THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』

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 5歳の頃に父親とともに中国からアメリカに移民してきたエリー・チュウ(リーア・ルイス)は高校生の頃には中国人らしい秀女となっており、駅舎で働いたり同級生たちの授業の課題レポートを代筆するアルバイトをしたりして日銭を稼ぐことで家計を支えていた。ある日、アメフト部に所属する同級生のポール・マンスキー(ダニエル・ディーマー)から、彼が恋い焦がれている高嶺の花な美人女子高生アスターフローレス(アレクシス・レミール)へ送るラブレターを代筆してくれないかと頼まれる。同性愛の傾向があるエリーもアスターへ密かな恋心を抱いており、当初はポールの依頼を断るが、家計の事情から背に腹はかえられず渋々ラブレターを代筆することになる。……二人とも知的な趣味をしていて本好きであるエリーとアスターの文筆の相性は予想以上によくて、スマホを用いたチャットも盛り上がるようになった。

 だが、ついにポールがアスターとデートしてキスなどもするようになると、エリーの心はモヤモヤする。さらに、アスターとの文通という共同作業を通じてお互いの悩みや価値観を伝えあったエリーとポールもかなり仲良しとなっていたのだ。しかし、「エリーは俺のことを好きなんじゃないか」と勘違いしたポールがエリーにキスをしてしまい、さらにその現場をアスターに見られてしまって、事態はややこしくなっていく…。

 

 同性愛というテーマも扱われてはいるがそこがメインではなく、奇妙な共犯関係を通じて親密になっていくアスターとポールとの関係がメインとなっている。外見はパッとしなくて内向的であるが真面目な秀才で責任感も強いエリーと、一見すると何も考えていなさそうに見えるが将来の夢はしっかりと抱いており素直で友情にいポールはどちらもいいキャラクターをしているし、彼らが徐々に打ち解けていってお互いに関する理解を深め合って助けあうようになる展開は心暖まるものだ。

 苦労人なエリーは応援したくなる主人公であるし、英語がほとんど喋れなくて毎晩居間で映画を見ることが楽しみなエリーの父親(エドウィン・チュー)もかなり良い脇役となっている。ホットドッグ屋をオープンすることを夢見るポールがエリーの父親に中華風のレシピを教わるシーンなどは「異文化交流」がさらりと描かれている感じで新鮮だ。一方で、「ヒロイン」であるはずのアスターは映画的にはエリーとポールとの仲を深めるための"かすがい"という程度の役割になっており、キャラも薄くて印象に残らない。むしろ、お邪魔虫的なキャラクターであるジョックな同級生のディーコン(エンリケムルシアーノ)の方が、徹底してナルシストでウザくアホではあるが悪人ではないという絶妙な塩梅の描かれ方をしており、アスターよりかは印象に残るキャラクターとなっている。そして、エリーをからかう同級生に怒ったり酔いつぶれたエリーを介抱したりと、鈍感ではあるが根は優しいポールの人の良さが実に素晴らしい。

 青春映画のテンプレ的なキャラクターを配置しながらも、主人公を中国からの「移民」に設定したこと、そして「男性に代わって女性へのラブレターを代筆する同性愛女性」という設定にしたおかげで、充分以上にオリジナリティが出せている。保守的な田舎町という舞台にしながらも、このテの映画にありがちな「先進的な価値観に理解のない田舎者」という「悪役」がひとりも出てこないところも素晴らしい。スマホの絵文字に関するエリーとポールとの会話や、登場人物が恋人の乗った電車を追いかける陳腐な映画をエリーとポールが二人で見ているシーンなどがクライマックスの伏線となっているところも気が利いている。欠点がほとんどない、小器用で洗練された映画といった感じだ。

 

 ただし、エンディングは「秀才だけど諸々の事情で田舎でくすぶっていた主人公が、学識や才能を認められて理解者に後押しされて、晴れて都会の大学に進学する」というアメリカの青春映画のテンプレート通りである。メリトクラシーを讃えるアメリカ的な価値観からすれば、ハイスクールの物語がハッピーエンドで終わるには「能力を認められて良い大学に進学する」ことが絶対的であるのだろう。しかし、いつもいつもこういう終わり方になるのにはやっぱり辟易する。移民や同性愛を描きながら「多様性」を賞賛する風味なこの作品ですらも、より根源的なイデオロギーからは抜け出せられていないのだ。

 なお、この映画では冒頭でプラトンの「饗宴」の半身論に関する描写があったりサルトルの「出口なし」からの引用があったりするが、これはあくまでエリーの「博識で考え深くて知的な趣味をしてい繊細」というキャラクター性を補強するだけの演出であって、特に哲学的なテーマが作品に反映されているわけではない*1。大学で哲学を学んでいたと思われる女性教師(エリーの理解者)のキャラクターもちょっと鬱陶しいものだった。エリーとアスターカズオ・イシグロを読んでいるところもちょっと気取り過ぎに思えたが、まあ、知的っぽい雰囲気に憧れている若者とは往々にして気取り過ぎているものなのかもしれない。

*1:

ubuhanabusa.hatenablog.comプラトンの『饗宴』は同性愛に関する映画ではよく引用されるようだ。