THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『トイ・ストーリー3』

 

トイ・ストーリー3 (字幕版)

トイ・ストーリー3 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 シリーズ1作目である『トイ・ストーリー』から15年も経った後に公開された作品であり、1作目の頃には子どもであったがいまは大人になっている世代をメインターゲットにするというちょっとメタ的な狙いのある作品だ。当時は大ヒットしたし映画感想界隈でもかなり絶賛されていた記憶があるし、「ディズニーとかピクサーとかの映画って、大学生や社会人でも映画館まで観にいっていいんだ」とわたしに思わせてくれたのもこの作品が最初である(それまでは「この年齢になってディズニー映画を観ることないでしょ」と、ほとんど反射的にディズニー映画とかピクサー映画とかを選択肢から外していたのだ)。

 

 改めて1作目を観た直後に3作目を観てみると、作劇やキャラクター描写が断然とレベルが高くなっていたり洗練されていたりすることがよくわかる。アンディ家のおもちゃたちが到着してしまった保育園における、一見すると理想的であるが実際にはロッツォ・ハグベアによる恐怖政治の環境から監視をかいくぐって脱出する展開は、名作が多い「脱獄もの」映画のオマージュという感じでおもしろい。ひとり脱出に成功したウッディの場面と保育園内で単独捜査をするバズの場面、そしてその他のおもちゃたちの場面が同時進行で描かれることにより、飽きのこない洗練された展開になっていることが感じられる。保育園の後に訪れるゴミ収集車内部のシーンの緊張感もなかなかのものであるし、味方集団と敵集団のそれぞれにおいて特殊な立ち位置となるバービー人形とケン人形の扱い方もなかなか良かった。

 ロッツォ・ハグベアも、悪役落ちするきっかけとなるシーンは描かれておりそれなりに同情の余地があるとはいえ、かなり歪んでいて憎たらしい性格をしており、なかなか印象的な悪役となっている。

 

 当時において絶賛されたのは、やはりクライマックスにおけるアンディ青年とおもちゃたちとの別れのシーン、そしておもちゃたちが「自分たちはアンディ家の屋根裏に保存されるのではなく、別の子どものおもちゃとなってその子と一緒にまた遊ばれたい」と決意するシーンだろう。ウッディとアンディとの別れのシーンも、観る人によっては感動的かもしれない。

 …とはいえ、1作目をよく観てみると、アンディとおもちゃたちとの絆がそれほど強く描かれていないことに気付かされてしまう(むしろ、この3作目の冒頭に描かれるアンディの空想シーンの方が、1作目よりもずっとアンディがおもちゃに対して抱いている気持ちを強調できていたように思える)。また、自分自身が子供の頃に遊んでいたおもちゃに対して強い思い入れを抱いている観客であれば共感できるところも多いかもしれないが、子どもの頃から個々のおもちゃに対してさほどの思い入れを抱いていなかったわたしのような人間の場合、いまいち共感できるところもなければ感動できるところもない。全体的にソツなく収まっていて欠点のない「上手」な作品であり、完成度も高いとは思えるのだが、際立って優れているポイントがないような作品でもあると思う。世間一般におけるこの作品の高評価には、世代的な側面も否めないであろう。