THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ファミリー・ツリー』&『コネチカットにさよならを』:ダメなおっさんが主人公の文学的作品

 

ファミリー・ツリー (吹替版)

ファミリー・ツリー (吹替版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

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 並べて論じるような作品ではないかもしれないが、どちらも妻子を持つ(持っていた)おじさんが主役の、小説を原作として「文学的」な雰囲気の漂う映画だ。

ファミリー・ツリー』では、ハワイに暮らしており二人の娘を持つジョージー・クルーニーの妻が事故で昏睡状態になり目が覚めず、そしてジョージー・クルーニーは娘から妻が浮気されていたことを聞かされてショックを受けるが、妻の浮気相手を追跡したり親戚たちと関わったりしているうちに色々あって娘と向き合うことを決心する…というストーリーだ。『コネチカットにさよならを』は、妻に離婚されたベン・メンデルソーンが独り身の人生を開始しようとするがやりたいことも見つからずに空回りして、薬物依存で自立できないダメ息子や同じく薬物依存の知り合いの若者と関わっているうちに知り合いの若者が死んだりして、色々あって自分の人生を生きることを決心する…という感じのストーリーである。

 

 どちらの映画でも、主演のジョージー・クルーニーベン・メンデルソーンがかなり情けない立場のおっさんを演じていることが特徴だ。二人ともこれまでは仕事をして妻子を養ってきたのであるから決してダメ人間ではないのだが、妻や子供のとの向き合い方がヘタクソであるし、家庭に対する責任を放棄してきた人生の報いを受ける(そして再出発をする)というストーリーになっている。

 このタイプのストーリーは、(特に一人称の)小説であれば主人公の存在感や「ダメ度」が生々しすぎて、読んでいてキツいものになる可能性が高い。また、主人公の内面描写が言い訳がましくて鬱陶しいものになることも多いだろう。映画という表現形式の利点の一つは、登場人物の内面と観客との間に一定の距離が保たれることで、小説にありがちな「鬱陶しさ」を回避できることである。この利点は小説のような深い内面描写を通じた芸術性なり人間性の真実の描写なりが実現できないという難点にもなっているのだろう。しかし、俳優たちの演じるの人間ドラマを眺めるだけでも、色々と考えたり感じ入ったりすることはできるものなのだ。

 

 また、ダメなおっさんが主人公であってもそれを演じている俳優は容姿の整った美男であり、おっさんが主人公の小説に特有な気持ち悪さや近寄りがたさが中和される点も良いものである。特に『ファミリー・ツリー』でジョージー・クルーニーがドタバタと走ったりひょっこり顔を出して妻の浮気相手の家を覗くシーンはチャーミングで愉快だ。

 また、『ファミリー・ツリー』ではハワイが舞台になっており、劇中での能天気なハワイ音楽がBGMとなるのだが、話の深刻さを中和していてかなり良い効果を上げている。よく考えるとかなり嫌で救いのない深刻な物語なのだが、娘の彼氏役であるアホ青年などの脇役が清涼剤となるし、終わり方も前向きで爽快感がある。この独特の後味は他の映画ではちょっと味わえないものである。

 

コネチカットにさよならを』の登場人物たちは、主人公も脇役も、『ファミリー・ツリー』の登場人物たちに輪をかけてダメ人間である。酔っ払った主人公が元妻の家に侵入するシーンはギョッとなるし、主人公のダメ息子は顔付きのしまりのなさからして「ダメ人間」であることが伝わってすごい。また、主人公がおっさんでありながら未成熟で子供っぽい点を抱えているからこそ、知り合いの家の若者と打ち解けて心を通わせるようになることもポイントだ。ダメな人間たちの「ダメさ」を超えた「弱さ」が描かれているし、またその「弱さ」を持った人間たちならではの繊細さや優しさのようなものも描かれているのが特徴であるだろう。

 ベン・メンデルソーン自身もジョージー・クルーニーに比べて一段と「情けなさ」が漂うし、中年以上の男性では珍しいような繊細さや脆さを感じさせるような俳優である。『ウーナ 13歳の欲動』でルーニー・マーラーにあれこれと振り回される役柄もぴったりであった。