THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ザ・ライダー』

 

ザ・ライダー (字幕版)

ザ・ライダー (字幕版)

  • 発売日: 2018/11/07
  • メディア: Prime Video
 

 

 ロデオショーをやっていたら落馬して頭に大怪我を負った、21世紀のアメリカに生きるカウボーイが主人公のお話。

 主人公のブレイディ・ブラックバーンは医者からは当面はロデオを止めるように命じられたが、これまでは彼の人生はロデオを中心にまわっていたので、いまさらまともな仕事をしろと言われても困る。当面のバイト的な仕事を始めてはみるがしっくり来ないし、友人たちも町の人々も自分のことを「ロデオをやるカーボーイ」として認識しているのだ。人間よりも馬と付き合っている方が性に合うし、自分が輝ける場所はロデオだけである…。

 病院や役所が出てきたりスーパーマーケットが出てきたりスマホが出てきたりと、舞台は明らかに現代であるのだが、ブレイディが馬と向き合っていたり自然のなかに佇んでいる場面はまるで西部劇のようだ。ブレイディだけでなく周りの人々もカウボーイ丸出しの服装をしており、異様な時代錯誤感がある。この時代錯誤感は『すべての美しい馬』をはじめとしたコーマック・マッカーシーの小説の読者なら馴染み深いものであるし、平原ではなくもう少し山奥が舞台となる『ウィンターズ・ボーン』や『ウインド・リバー』などにも同様の時代錯誤感があった。日本に住んでいる私たちにはとても想像できないような独特な時間軸の世界が、アメリカの各地に点在しているのだ。

 しかし、雰囲気が独特なだけで、映画としてはどうにも地味すぎる。主人公は朴訥で好感が持てる人柄ではあるがそれだけだし、自閉症の妹や主人公以上に激しい身体障害を負った友人を除けば他に印象に残るキャラクターもいない。自然の風景は美しいし馬の撮り方は彼らの知性や自我が感じられる素晴らしいものであるが、それだけならナショナル・ジオグラフィックを見ればいい話だ。なんてことのない一般人の繊細な人生の悩みについてあまり多くを語らずに淡々と描く……という作品はミニシアター系の映画なら腐るほどあるはずで、この映画が高評価される理由がよくわからない、というのが初見の際の正直な印象だった。

 

 ところで、主人公を演じる俳優は印象的な顔立ちであるが他の映画では見たことがない。主人公の父親や妹、友人知人たちにしても、みんな独特ではあるが初めて見る人たちである。……観終わった後に調べてみると、以下のような事情であったことが判明した。

 

タネ明かしをしてしまうと、主人公ブレイディを演じるブレイディ・ジャンドローをはじめ、不器用で無骨な父親や知的障害を持つ妹、ブレイディの周りの友人たちもみんな、劇中の関係性そのままにサウスダコタ州バッドランズで実際に暮らしている住人たちなのだ。

『ザ・ライダー』|ShortCuts

 

 

 というわけで、この作品の高評価もこの実験的というかメタフィクション的な手法に由来しているようだ。

 わたしは前情報を調べずに見たが、後からネットで調べてタネ明かしをされると、たしかに感心してしまう(ネットで調べなくてもエンドロールをちゃんと見ていればこの事実に気付いていたはずではあるが…)。この作品を見ている間はずっと「地味だなあ」「なんだか見たことがない変な顔立ちの人ばっかり出てくるなあ」という違和感は抱いていたものの、(少々ありきたりながらも)映画らしい展開やシーンが描かれて映画らしい着地点に落ちつくので、まさか役者たちがみんな本人でストーリーもほとんど実話であるとは想像もしなかった。そういう点では、たしかにすごい作品ではある。

 ……とはいえ、上記の要素が作品を面白くしているかどうかは、やはり別の話だ。ちょっと現代からは外れた独特な田舎町の人間模様を映したドキュメンタリーとして観ることはできるかもしれない。しかし、フィクションとして光っている部分は、やはり少ない。むしろ、印象的に思い返せるシーンや台詞に限って「あそこのシーンやセリフはいかにも映画的過ぎたから、監督が台本を書いて言わせたことだな」と思わせてしまう悪影響があるくらいだ。

 

 これは余談であるが、そもそもの根本的な問題として主人公に感情移入できないのだ。都会人であるわたしに言わせれば、ロデオなんて危なくて無益なスポーツなんだから主人公はスッパリと止めて、人生をかけるべき他の物事をさっさと探せばいいのである。もっといえば、ロデオなんて危険なスポーツは国や政府が禁止するべきだ。ついでに言うとボクシングやその他多くの格闘技も危険だから禁止するべきだし、競馬も動物虐待だから禁止するべきである。……そういう考えを強く持ってしまっているので、危険なスポーツに人生の意味を見出してしまっている人に対しては、わたしはどうしても共感できないのである。