THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『女は二度決断する』

 

女は二度決断する(字幕版)

女は二度決断する(字幕版)

  • 発売日: 2018/11/02
  • メディア: Prime Video
 

 

 クルド系移民のヌーリ(ヌーマン・アジャル)と獄中結婚したカティヤ(ダイアン・クルーガー)は出所後にロッコという名の息子をもうけていたが、ある日に夫婦で経営している旅行代理店を狙った爆弾テロが起きて、ヌーリとロッコは死んでしまう。カティヤは犯人は人種差別のネオナチだと確信するが、警察はヌーリが元犯罪者のクルド系移民だということからイスラム教徒関連の犯罪やテロ事件が原因だと決めかかって、親族や知人からも冷たい態度を取られてしまったカティヤは苦しんで自殺未遂にまで追いつめられてしまう。しかし、ギリギリのところで容疑者の男女が逮捕される。彼らは、カティヤが主張していた通りネオナチだった(警察は無能だったのだ)。

 そして晴れて裁判となるが、ネオナチの側が手強い弁護士(ヨハネス・クリシュ)を雇ったために、裁判もうまくいかない。容疑者の父親が息子を見放して不利な証言をしたり、カティヤノの弁護士のダニーロ(デニス・モシットー )も奮迅するのだが…どう見てもネオナチの男女が有罪であるのに、カティヤが薬物を摂取していたことから彼女の証言にも信ぴょう性が無いということにされ、他に決定的な証拠がないということから、推定無罪の原則により無罪になってしまうのだ。

 裁判の終了後、釈放されて国からの補償金によりギリシアでバカンスを楽しんでいるネオナチカップルのもとに、カティヤが忍び寄る。彼らが滞在しているキャンピングカーに自生の爆弾を仕掛けて殺すことで復讐を成し遂げよう、とカティヤは考えたのだ。いちどは直前で爆破を取りやめて、ギリシアの自然にも囲まれていろいろと考え直したカティヤであったが…。

 

 重苦しい内容を扱った社会派的な映画である。ラストシーンはちょっと衝撃的であるし、狭苦しくて冷たい色調の法廷ばかりが映される中盤とギリシアの色彩豊かで雄大な自然に囲まれた終盤のギャップは印象的だ。そして、社会問題を扱った作品ではあるがカメラは終始カティヤばかりを映しており、あくまでカティヤの一人称的な私的な視点から事件を描くことに特化させるという、文学的な要素も兼ね備えた作品である。

  見る前にはもっと社会問題を強調した作品であると思っていたが、カティヤのタトゥー(途中まで入れていたサムライのタトゥーを、復讐を決意したときに完成させる)や生理現象が重要なポイントとして描かれていることなど、一人の女性の物語としての側面の方がずっと強い。犯人たち(どうでもいいが、女性の方が妙に可愛らしい)の背景はほとんど描かれることがないことや、「いくらなんでもこの状況で推定無罪になるか?」というちょっとリアリティに欠ける展開などについても、ネオナチやテロといった社会問題は物語においてはあくまで後景に位置するものでしかない、と考えると納得がいく。カティヤのリストカットや生理のシーンなどは目を逸らしたくなるグロさがある一方で映像として印象的なことは確かだし、ラストシーンに至るまでにカティヤが"決断"する過程の魅せ方もなかなか映画的に優れているように思える。

推定無罪の原則のせいで法律じゃ頼れないから自分の手で私刑を執行する」という内容ではある。だが、観客はカティヤという人物に対する共感や同情を抱けても彼女の行為には賛成や同調をすることは難しい、という絶妙なバランス感覚が成立している作品である。そのために、"復讐劇"的な構成になっておりながら、安直なスカッと感は一切ない。

 物語面においても映像面においても技巧レベルが高くて監督の"ねらい"を過不足なく表現することに成功している、完成度に優れた作品である。主演のダイアン・クルーガーも実に魅力的な女優だ。

 

 ……と、鑑賞後に振り返ってみて理性的に整理すれば上記のように褒める要素しかない作品ではあるのだが、観ていて面白かったかというと、そんなことはなかった。特に序盤が重苦しくてつまらなくて序盤の時点で集中力や作品に対するモチベーションをだいぶ失ってしまい、優れた感じになってくる中盤になっても作品にノることができなかったのだ。

 英語か日本語の吹き替えがあればもう少し集中して見ることができたのだが、少なくともNetflixではドイツ語版しか用意されていないというところが個人的にネックだった。

 また、これは我ながらひどい言い方であるのが、タトゥーを入れまくっていてタバコを吸いまくり薬物も摂取しちゃうカティヤがいかにも「ガラの悪いヨーロッパの白人女」という感じで、最初は感情移入することが難しかったという問題がある。以前に外資系の職場で働いていたときはこういうヨーロッパ人の男女が多くいたのだけど、こわかった。しかし、カティヤが普通の品行方正な女性であったらこの映画は成立しないだろう(カティヤの行動力や根性の強さは彼女がヤンキー的な女性であるということに由来しているだろうし、またカティヤがガラの悪い女性であるからこそ警察も彼女に対してひどい態度をとったのだ)。

 あと、最後の場面はちょっと衝撃的でちょっと印象に残るが、そこまですごいというわけでもない。「上手い映画」であることは間違いないが、年間ベストになるような「名作」には至らないと思う。