THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『アイアンマン』

 

アイアンマン (吹替版)

アイアンマン (吹替版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

『アイアンマン』の1作目を初めて視聴したのは2015年か2016年で、『2』と『3』を劇場で鑑賞してから数年後だ。この映画が大ヒットしたことで『アベンジャーズ』から『エンドゲーム』に至るMCUのプロジェクトが成立したわけだ。

 改めて見ると、たしかにヒーロー映画の「オリジンもの」としても『マイティ・ソー』『キャプテン・アメリカ/ファースト・アベンジャー』なんかよりもずっと出来がいいことがわかる。物語の前半は主人公のトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)がアフガニスタンでテロ組織に捕らえられて、囚われの身から脱出する手段としてアイアンマンスーツ(この時点ではプロトタイプ)を製作するところが描かれる。自分が被害者の身になったことや、一緒に捕らわれたホー・インセン博士(ショーン・トーブ)の身の上話を聞いたりすることで武器産業の負の側面を直視したことから、主人公は武器産業への撤退を宣言しつつアイアンマンスーツの開発を続ける。リアクターという機器の開発を続けてテロリストの攻撃によって心臓に負った傷への対処をしつつ、自分の会社の武器を用いて罪なき人々を傷付けるテロリストたちを成敗することも目的だ。つまり、当初は自分の生存のためにスーツを開発していた主人公だが、そのスーツ開発の目的が"自分(の会社)がやったことの責任を取るため"ということに変わり、よりヒーローらしい存在に近づくのだ。そして、副社長であるオバディア・ステイン(ジェフ・ブリッジス)がテロリストたちに武器を供与していた黒幕であることが判明してアイアンマンスーツの技術も盗用されて、市街地でアイアンマン同士の対決が行われたことによりその存在が世間にも明るみに出て、「わたしがアイアンマンだ」と主人公が宣言したところでスタッフロール…という流れである。
 トニー・スタークは一見すると無責任で傲慢で我儘な性格をしているため、『アベンジャーズ』シリーズで共演するキャプテン・アメリカやソーと比べても「なんでこんな人間がヒーローをやっているんだ?」とついつい疑問に思ってしまう。『アイアンマン2』でも彼がヒーローとして活躍する動機がいまいちよくわからなくてノレなかった。しかし、この1作目では、彼がヒーローとして戦う動機がかなりスムーズかつ説得力を持って表現されている。途中で退場してしまうインセン博士の自己犠牲が主人公に影響を与えたこともわかりやすい。また、アフガンでのシリアスで重苦しいシーンがしばらく続いた後に、自前の研究室でプロトタイプではない本格的なアイアンマンスーツの開発を試行錯誤しながら進めていく楽しいシーンが挟まれて、その後に副社長の悪行が判明してまたシリアスな話になる、という緩急のつけ方も優れていると思う。

 主人公がテロリストのアジトから脱出するシーンや副社長がアイアンマンスーツ(正確にはアイアンモンガースーツ)を着込んでヒロインのペッパー(グウィネス・パルトロー)を追いかけるシーンなど、よく見ると不気味なアイアンマンスーツの造形を活かしたホラーっぽい描写も面白かった。試作段階で判明した「飛んでいる際に高度を上げすぎた際に起こる氷結に対処できない」という問題が最後の戦闘で逆転の手段として関わってくる場面も洒落ているし、アメリカ軍の戦闘機といざこざを起こすシーンでもなかなか小粋な描写がされている。

 ただし、出来がいいのはわかるのだが「面白い」かというと話は別で、やっぱりどうにも面白くは感じられない。シリアスなパートはあれども全体的に「軽薄さ」が漂う作風や、主人公以外のキャラクターの描写があまりに表面的であるところが苦手だ。これはアイアンマンという設定や原作の問題であるだけでなく、監督のジョン・ファブローの作風の問題もあるだろう。この人の監督する作品は、どれもそれなりに小器用でエンタメ映画としての及第点に達しているものが多いとはいえ、やはり「軽薄さ」が感じられてあんまり面白くない作品が多いのだ。この「軽薄さ」を言語化することは難しいのだが、1980年代とか1990年代とかのアクション映画などに顕著なあの感じである。