THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『異人たちとの夏』

 

異人たちとの夏

異人たちとの夏

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 主人公が出身地である浅草に行ったら死んだ両親と再会して交流するようになり、またそれと同時進行で同じマンションに住むイカレ女と肉体関係を持つようになる話。

 

 80年代という時代はわたしのなかでは映画凶作時代ということになっている。最近ではこの時代に青春を過ごした人がアメリカでも日本でもクリエイターやプロデューサーとして権限を持つ立場になったようでやたらと「80年代もの」が量産されるようになっているが、基本的に軽薄で中身の無く、かといって90年代以降のようなテクノロジーグローバル化や社会道徳の進歩も到来していない、20世紀以降ではいちばん浅はかな時代と言っても過言ではないのが80年代だ。この時代に作られた映画はアメリカ映画ですら『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に象徴されるようにエンタメ性や演出が過多なわりに人を深く考えさせるような中身が皆無な映画が多いのだが、ましてや邦画となると「深み」や「洗練」というものはまったく期待できない。

 とはいえ、観ていて途中から「深み」や「洗練」の期待を一切捨て去った後には、ノスタルジーを堪能する映画として『異人たちとの夏』もそこそこ楽しめた。登場人物は40歳のくせに一人称が「僕」な主人公をはじめとしてどいつもこいつも芝居掛かった喋り方をしてリアルさは一切感じられないし、話の展開も異様にアニメ的なのだが、「実写だけどやっていることはアニメだな」と考えてしまえれば受け入れられる。同様の感覚は『万引き家族』にも抱いたし、そもそも日本人が芝居掛かった喋り方をするとどうしてもアニメっぽくなるという問題点があるのだろう。それにしてもこの作品はナレーションや説明セリフが多過ぎるとは思ったが。

 まあでも死んだ両親との再会は自分の家族のことなどを思い出して感じさせられるものがある。父親も母親もいかにも「アニメに出てくるお父さん」「アニメに出てくるお母さん」といった感じなのだが、主人公の理想が投影されているということなのだろうし、そう考えるとキャスティングはピッタリだ。主人公と同じマンションに住むイカレ女もエロくて良かった。クライマックスにて意外な格好良さを見せる主人公の仕事相手(主人公の元妻に惚れている)も印象的である。

 クライマックスの安っぽさはひどいものだし、いくらノスタルジーを強調する演出とはいえ主人公が両親を訪れるあいだにずっとセミの声が聞こえるのもちょっとくど過ぎる。とはいえ、脚本自体はシンプルだが感動的なものであることも確かだ。まあ一度は見ておいても損はない映画であるかもしれない。