THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『トイ・ストーリー』

 

トイ・ストーリー (吹替版)

トイ・ストーリー (吹替版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 1996年に日本公開されたこの映画は、1989年生まれのわたしと同世代の人たちにとってはかなり思い入れのある映画となっているようだ。そのために14年後の2010年に公開された3作目『トイ・ストーリー3』は大絶賛されたし、また2019年の『トイ・ストーリー4』は酷評も含む賛否両論の嵐となった。

 わたしも1作目と2作目は親に映画館に連れて行かれて観にいった…ような気がするが、もしかしたら2作目しか観に行っておらず、1作目はビデオで観たりあるいは児童向けのなにかのイベントの上映会で観たかもしれない。要するに、観たことはあるような気がするが詳細はまったく覚えていないということだ。今回に改めて鑑賞したときにも、ところどころの場面になんとなく見覚えはあるような気がしたが、内容はさっぱり忘れてしまった。…そもそもわたしの家庭はかなりスノッブな一家なので、ジブリやディズニーなどの子供向け映画、特にピクサーのようなCG作品は「ケバケバしくて下品だし、子供だましで内容がくだらないに決まっているから」ということで、あまり観せてもらえることがなかった。

 というわけで、キャラクターは知っていても内容はほとんど知っていない状態で、改めて『トイ・ストーリー』を観てみたのである。

 

『3』の印象からアンディ家のおもちゃが一丸となってトラブルや困難に立ち向かうチームものの作品だと思っていたのだが、そのような描写が描かれるのは冒頭とクライマックスだけだ。

 それまではアンディ少年の一番のお気に入りであったウッディが、新品で高性能なおもちゃであるバズ・ライト・イヤーにアンディが夢中になることで自信をなくしたりバズに対する嫉妬心を抱いたりして、そしてバズにちょっかいを出してみると予想以上の大事故になってしまったために仲間からは「ウッディはバズを抹殺しようとした」と疑われて私刑にかけられそうになる。中盤以降は、アンディのもとからはぐれてしまったバズとウッディが二人組で行動して、なんとかアンディ家に戻ろうとする展開が続く…。

 自分の上の立場にいる人間(アンディ)からの歓心を新参者であるバズに奪われて、そして自分の情けない嫉妬や負の感情を外に出してしまったためにおもちゃたちの間でのリーダーというポジションもあっけなく奪われて、あまつさえ私刑にかけられそうになる、というのはこれが人間の話だと考えるとかなりエゲツない。おもちゃという設定にすることでだいぶマイルドになっているが、やはり「いやらしさ」みたいなものが全編に付きまとう(自分のことをおもちゃではなくヒーローと信じているバズ・ライト・イヤーも、かなり痛々しくて悲しい存在だ)。『クレヨンしんちゃん』や『ドラえもん』などの日本の子供向け作品では、このタイプの「いやらしさ」を描く作品はなかなか無いように思える。友人で「『トイ・ストーリー』はホラー描写がこわいし精神的に重くなる展開が多くて苦手だ」と言っている人がいたが、その気持ちはわからなくもない。

 この「いやらしさ」がキャラクター描写にリアリティを与えていることも確かなのだが、一方でストーリー展開やアクションシーンなどは子供向け作品らしい荒唐無稽なものであり、そこが噛み合っていなくてチグハグな感じがすることが気になる。「小さなおもちゃであるからなんて事のない街中でも大冒険の舞台に早変わりする」という設定があるとはいえ、CGアニメの黎明期の作品であるために映像の卓越性のようなものが感じられない(要するに、映像がショボい)ところもネックだ。たとえばわたしに子どもができたとして、アニメなどを理解できるようになったら真っ先に見せたい作品、というわけにはいかないだろう。