THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『バートン・フィンク』

 

バートン・フィンク (字幕版)

バートン・フィンク (字幕版)

  • 発売日: 2015/08/25
  • メディア: Prime Video
 

 

 コーエン兄弟の監督作品はあらかた見ているが、この作品を見るのは初めて。1991年と、コーエン兄弟の監督作品のなかでもかなり初期の方だ。そして、『ファーゴ』や『ノーカントリー』の殺伐で絶望的な世界観とも、『シリアスマン』『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』のようなリアル寄りななかでのシュールな世界観とも違う、より私的で心理的で不気味な感じの世界観になっている。ホテルが主な舞台という点ではちょっと村上春樹っぽさがあったし、そしてその村上春樹に影響を与えているデヴィッド・リンチ的な雰囲気がかなり強い。

 主な登場人物は、劇作家であるが映画の脚本を書く仕事に採用されてNYからロサンゼルスにやってきた主人公のバートン・フィンクジョン・タトゥーロ)、そして彼が滞在するホテルの隣室にいる厚かましいが人懐っこい自称保険セールスマンのチャーリー・メドウズ(ジョン・グッドマン)である。ジョン・タトゥーロの人間離れしたパーマ頭とかジョン・グッドマンのぶよぶよな顔と身体とか、この二人は見た目のインパクトがものすごい。そして、同性愛者っぽさもほのめかしておりバートンの危機には親身になって対応していたチャーリーが殺人鬼であるという事実が明かされるクライマックスにて、なぜか燃え盛るホテルの廊下で意味のわからないことを叫びながら刑事を射殺したりバートンに上から目線の説教をくらわしたのちに怪力を発揮してバートンを助けるチャーリーの姿には、よくわからないがやたらと説得力や迫力がある。バートンはバートンで、見た目やキャラクター設定通りに終始情けなくて悲惨な目にあっていておもしろい。

 脇役たちも、"不条理"な世界観を演出するのに一役買っている。映画会社社長のジャック・リプニック(マイケル・ラーナー)はその職業通りにやたらと芝居掛かった言い回しとジェスチャーでバートンを褒めちぎりつつプレッシャーを与えまくる(そして最後にはバートンをあっけなく突き放す)、はた迷惑ながらもユーモラスな存在だ。極端に戯画化された存在ではあるが、たしかに"社長”ってこういうものではある。その付き人のルー・ブリーズ(ジョン・ポリト)も哀れだが印象に残る存在となっているし、バートンと寝たかと思ったらあっけなく死んでしまうヒロインのオードリー・テイラー(ジュディ・デイヴィス )も悲惨だ。ホテルの受付(スティーヴ・ブシェミ)は出番は少ないながらも、バートンを不条理な世界に招待する案内役のような役割を担っていると思われる。

 ホテルの廊下やエレベーター、炎上するホテル、バートンとオードリーが寝ている姿から洗面器から下水道までゆっくりと動いていくカメラワーク、バートンのホテルの部屋に飾ってあった絵の構図を再現する水着美女となぜか死んだカモメが海に落ちるラストシーンなど、やたらと印象的なシーンがめじろ押しだ。『ファーゴ』や『ノーカントリー』に比べて屋内のシーンが多いぶん人工的に計算された感じが強くなっていることが特徴だし、だからこそ最後の海のシーンがとりわけ記憶に残る。

 ストーリーとしては、深読みすればいくらでも深読みできそうなものであるが、まあその”深読みすればいくらでも深読みできそう”っぽさこそをねらって作られた映画であるのだろう(デヴィッド・リンチの映画がそうであるように)。ここでわたしの深読みを披露してみると……聖書があーだ精神分析がこーだオイディプスがどーだラカンがそーだとか、そんなところである。