THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『桐島、部活やめるってよ』

 

桐島、部活やめるってよ

桐島、部活やめるってよ

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 田舎の高校を舞台に、男子/女子や体育会系/文化系それぞれの登場人物が入り混じる群像劇ものの作品。パッケージでは神木隆之介演じる映画部部長や橋本愛が演じるバトミントン部部員が強調されているが、この二人が主役というわけでもなく(橋本愛は他の女性役に比べて物語的にも存在感的にも明確な"ヒロイン"性があるが)、むしろ東出昌大演じる野球部部員の方がストーリー的には主役に近いかもしれない…とはいえ、映画を観終わった後にもっとも印象に残るのはやっぱり神木隆之介である、という塩梅が絶妙だ。清水くるみ演じるバドミントン部部員と前野朋哉演じる映画部部員も、まさに理想的な脇役という感じで好感が持てる。

 タイトルにもなっている"桐島"が結局一度も作中には登場せず、彼の不在をめぐって登場人物たちが右往左往したり普段は接点のないグループに接点ができってクライマックスにつながるという構成は、はっきり言うとあざとい。クライマックスで吹奏楽部の演奏をBGMにしながら登場人物たちが屋上に一同に会していざこざが起こるシーンも、その勢いや"エモさ"に誤魔化されそうにはなるが、よく見てみると大したことは描かれていないしちょっと演出が露骨過ぎる気もする。

 アメリカの映画であればこういう"あざとさ"や"露骨さ"が目立ち過ぎるストーリーや演出はいまや恥ずかしくてできないだろうが、その代わりに、あちらの映画ではキャラクターというものがテンプレ化し過ぎていてこの映画のような微妙な描き分けというものができなくなっている。神木隆之介をはじめとする映画部の面々はいわゆる"隠キャ"を代表しているが、この"隠キャ"たちの痛々しさや滑稽さや中途半端な積極性の描き方が実に上手い(だから、観ていて色々とモゾモゾとしたりもどかしくなったりする)。喋り方や走り方の段階から隠キャ特有の感じがしっかり表現できているのだ。そして、"陽キャ"の面々の描写にも実にリアリティが感じられる。脚本やセリフのレベルに留まらず、特に男子連中はいかにも高校の運動部にいそうな顔付きをしている役者が体育会系の高校生が吐きそうな言動をしているし(東出昌大のキャラクターにはさすがにちょっと虚構性があったが、モブキャラ的なバレー部部員や野球部部員などは恐ろしいくらいに"体育会系の男子高校生"そのものの顔と喋り方をしている)、女子連中はちょっと年齢が誤魔化せていない人たちが多かったがバーバリのマフラーや会話の感じや髪型などの小道具によって見事に「女子高生っぽさ」を表現することができている。日本映画といえば学園ものや青春ものが多いけれど、"リアル"を追求するタイプの学園ものや青春ものはなかなかないので、この映画はその点でも貴重で特異性があって新鮮味が感じられる。

 アメリカ映画は「学園ものはこういう風なキャラクターを出してこういう風な設定にしてこういうテーマにするものだ」という"文法"があまりにも確立し過ぎているために、何を観ても新鮮味がないしリアリティも感じられない。韓国などの他の国の場合にも、こういうタイプの映画を撮るときには物語や作品的な"巧さ"を出したくなるという欲が出てしまうために、この映画のような絶妙なリアリティは再現できないだろう。そういう点ではまさに日本映画でないと撮れない作品のような気がする。

 もうひとつ、この映画が日本でないと成立しない理由は、日本における学園生活や青春というものの多様性のなさ…少なくとも建前や常識としては日本で青春を過ごす人は大体多かれ少なかれ同じような環境で青春を過ごしてきており"部活"や"進路"に関する諸々の事情や感情について理解や共感ができるとされていること、というのがあるかもしれない。だからこそ、作中での説明や物語的なテンプレなどを抜きにして「こういう感じ、わかるでしょ?」と観客の共感を前提とした物語を作ることができるのだろう。