THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『魔法にかけられて』

 

魔法にかけられて (字幕版)

魔法にかけられて (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 おとぎ話の国・アンダーレシアで動物たちと一緒に森の奥で暮らしていたプリンセスのジゼル(エイミー・アダムス)は、いつかプリンスと出会ってキスをして結婚をすること夢見ていた。そして、ある日、ついにプリンスのエドワード王子(ジェームズ・マースデン)と出会う。しかし、悪の魔女であるナリッサ女王(スーザン・サランドン)の魔法により、現実世界のニューヨークへと追放されてしまうのだ。

 おとぎ話の世界とは全く様子の異なるニューヨークに混乱したジゼルは、バツイチで子持ちのロバート・フィリップ(パトリック・デンプシー)に保護される。ロバートは浮世離れしたジゼルの言動や動物と意思疎通できたりミュージカルを現実世界に実現させられたりする彼女の能力に困惑して、離婚専門の弁護士の仕事をジゼルに邪魔されたり彼女のナンシー(イディナ・メンゼル)にジゼルとの浮気を疑われたりと苦労もさせられるが、娘のモーガンはすぐにジゼルと打ち解ける。そして、ロバートとジゼルは知らぬ知らぬのうちに両想いになっていくのだった。

 一方で、ジゼルを助けるために追いかけてきたエドワードとリスのピップ、さらにはジゼルの抹殺命令をナリッサ女王から下された従者のナサニエルティモシー・スポール)までもが次々とニューヨークに訪れる。正義感の強い善人ではあるが間抜けでお人好しなエドワードをあしらい、すべての事実を知っているピップの口を塞ぎながら、ナサニエルは毒リンゴでジゼルを殺害しようとするが、その試みは失敗する。そのうちにエドワードとジゼルは殺害するが、すでにジゼルはロバートへの想いを自覚しているために、エドワードとの関係はぎこちない。そして、ロバートにナンシーのカップルとエドワードとジゼルのカップルは舞踏会で合流するのだが、ついに自らニューヨークにやってきたナリッサ女王も舞踏会に参上して……。

 

 おとぎ話の世界は昔ながらの2Dアニメ、現実世界のニューヨークは実写で描く、という試みが特徴的な作品だ(とはいえ、物語の大半はニューヨークで展開するが)。ファンタジー世界の住人が現実世界を訪れることで起こる騒動や珍道中…というのは『マイティ・ソー』の一作目でも描かれていたような定番のネタではあるが、この映画はファンタジーものの最大手であるディズニーが自己言及やセルフパロディを散りばめることで、ひときわ面白い作品となっている。

 1999年生まれのエイミー・アダムスはこの作品の時点でアラサーであるが、そんな彼女が滑稽なまでにお人好しで夢見がちで純粋なプリンセスを演じるというところが、可愛らしさのなかに痛々しさもしっかり感じられる絶妙なキャスティングであると言えるだろう。

 いかにも面倒見の良さそうな雰囲気の漂うロバートは驚き役やツッコミ役として申し分ない。滑稽で能天気ではあるが爽やかで憎めない人物であるエドワードも、隠れファンが多そうなキャラターである。ナサニエルコメディリリーフとして過不足ない活躍をする。ナンシーのキャラクターが弱いところだけは残念と言えるだろうか。

 クライマックスでジゼルとパトリックが結ばれたついでにエドワードとナンシーが余り者同士も結ばれるという展開にはちょっと失笑するが、二人とも幸せそうなのでまあいいかなとも思わされるところだ。

 

「魔法のキス」をめぐる展開や「初対面のプリンスとその場で婚約していいのか?」というツッコミは『アナと雪の女王』を連想するところだし、近年のディズニーはセルフパロディ要素が無い作品の方が珍しいくらいではある。

 しかし、最近の作品の自己言及要素にはポリコレとかジェンダーとかが絡んでいるのに対して(『シュガー・ラッシュ:オンライン』で過去のプリンセスが一堂に会するシーンがその典型である)、今作では「女の自立」的な要素がちょっとは描かれつつも、おおむね無難で保守的なジェンダー観に留められている。そして、余計な「価値観のアップデート」がないぶん、ジゼルの可愛らしさとロバートとのラブロマンスが純粋に楽しめる作品となっているのだ。『塔の上のラプンツェル』を見たときにも思ったが、"お約束"程度に「女の自立」描写を入れつつ男女の関係性やラブロマンスは王道のものにする、くらいが現代のエンタメとしては最良のバランスであるのだろう。

 もうひとつ、近年のディズニーに目立つがこの映画や『塔の上のラプンツェル』にはない余計な要素が、「善人だと思っていた協力者が実は最大の悪人で物語の黒幕である」という展開である。この展開には物語にサプライズを加えたり後半の展開に一捻りを入れられるという利点はありつつも、あまりにディズニーやピクサー作品で多用されているせいで陳腐化しているし、どの作品でも展開が均一化するという逆効果を生み出している。また、この展開をしてしまうと、主人公や周りの人物が人間関係を育めるキャラクターがひとり減ってしまう副作用がある(悪役であることが露呈した時点で、それまでの関係も虚偽のものであり無かったことになることが多いからだ)。そのために、クライマックスに向けて盛り上がる要素や楽しめる要素が減ってしまうのである。

魔法にかけられて』では悪役はメリッサ女王であると最初から明示されていたために、ジゼルやロバート、そしてエドワードやナンシーの物語を安心して観ることができる。脇役ながらもエドワードは彼の魅力を発揮できていたし、取って付けたようなものであるとはいえ彼がナンシーとくっついておとぎ話の国に彼女を連れていく展開も悪いものでは無かった。そして、余計な裏切り展開がないぶん、ジゼルとロバートのラブロマンスもたっぷり描ける。王道には王道の良さがあるというものだ。

 

 食事中に見ていたので、ネズミやゴキブリが登場するミュージカルシーンにはかなり辟易したが、現代のニューヨークを舞台にファンタジー的なミュージカルシーンが描かれる点はワクワクするものだ(ちょっと『ラ・ラ・ランド』を思い出すところもあった)。全編にポジティブで可愛らしい雰囲気が溢れていて、見ていて楽しくなる映画であることは間違いない。