THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『アントマン&ワスプ』

 

アントマン&ワスプ (字幕版)

アントマン&ワスプ (字幕版)

  • 発売日: 2018/12/19
  • メディア: Prime Video
 

 

アントマン』シリーズはMCUのなかでも異色な作品で、「自分の体を小さくすることができる」が主人公であるスコット・ラング=アントマンポール・ラッド)というヒーローの能力のキモとなっているため(自分の体を大きくしたり他の物体の大きさを変えたりすることもできるし蟻を操ることもできるのだが、それらは付随的な能力として描かれている)、舞台のスケールをあえて小さくして、他のMCU作品にはないような日常的な場所における小規模な物語の展開が描かれるようになっている。

 また、主人公は元泥棒の前科者であるし、他のヒーローほど正義感や使命感や自己犠牲の心が目立つわけではない(といっても、実際の世界の一般人に比べるとずっとお人好しで責任感もある人格をしており、ヒーローの資格は充分にある人間ではあるが)。あくまでたまたま特殊能力を手に入れた一般人として活動することが主なために、S.H.I.E.L.Dなどの世界的組織に関わることもない。その代わりに、元妻との間にできた娘との心温まる交流の描写や、ルイス(マイケル・ペーニャ)を始めた仕事仲間との愉快なやり取りなど、一般的なアメリカ映画の登場人物らしい人間関係の描写が豊富だ。

 ある意味では最も「普通のコメディ映画」に近いMCU作品であり、それは欠点としてもあらわれる。前作では主人公と敵役がどちらも小さくなっているために、終盤における彼らの死闘が俯瞰的にみたら実に小規模であるというギャップが描写されるシーンが印象的だった。今作でも、「他の物体の大きさを変化させられる」という能力をフルに活かした、創意工夫の感じられるギミック描写が目白押しだ(研究所を小さくしてスーツケースのように移動させる描写や、車のサイズ変更を活用した独特なカーチェイスのシーンなど)。また、体を小さくし続けた果てにある量子空間の世界もSF的に描かれる。…それでも、どうしても絵面が地味だという点は否めない。ホープヴァン・ダイン=ワスプ(エヴァンジェリン・リリー)は戦闘の訓練を受けてきたという設定があるためにそのアクションシーンにはアントマンよりもプロっぽい雰囲気が感じられるし、身体の大小の切り替えを駆使した格闘描写にはオリジナリティがあるのだが、敵の大半が一般マフィアだということもあってかやっぱりイマイチ映えないのだ。「日常の範囲内でのヒーロー活動」という設定が、この点では災いしているようにも思える。

 そして、画面作りや設定やアクションシーン以上に、役者陣に華がないことが致命的な欠点だ。ポール・ラッドの人の良さが感じられるシーンは好ましいといえども美男ではないし、それ以上にエヴァンジェリン・リリーは申し訳ないけれど美しくもなければ可愛くもなく若くもない。これがブラック・ウィドウをあれだけ魅力的に演じているスカーレット・ヨハンソンであれば映画自体の印象がだいぶ良くなっただろうし、『マイティ・ソー』が話は退屈であってもナタリー・ポートマンの魅力だけでお釣りがくるくらいになっていたことを思うと、やっぱりヒロインのキャスティングとは重要だなと思わされる。ハンク・ピム博士を演じるマイケル・ダグラスやビル・フォスターを演じるローレンス・フィッシュバーンにはベテランの貫禄を感じるが彼らはそんなに話の中心ではない。一応のヴィランであるエイヴァ・スター=ゴーストを演じるハナ・ジョン=カーメンも…やっぱり、とりたてて魅力があるわけではない。マイケル・ペーニャは安定のコメディリリーではあるが、所詮は脇役だ。

アントマン』シリーズは一作目も二作目もMCU映画のなかでは興行収入が下位にあるらしいが、やはり、この「華のなさ」が足を引っ張っているのだろう。

 

 ストーリーについて言うと、おそらくMCU映画ではいまのところ唯一の「悪役がいない物語」である。ヴィランであるゴーストは同情に値する事情があるうえにさほどの悪行を成しているわけではなく、物語が終わったとには主人公たちと若いする。マフィアのソニー・バーチ(ウォルトン・ゴギンズ)も主人公側の研究を狙って邪魔をしてくるが、悪役というよりかはコメディ的なお邪魔キャラに近い立ち位置だ。そこに警察やFBIも巻き込んですったもんだするドタバタ劇なお話は、MCUという枠組みで見ればなかなか新鮮さがある。前作もコメディ寄りな映画であったとはいえヴィランであるイエロージャケットがガチの悪人であり脇役がグロく殺されるシーンも描かれていたことを思うと、今作では後味を良くして爽やかな終わり方にするために悪人も登場させなければ悲惨な犠牲者もつくらない、という工夫がなされているように思える(とはいえ、スタッフロールの後には『エンドゲーム』へのヒキのために不穏な後日談が描かれることになるのだが…)。

 ただし、同じくコメディ要素の強い『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズが王道路線を貫いているのに比べると、「はずし」や「すかし」が多いぶん、ストーリー展開の面でもコメディ面でも観客の情動に訴えるパワーが少なめに感じられところは否めない。良作ではあるのだが、「小品」という感じである。

 とはいえ、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』で描かれる疑似家族の描写もいいものだが、『アントマン』シリーズで描かれる血の繋がった娘との親子関係の描写もやっぱりいいものだ。よく指摘されることだが、元妻の再婚相手の警察官(ボビー・カナヴェイル)が善人として描かれている点も観客の好印象を与える(多くの映画では、元妻の現在の夫や恋人というものは不当に悪く描かれがちであるからだ)。それなりにワクワクハラハラできてそれなりに笑えてそれなりにしんみりできるという点で、まあバランスの取れた作品ではあるだろう。