THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『タクシー運転手:約束は海を越えて』&『1987、ある闘いの真実』

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『タクシー運転手:約束は海を越えて』は以前に配信サイトで視聴していたが、私の家のご近所にある駐日韓国文化院で無料の上映会をやっていたのでお邪魔して再視聴した。途中で音が飛んだり映像が乱れたりはしたが、まあ無料なので文句はない。

1987、ある闘いの真実』はたまたま二週間の無料トライアルに加入していたHuluでつい先日に配信開始したので視聴した。配信開始日と無料トライアルの終了日が重なっていたので、その日のうちに慌てて視聴することになった。

 

 これらの作品はどちらも1980年代の軍事政権下における韓国の民主化闘争を題材としている。『タクシー運転手』では光州事件が、『1987』では6月民主抗争が取り上げられている。もちろん、どちらの作品でも、民主化のために奮迅した民衆の側を主人公とした作品となっている。『1987』は群像劇であるため、体制側の人物の視点から描かれた場面も多々あるが。

「政治闘争」や「民主主義運動」をテーマとした映画は欧米でも色々とあるだろうが、やり尽くされた感もあって、最近の作品はパッとは思いつかない。私が映画館で最後に見たのは女性参政権運動を題材にした『未来を花束にして』であったような気がする。基本的には、単純な民主主義運動というよりも性別やジェンダー、または人種に関連したマイノリティの権利運動が作品のテーマとして選ばれることが多くなっているような気がする。それが悪いことではないが、『タクシー運転手』や『1987』、また釜林事件を題材にした『弁護人』のような直球で「民主主義!」という感じの映画は少なくなっているのが現状だ。

 そして、これらの作品のいずれも、シリアスな歴史的事件を題材にしているのに関わらずエンターテイメント性が高い仕上がりになっている。『1987』はチェ検事の痛快なキャラクター性に始まり、忠誠を尽くしていた体制に裏切られる刑事たちの悲劇、民主化運動を行う大学生たちの逃亡シーンのサスペンスに女学生とイケメン学生とのラブロマンスがまさに「ごった煮」になっている作品だ(そのために、話がとっちらかっている面も強い)。『タクシー運転手』は主人公のとぼけたキャラクター性や冒頭から連発されるコメディシーン、そして終盤の撮影フィルムを守りながらの軍事からの逃亡シーン(ここは『1987』よりもさらに手に汗握るサスペンスとなっている)に怒涛のカーチェイスと、かなりハリウッド映画的な作りになっているのだ。

 実際の歴史的事件を題材にしながらもエンタメ性を強くすることには、お話に虚構感を与えてしまうという弊害もある。『タクシー運転手』の逃亡シーンやカーチェイスには、いくら何でもハリウッド映画っぽい展開が過ぎて「こんなことが実際に起きていたわけないだろ」と冷めた気持ちにさせられてしまったことは否めない。『1987』はまだ多少はリアル寄りではあるが、それでもサスペンスシーンが映画っぽすぎた。

 韓国映画の全般に見られる特徴として、どのジャンルの映画を撮るにしてもコメディや暴力やサスペンスやキャラの濃さや恋愛…などなどの要素の幕の内弁当になってしまうところがある。それが功を奏してオリジナリティが出る場合もあるが、弊害が目立つ場合も多いのだ。しかし、おそらく韓国映画ファンには「要素を取捨選択したスリムで洗練な映画を作られたらわざわざ韓国映画を観る意味がなくなる」と思っているところがあるし、作り手側の方も同様のことを考えているのだろうという気はする。

 

 ところで、『タクシー運転手』を再視聴して感心したのは、普通なら主人公格として描写されるべきキャラクターであるヒンツペーター記者の「キャラの薄さ」だ。実際に光州事件のビデオを撮影して世界に事件の存在を知らしめたのはヒンツペーター記者であるが(余談だが『1987』ではこのビデオが学生たちの間で秘密裏に上映されるシーンがある)、『タクシー運転手』では、あくまでソン・ガンホ演じるタクシー運転手のキム・サボクが主役となっている。光州に到着して現地の学生たちや現地のタクシー運転手たちに最初は反発しながらも徐々に彼らの政治運動に理解を示していく、というキム・サボクのドラマが話のメインとなっているのだ。それに比べるとヒンツペーター記者はセリフも少なく、映画的にはキム・サボクが光州に行ったり民主化運動に共鳴するようになるための動機付けとしての役割しか持たされていない。

 民主化運動を題材にした作品なのだから、外国からやってきた記者ではなくて韓国人本人が主役にならなければ意味がない、ということだろう。欧米の作品でも中東やアフリカなどの「現地人」たちの政治運動や内紛が題材になる作品はあるだろうが、それらの作品でも、主役は現地を訪れる欧米人になってしまうことは多い。そういう点では、『タクシー運転手』は欧米ではなく韓国でないと作れない映画であることは確かだろう。