THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『オペレーション・フィナーレ』

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 先日の『紅海リゾート』に続き、こちらもモサドの活躍を描いた映画。1960年、モサドの隊員たちがアルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンベン・キングズレー)を捕まえて裁判のためにイスラエルに移送するまでを描いた話であり、部隊の隊長であるピーター・マルキンオスカー・アイザック)が主人公となっている。『紅海リゾート』と同じく「チームもの」な作品ではあるが、こちらはピーター以外の隊員はほとんど目立たない。紅一点なお医者さんのハンナ・エリアン(メラニー・ロラン)の美貌は目を引くが、彼女もそこまで活躍シーンがあるわけではない。

 

 言うまでもなくアイヒマンは悪人であり、彼に法の裁きを下すことは必要なことであったとはいえ、終戦から15年後に平穏な暮らしを過ごしている初老の男を捕まえて拉致して死刑が確定している裁判に連れていく、という行為はそのまま描いても映画的には盛り上がらないものである。ヘタしたら、主人公たちの方が暴力的な悪人に見えてしまう。

 この映画ではその問題を回避するために、1960年当時のアルゼンチンにも反ユダヤ主義者やナチスの信者が跋扈しておりアイヒマンが彼らに祭り上げられていたことを描いている。彼らの存在はアイヒマンを早急に捕らえることの必要性を強調するという作品のテーマを補強する効果を与えており、彼らにミッションの存在がバレて妨害されたり襲撃されたりする前にミッションを完遂しなければならないという緊迫感を生み出すという作劇的な効果も与えているのだ。

 ……とはいえ、事前段階からピーターとイスラエル首脳部に優先順位の違いがあることを描いたりアルゼンチンはイスラエルに協力しないことを強調したりして、「このミッションは難しいミッションである」ということを観客に印象付けることに苦心はされているのだが、結局のところはプロが数人がかりで初老の男を捕まえて拉致することにすぎない。終盤における「タイムリミットが迫っている」ことを煽る演出にも取ってつけた感じがするし、リアリティもあまりなかった。

 

 この映画の見所は、アイヒマンを捕まえた後、移送するための飛行機を待つ数日間の間にモサドのメンバーがアイヒマンの世話をしなければならなくなるシーンだ。モサドのメンバーはもちろんみんなユダヤ人なので、いますぐに殺したいくらいに憎い相手を法的正義のために保護する、というジレンマが発生することになる。また、移送のためにはアイヒマンに「イスラエルに行く」ことを同意する署名をしてもらう必要が急きょ生じる、という事態も発生するのだ。

 他のメンバーが「アイヒマンに刺激を与えずに退屈さで消耗させて署名させよう」と考えるなかで、主人公のピーターはアイヒマンと対話を初めて、彼が能動的に署名するように説得することを試みる。一方のアイヒマンは死刑確定の裁判はもちろん受けたくないので、なんとか裁判を回避したり捕らわれの身から逃してもらえるように交渉するのだ。このピーターとアイヒマンの心理戦が白眉となっており、ホロコーストの犠牲となったユダヤ人の悲痛をピーターに体現しつつ、アイヒマンの「悪の凡庸さ」も描こうとするのである*1。ピーターを演じるオスカー・アイザックアイヒマンを演じるベン・キングズレーのどちらも熱演しており、かなり見ごたえのある場面となっている。

 アーレントによる「悪の凡庸さ」論とは要するに「アイヒマンも我々とは変わらない普通の人間だった、極悪さや冷酷さではなく思考停止がホロコーストを招いたのだ」というものである。これは映画で扱う際には取扱注意な題材であり、アイヒマンの「普通の人っぽさ」を強調しなければならなくなるために、観客をアイヒマンに感情移入させて「そんなに悪い人じゃないじゃん」と思わせてしまう危険性があるのだ。……実際、この映画ではアイヒマンが家族思いなことを描いたり誘拐した相手に対してジョークを放つユーモアがあることを描くことで、アイヒマンの「普通の人っぽさ」や「いい人っぽさ」がかなり強調されてしまっている。ただし、これについてはメタ的な見方もできて、ピーターを懐柔するためのアイヒマンの心理戦略に観客までもがハマっていると見ることもできるのだ(つまり、ピーターがアイヒマンに感情移入してしまうことと観客がアイヒマンに感情移入してしまうこととが重なるのだ)。

 終盤にはアイヒマンが突然にピーターに暴言を吐いてピーターに殺害されそうになるシーンがあり、そこでアイヒマンは急に小者化する。一方で、ヒトラーをはじめとする他の責任者が死んでいるから自分をスケープゴートにして儀式的に殺害するのは理不尽だ、というアイヒマンの言い分にもっともな点があることは否めない。

 

 ピーターは「イスラエルに移送した後なら妻が面会することを許す」と約束することでアイヒマンの署名を取り付け、その約束を律儀に実行する。その後、アルゼンチンでのトラブルもくぐり抜けたピーターは晴れてイスラエルで実行されたアイヒマン裁判にも出席して、ホロコーストの犠牲になった姉と甥っ子たちの幻影を見て、裁判の結果について満足そうにする。

 しかし、観客が満足するかどうかはまた別の話だ。ホロコーストの記憶が強かったり身近にユダヤ人がいたりする欧米はともかく、日本のようなアジア圏だとついアイヒマンに感情移入したまま観終わってしまう観客も多そうなものである(そして、それは製作者が意図したことではないはずだ)。

*1:わたしはそもそもアーレントが苦手だし、彼女の「悪の凡庸さ」論も胡散臭いと思っているが。