THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ミストレス・アメリカ』

 

ミストレス・アメリカ (字幕版)

ミストレス・アメリカ (字幕版)

  • 発売日: 2016/07/20
  • メディア: Prime Video
 

 

 ノア・バームバックが監督で、グレタ・ガーウィグが準主役的な役柄を演じており、脚本はバームバックとガーウィグの共同制作な作品だ。この組み合わせては、準主役と主役との違いを除けば、『フランシス・ハ』と同じである。

『フランシス・ハ』も『ミストレス・アメリカ』も、ガーウィグが脚本も監督もやっている『レディ・バード』に近いところがある。ただし、『ミストレス・アメリカ』にはガーウィグが関わっていないバームバック作品である『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』に近いところもあった。『フランシス・ハ』や『レディ・バード』は主人公の内面に寄り添ったかなり「私小説的」な作品であるのに比べて、『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』は脇役を含めた登場人物同士のかけ合いが醍醐味であり、コメディ要素がより強くなっている。『ミストレス・アメリカ』はちょうどその中心なポジションに位置する作品だ。

 具体的にストーリーを説明すると、ニューヨークの大学に進学したばかりの18歳の小説家志望の女子大生の主人公が、自分の母親が再婚を予定している男性の娘(つまり義理の姉となる予定)である10歳以上年上のブルックという女性(グレタ・ガーウィグ)と交流することになり、彼女の破天荒で楽天的で傍若無人な人格に振り回されつつも惹かれたり憧れたりしてしまい、こっそりとブルックのことを題材にした小説を書きすすめる。主人公は友達以上恋人未満な男の友人やそのガールフレンドとも関わりつつ、とある事情でブルックを含めた4人みんなで、ブルックの元カレ(ブルックの元友人と結婚している)の家を訪ねることになる。そこでなんやかんやあって主人公がブルックを題材にして書いていた小説がブルック本人を含めたみんなの前で読まれしまうことになる……という感じである。

 主人公が書いていた小説がみんなの前で読まれてしまい、あれやこれやと文句や叱責をされるシーンはかなり愉快だ。わたしも大学時代には文芸部に所属していたので、いろいろと共感できたり身につまされるところがあって主人公に共感することができた。また、ブルックとはなんら関係のない主人公の友人とのそのガールフレンドがブルックの用事にぞろぞろとついてくるところや、ブルックと主人公や元カレとの関係にいきなり突っ込んでコメントしてくる部外者がどんどん増えていくところも面白い。いかにもアメリカのコメディ映画という感じがする。

 一方で、これはバームバッグ監督の作品(また、その模範となっているであろうウディ・アレンの作品)を観ていてよく感じるところなのだが、舞台が毎回ニューヨークだし登場人物がみんな労働や泥臭い世界とは縁遠そうだしハイカルチャーな単語がバシバシ飛び交うしで、観ていて鼻白むところがなくはない。コメディ寄りのヒューマンドラマ作品なので登場人物に対して視聴者が共感を寄せるようなつくりにはなっているのだが、冷静に考えると登場人物たちは大半の視聴者にとって雲の上の世界に住む存在たちであるのだ。こういう映画を観るたびに毎回同じ文句を言っているが、一瞬だけ主人公に共感した後に「でもこいつの方がずっと恵まれているよな…」と思って共感が消えてしまうという事象は、映画の面白さにも影響を与えるのだからイヤだ。だいたいニューヨークやハイソな世界を舞台にしなくても同様のストーリーは描けるような気がするし、そこで毎回のごとくわざわざニューヨークやハイソな世界を舞台にすることについてはもっと製作者の側に疑問を抱いてほしい。

 

 主人公の義理の姉(になる予定)であるブルックのキャラクター性がこの映画のキモとなっている。破天荒さの魅力もありつつ人のことを考えない自己中心的なところが不快感をもよおすキャラクターでもあるが、これについては、主人公が「魅力を感じつつ、小説の題材にするときは相手の問題点や負の側面をきっちり指摘する」というスタンスであることが映画全体にいい感じのバランス感覚を与えている。また、女性から女性への友情以上同性愛未満な「憧れ」の感情をガッツリ描いているところもこの映画の特徴だ。ヒロインであるブルックがこのテの作品にあるよくあるミステリアスで知的で上品な年上女性キャラクターではなく、陽気でコミカルで元気な存在であることも作品にオリジナリティを与えていて、良い。

 主人公の男友達やその彼女、ブルックの元カレの結婚相手や彼女の家の近所の人々など、脇役も個性的で魅力的なところが、映画をさらに楽しいものとしている。

 また、ブルックと元カレの結婚相手(ブルックの元友人でもある)との関係性は『フランシス・ハ』における主人公とその友人との関係も想起させる。どちらもグレタ・ガーウィグ自身が脚本に関わっていることから、ブルックからは『フランシス・ハ』の主人公の「その後の姿」という感じが匂わさせられる。

 

 とはいえ、文芸部所属の18歳であり内向的な性格をした人物が主人公であるのに、登場人物たちがやたらと性的な生活をしていたり淫らな言動をしているのはどうかと思う。日本人で文芸部所属の18歳であり内向的な性格をした人物であればこの映画に共感することは難しいだろうし(性的な要素が多過ぎてジャマし過ぎる)、アメリカ人であってもこの映画に共感できない人はいっぱいいるだろうと思う。  ニューヨークの大学に通うような18歳であれば文芸部であっても18歳の頃から性的に充実しておりかつハイソな世界を生きているのかもしれないが、大半の人はニューヨークの大学に通わない。そういう普通の平凡な人々の青春に焦点を当てた作品じゃないと、やっぱり完全に共感することはできないのだ。