっぱり面白いのである。

 実際のところ、「優しい笑い」の革新性や高尚さをいくら述べたてられたところで、私たちは人に指を差して嘲るようなどぎつい「優しくない笑い」を望んでいることも確かなのである。たとえば松本人志に代表されるような「優しくない」芸人たちは、インターネット上では批判が目立つとはいえ、実際には世間では未だに圧倒的な支持を得ている(若い人たちも支持しているのだ)。お笑い好きの友人に聞いたところによると、芸人たちのラジオ番組ではどぎつい笑いがいまだに多いようだ。ゲーム実況者のなかにもかなり差別的でくだらない冗談を飛ばす人がいるが、視聴しているとついつい笑えてしまうものである。

 

 最近のシットコムやコメディの風潮に慣れてくると、「毒」や「冷たさ」をたっぷりと含んだ『となりのサインフェルド』が懐かしくなってしまう。実は日本では最近までAmazonプライムで配信されていたのだが、数ヶ月前に配信が打ち切られてしまった。Netflixがストリーミング権を獲得して2021年に配信開始されるそうだが、一年も待たされるのはたまったものではない。

 

*1:たまに遠くに出る"出張編"的なエピソードもあったりするが。