THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『オデッセイ』

 

オデッセイ(字幕版)

オデッセイ(字幕版)

  • 発売日: 2016/04/22
  • メディア: Prime Video
 

 

 チームで火星調査をしていたらアクシデントが起こってひとり取り残されてしまった主人公(マット・デイモン)がサバイバルするお話。映画の冒頭すぐにアクシデント〜取り残されが発生して、それからしばらくはひとりで状況に対処して生存しようとする主人公の奮闘や創意工夫が描かれるが、後半では主人公の救出をしようと頑張るNASAをはじめとした地球の人々や帰還中の主人公のチームメイトたちの描写がメインとなっていく。

 植物学者である主人公が火星でジャガイモを栽培しようとするシーンや、1990年代の火星調査機を発掘することで地球との交信を試みるシーンは印象的であるし、かなりワクワクする。『キャスト・アウェイ』や『ターミナル』のようなサバイバルものの醍醐味が感じられるのだ。しかし、通常のサバイバルものとは異なり主人公を救出する人の試みにも焦点が当てられることで、サバイバルだけにとどまらない様々な要素(政治的駆け引き、組織や家族よりもチームメイトの間の絆を優先する熱血要素など)が描かれているところがこの映画の特徴である。2時間半に近い長尺であるが、その長さに見合うくらいの様々な内容が詰まった、お得でボリュームたっぷりの映画であるだろう。

 …ただし、それでも2時間半はやっぱり長過ぎる。特に、最終盤の火星脱出シーンはクライマックスにあたりもっともハラハラするべきところではあるのだが、宇宙船にちゃんと乗り込めるかどうこうとかの『ゼロ・グラビティ』のような宇宙飛行士ものとしてよくあるタイプの危機展開が描かれることになり、新鮮味がない。そこに至るまで2時間経過しているということもあって見ていてあんまり面白くないというかダレてしまうところがある。

 

 ところで、劇場で公開された当時からわたしがこの映画で最も感銘を受けたシーンは、中盤にてNASAが物資支援用に打ち上げたロケットが大破した様子を見た中国の航空局が、自分たちの計画を犠牲にして主人公の救出計画に協力することを決めるシーンだ。このシーンに関しては原作小説はでもっと政治的駆け引きが描かれていたらしく、映画ではそこを省略しているために「リアリティがない」「ご都合主義だ」と批判されたようである。しかし、「科学」と並んでこの映画のテーマである「ヒューマニズム」が、このシーンで最も鮮やかに表現されているような気がする。科学オタクやSFオタクだけが喜ぶような「リアリティ」ばっかりを気にした作品にしていたら、ここまでの名作にすることは到底叶わなかったであろう。まあ、この映画の公開後に中国政府が起こした諸々の不祥事を見ていると、「あいつらがヒューマニズムのために行動するわけないだろ」と思わされてしまうことも否めないのだけれど…。

 また、わたしは「オタク」っぽさが全面に出ている作品や登場人物のオタク性が称賛されたりする描写があまり好きではないのだが、この映画は(原作は理系オタクがインターネットに発表した同人小説だということもあって)そういう要素がちょっと強い。そういえば『コンタクト』もロマンを追求する理系オタクを称えて科学に理解のない俗物な利益主義者がひどい目に合う内容だったが、宇宙ものの作品ではそういう傾向が強くなってしまうものかもしれない。とはいえ、この映画では主人公の理系知識がサバイバルと結び付いているのだから理系要素を描写することに必然性があるので許せる。また、「植物を栽培した時点でそこは植民地となる」とか「航海法の定義からして俺は宇宙海賊ということになる」などの、文系的な要素のあるトリビアもなかなか印象的だった。

 役者としては、主人公のマット・デイモンはもちろんのこと、ディスコミュージック好きの女船長(ジェシカ・チャステイン)や口が悪くて気さくな男クルー(マイケル・ペーニャ)や美人なのにオタクな女性クルー(ケイト・マーラ)、冷徹なリアリストなNASA長官(ジェフ・ダニエルズ)と彼に逆らう人情派のNASA職員(キウェテル・イジョフォー)、彼らに振り回される広報責任者(クリステン・ウィグ)にやたらと可愛い火星観測員(マッケンジー・デイヴィス)など、脇役たちもみんなゴージャスで魅力的である。