THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『アカルイミライ』

 

アカルイミライ

アカルイミライ

  • 発売日: 2017/10/13
  • メディア: Prime Video
 

 

 ときおり未来を夢で見ることのできる主人公の仁村(オダギリジョー)、主人公が働いているおしぼり工場の同僚の守(浅野忠信)、そして守の父親の真一郎(藤竜也)が主な登場人物となる。明らかに情緒不安定で暴力性を秘めた仁村がいつ爆発するかと思っていたら、むしろ彼の保護者然としていた守の狂気が明らかとなって彼が殺人を犯して捕まって死刑となり、その葬儀を通じて仁村と真一郎が出会って…というストーリーだ。主人公は仁村であるが、真一郎と守に関するパートにもけっこうな尺が割かれており、真一郎は準主人公的な立ち位置となる。そして、物語の前半で退場することになるが後々まで仁村と真一郎に対して影響を及ぼし続けることになる守も、かなりの存在感を放っている。

 全編に死や狂気や暴力の雰囲気を匂わせつつも、それが本格的に表に出る場面は守による凶行のシーンくらいだ。仁村はモノに当たったりはするが人間に対して直接的な暴力は振るわないし、彼がヤンキーな若者集団と合流して犯罪をする場面でも傷害は発生しない。それでも、常に不穏で次に何が起こるかわからないピリピリとした雰囲気を描いているのはさすがだ。また、人が良さそうで父性的で包容力があって寛容で優しいのにどことなく不安定さがあり信頼することができない真一郎のキャラクター性もさすがである。おしぼり工場の社長(笹野高史)の、悪い人ではないし面倒見のいい人だが無神経で人の気持ちを逆撫でするようなキャラクターの描写もよかった。

 なにより、途中で退場してしまった守の夢や意志を継ぐかのように仁村に世話をされてやがては東京中の川へと解放されて増殖して最終的に東京を脱出して海へと向かう「クラゲ」の存在感がよい。都会の水辺に仄かに光るクラゲが漂うシーンはちょっといかにもという感じがして露骨な気もするが、この映画の全体に漂う青春感や素人文学感にマッチしている。

 観ている間は自体がどう悪い方向に転ぶかという不安に気を取られてハラハラするが、終わってみるとかなり後味がよくて爽快感も抱ける、良い作品だ。1990年代の雰囲気を引きずった2000年代初頭の退廃的ではあるがどこか浮世離れしている時代性も、この作品にピッタリであるだろう。