THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『天使にラブ・ソングを…』

 

天使にラブ・ソングを・・・ (字幕版)

天使にラブ・ソングを・・・ (字幕版)

  • 発売日: 2018/11/11
  • メディア: Prime Video
 

 

 なんか昨日にテレビ放送をやっていたみたいだが、わたしはちょうどディズニー・デラックスに無料期間で加入中だったので、そちらで視聴。

 中学生の頃に英語だか音楽だかの授業で観せられた思い出があるが、詳細な内容はほとんど覚えていなかった。

 

 恋人であるマフィアのボスのヴィンス(ハーヴェイ・カルテル)が部下を始末する場面を目撃してしまった歌手のデロリス・ヴァン・カルティエウーピー・ゴールドバーグ)が警察に通報に行ったところ、ヴィンスを追っているサウザー警部補(ビル・ナン)の計らいで修道院に匿われることになる。厳格な修道院長(マギー・スミス)から「シスター・メアリー・クラレンス」の偽名を授かったデロリスであったが、子どもの頃から不敬で世俗的な性格をしていたために、修道院長ともソリが合わないし修道院での生活も窮屈に感じられる。しかし、その破天荒で気さくな性格から、ぽっちゃりで陽気なメアリー・パトリック(キャシー・ナジミー)やメアリー・ロバート(ウェンディ・マッケナ)などに慕われるようになっていく。そして、歌手としての経験を買われて聖歌隊の指揮者を任されたデロリスは、本領を発揮してモータウン風にアレンジした聖歌パフォーマンスを生み出し、それまで閑古鳥の状態であった修道院は礼拝者で溢れかえるようになった。地域の人々との交流や社会活動も活発化していき、修道院長の不安をよそに、シスターたちも活き活きと積極的で社交的になっていく。修道院の活動はテレビにも取り上げられるようになり、ついには訪米したローマ法王の前で聖歌パフォーマンスをお披露目する機会も訪れた。だが、案の定、目立ちすぎてしまったグロリスの所在がヴィンスにバレてしまい…。

 

 配給がディズニーであることも納得の、よく言えばファンタジー、悪く言えば荒唐無稽で子供だましな内容だ。冒頭から人が死んだり、グロリスが修道女に求められる「純潔」の誓願に抵抗感を示したり性的な言葉を口走るシーンだけはディズニーらしくないと言えるが。

 匿われる立場でありながら目立つ行動を取りまくってしまい案の定所在がバレるデロリスの行動に納得できない観客はいるだろうし、そもそもマフィアのボスの恋人になっている時点でロクな人間ではないという見方もできる。デロリスの行動が(修道院長を除く)シスターたちにほとんど葛藤や抵抗を生じさせることもなく受け入れられていってシスターたちに影響を与えていく展開もあまり説得力のあるものではなく、雑といえば雑だ。

 

 とはいえ、そもそも細かい部分を気にするべき作品ではなく、陽気で元気が出る音楽シーンや個性豊かなキャラクターたちなどのエンタメ性を楽しむべき映画であるのだろう。デロリスをはじめとしてパトリックやロバートや修道院長、その他の脇役の修道女たちもいずれもキャラが立っていて魅力的だ。「尼さんを撃つことなんできない」という妙にお人好しなヴィンスの部下たちや、ラストシーンで背後だけ映って聖歌パフォーマンスにノッている法王などもいい味を出している。…しかし、そのキャラの立ち方は、90年代のエンタメ映画にありがちないかにもテンプレで書き割り的なものであることには違いない。展開の予定調和さといい、悪い意味で実に「ディズニー」らしい作品である。