THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

村上春樹の「ファミリー・アフェア」

 

パン屋再襲撃 (文春文庫)

パン屋再襲撃 (文春文庫)

 

 

 短編小説の感想というものは書くのが難しいものだし、特別なオチやトリックが用意されている作品でもなければテーマなどが明確に設定されていない作品の場合は、なおさらだ。しかし、私は数ある村上春樹の短編のなかでも『パン屋再襲撃』に収録されている「ファミリー・アフェア」という短編がとりわけ好きで、定期的に読み返している*1。この作品はまさにオチもなければテーマもないタイプの短編ではあるのだが、なんとか感想を書いて「ファミリー・アフェア」の魅力を紹介してみよう。

 

 主な登場人物は、主人公の「僕」とその「妹」、そして妹のボーイフレンドである「渡辺昇」の三人だ。そして「僕」の性格はかなり偏狭で批判がましいものであり、その「僕」と妹や渡辺昇とのユーモラスなやり取りがこの短編の醍醐味である。

「僕」の偏狭さは相当なものであり、店に行って出されたスパゲティーが不味ければ半分以上残して、妹の飲んでいるコーヒーやそれに投入されるクリームにまで内心で文句をつける始末だ。そんな兄の性格に妹はうんざりしており、自分のボーイフレンドの前では粗相をしないように釘を出す。渡辺昇は「僕」とは真逆の人は良いが冴えない人物であり、「僕」は通じない冗談や皮肉を渡辺昇に飛ばしながら彼との会食を耐えぬいて、その晩に妹としみじみとした会話をする…。

 偏狭であり文句ばっかり言っているが酒と女遊びが大好きなだらしない人間である「僕」と、ボーイフレンドとの交際を境にして生真面目になり世間体を意識するようになった妹との微妙な関係性がこの作品の魅力だ。様々な点で気の合わない二人ではあるが、成人してからも共に生活し続けた家族であるため、根底には信頼関係や「戦友」という感覚がある。村上作品の主人公は女とあればすぐに手を出てしまうので異性との友情が描かれづらいのだが、妹と設定することでその問題が回避されている。

 また、妹が「僕」の価値観や言動をいちいち叱ってくる存在であることもポイントだ。物事に対して偏狭な見方をしたり自分と相容れない他者を批判したり、非現実的なまでの量の酒を飲んだり多数の女を抱くことは村上作品の主人公がやりがちな行動ではあるが、「突っ込み役」である妹の存在により、主人公の生き様が相対化されているのである。

 

 私自身も「僕」と同じように偏狭な性格をしているため、たとえば以下のような「妹」のセリフにはグサッとくるものがある。

 

「だいたいね、あなたの物の見方は偏狭にすぎるのよ」と彼女はコーヒーにクリームを追加して入れながらーーきっとまずいのにちがいないーー言った。「あなたはものごとの欠点ばかりみつけて批判して、良いところを見ようとしないのよ。何かが自分の基準にあわないとなるといっさい手も触れようとしないのよ。そんなのってそばで見てるとすごく神経にさわるのよ」

(p.71)*全集版

 

 しかし、主人公がプレイボーイである設定のせいで主人公に対して全面的な共感が抱けないのは残念なところだ。他の村上作品の主人公に比べても「ファミリー・アフェア」の主人公は性格が悪い点が目立つ人物であるのだから、こんなに簡単に女性遊びができるという設定は不自然な気がするし、何も全部の作品の主人公をプレイボーイに設定する必要はないだろうに、とは思う。

 また、これも村上春樹の作品ではよくあることなのだが、会社に勤めている「妹」の勤務時間が「九時から五時」という設定も羨ましいところだ。作品が発表された当時の1989年はそれが当たり前なのだったかもしれないが、「妹」に限らず、村上作品の登場人物たちの勤務時間は「九時から五時」に設定されていることが多い。言うまでもなく、昼休みの分を考慮すると8時間労働ですらない。これは時代設定の問題ではなく、春樹の世間知らずさを単に反映したものに過ぎないのだろう。

*1:ここ数年は全集版で読んでいる。

 

村上春樹全作品 1979~1989〈8〉 短篇集〈3〉

村上春樹全作品 1979~1989〈8〉 短篇集〈3〉