THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『月影の下で』

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 1988年のフィラデルフィアにて、バスの運転手や料理人やピアニストなど、それぞれの関連性のない人物が同じタイミングで鼻や口や耳から血を流して突然死する、という事件が起きる。被害者たちのうなじには、注射のようなものを刺された跡があった。これを手がかりに警官のトーマス・ロックハートボイド・ホルブルック)が事件を捜査すると、怪しい黒人女性(クレオパトラ・コールマン)が事件の犯人であることがわかり地下鉄まで追い詰めるが、相棒の警官(ボキーム・ウッドバイン)が返り討ちにあって殺されてしまい、女性の方も地下鉄に轢かれて死んだかと思われた。…だが、その事件から9年後の1997年、再び同様の事件が起こって、轢かれて死んだはずの女がまたもやトーマスの前にあらわれる。そして、事件にはタイムワープが関わっている可能性も示唆された。そのさらに9年後の2006年にもトーマスと犯人の女性は遭遇することになり…。

 

 不穏でショッキングな事件が起こる出だしから、トーマスが果敢に事件を追求する序盤は面白かったが、タイムワープの要素が本格的に表に出た途端に凡百のSF作品に成り下がる。特にタイムトラベル系のミステリーは普通のミステリー以上に展開のパターンが限られているので、オチもあっという間に予想が付いてしまって惹きこまれない。主人公とその相棒、義兄である刑事(マイケル・C・ホール)のキャラクター描写や関係性などはテンプレ的なものでありながらツボを押さえられており、タイムトラベルが関係ない捜査パートは普通に一定以上のクオリティがあるだけに、SF要素の安直さが惜しい。

 ところで、冒頭のピアニストとか殺害方法とか、ところどころで『砂の器』を思い出したりもした(原作版の超音波凶器とか)。いちおうこの作品も「差別」をテーマにしてはいるから、ちょっとは意識されているのかもしれない。

 

 しかし…ネタバレしてしまうと「未来に白人至上主義者による凄惨なテロ事件が起きたから、過去に戻って白人至上主義のイデオローグを抹殺することで、白人至上主義自体が盛んになることを阻止してテロ事件を防ぐ」というのが犯人である女性の目的だ。被害者のうちひとりがアメリカの建国の父であるトーマス・ジェファーソンの伝記本を持っているシーンが描かれる(つまり、白人至上主義という問題の根源はアメリカの建国にまで遡ることを主張している)など、けっこう過激なメッセージが描かれていると言えなくもない。

 だが、他の映画の感想記事でも何度か書いてきたが、昨今の欧米の映画において「白人至上主義者」や「レイシスト」を批判的に描くことは、最も無難で安直な選択である。ふた昔前の映画におけるソ連、ひと昔前の映画における中東系のテロリストに与えられていた役柄が、昨今では国内の白人至上主義者に与えられているというだけである。レイシズムや人種対立というものは他のイデオロギー対立以上に根深く対処困難なものであり、経済や階級とも関係していれば人間の生得的な側面にも関係しているものであって、「思想」をなんとかすればどうにかなる、というものではないのだ。それを真面目に考えれば「イデオローグがいなくなればヘイトクライムが起きなくなる」という展開は描けないものだが、製作陣としてはこの映画の主題はあくまでSFやサスペンスの要素であり人種差別云々は犯人の動機付けや物語の味付け程度に描いているつもりなのだろう(だからこそ、"殺害"の対象を人種差別主義者にしたのだ)。というわけで、この映画を見て政治的メッセージ性を真剣に考える人がいるとしたらその人はアホだ。

 しかし、いつものことであるが、最近の欧米の映画における「こいつら(白人至上主義者、田舎白人、レイシストナショナリスト保守主義者…)だったら悪人に描いてもいいし殺しても誰も文句言わないだろ」という安直さは目に余る。典型的なエコーチェンバーだ。そのうち、手ひどいしっぺ返しが到来するかもしれない。