THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『バットマン:ビギンズ』&『ダークナイト:ライジング』

 

バットマン ビギンズ (字幕版)

バットマン ビギンズ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

ダークナイト ライジング (字幕版)

ダークナイト ライジング (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

『ダークナイト』『ダンケルク』iMAXで見て、『プレステージ』も配信で見返したということで、『ダークナイト』前後の2作も配信で鑑賞。『バットマン:ビギンズ』は『ダークナイト』上映当時にDVDで見たっきりなので10年以上ぶり2回目、『ダークナイトライジング』は劇場で見たのと数年前に配信で再視聴たのとで、これで3回目の鑑賞になる。

 

 改めてどちらの作品も見て気付かされるのは、ノーラン監督らしい脚本や上映時間の配分レベルので作り込みは感じられないことだ。

ダークナイト』では上映時間が経つにつれてゴッサム・シティがどんどん「秩序」から「カオス」へと転落していき、それにあわせてスクリーンで起こる出来事も突飛で収拾がつかなく漫画的になっていく……という一貫した構成が感じられた。ブルース・ウェインバットマンクリスチャン・ベール)についてはレイチェル(マギー・ジレンホール)との恋愛などは描かれたりするものの、中盤以降はジョーカー(ヒース・レジャー)の対応に追われ続けてしまい、「バットマンの物語」という感じは薄い。ヒーロー映画というよりも、サスペンス映画としての趣が強かったのである。

 それに比べると、『ビギンズ』と『ライジング』は良くも悪くも「ヒーロー映画」であり、「バットマンの物語」が描かれている。『ビギンズ』ではバットマンが誕生に至るまでの過程や彼と敵役集団「影の同盟」との関係が描かれて、『ライジング』では「影の同盟」の生き残りに敗れたバットマンが再起してから因縁にケリをつけてバットマン稼業を辞めるところまでが描かれる。バットマン誕生から引退までの経緯やブルース・ウェインという人物について描くことに尺が取られるために、それ以外のテーマを描いたりテーマを表現するための脚本構成や映像表現を行なうことが難しくなっているのだ。『ビギンズ』では「恐怖」という単語がかなり強調されるし、スケアクロウキリアン・マーフィー)によって人の恐怖を増幅させる幻覚ガスが街中に撒かれる作中後半の展開ともかかっているが、テーマと言えるほどの表現になっているかどうかは微妙だし…。

 

 とはいえ、ヒーロー映画だとしても、凡百のヒーロー映画よりもずっとおもしろい作品になっていることは間違いない。

 ヒーロー映画の「オリジンもの」といえばどうにもパッとしなくてつまらないと相場が決まっているものだが*1、『ビギンズ』はオリジンものとしてはかなりうまくやっている方の作品だ。ブルース・ウェインが悪を成敗するヒーローになることを決意するまでの展開と、影の同盟のもとでの修行シーン、時系列を適度にシャッフルしたスピーディーな構成で描くことでバットマン誕生前夜をダレずに描くところがいい。また、いざヒーローになってゴサッム・シティに戻ってきた後の展開も、因縁のギャングをやっつける〜スケアクロウというヴィランが登場する〜スケアクロウの背後には影の同盟が関わっていたことが判明、となかなか目まぐるしくて、飽きさせない。

 ただし、惜しむらくべきは、影の同盟のボスであるデュカード(リーアム・ニーソン)のキャラの弱さ、そして影の同盟という存在そのもののパッとしなさだ。「悪の根源を断つためにゴッサム・シティそのものを消滅させる」という目的が悪役としてちょっと投げやりでしょうもなさ過ぎる。それに、最後にデュカードを倒したバットマンが「殺しはしないけど、助けもしない」と言って崩壊するモノレールにデュカードを置いてけぼりにするところは「いや、見殺しにしてるじゃん」と誰もが突っ込んでしまうだろう。デュカードとブルース・ウェインが心の交流を行なう描写も多少はあったので、そこらへんの因縁の描き方は悪くないのだが…。

 

 そして、『ライジング』は『ビギンズ』で始まったバットマンの物語を完結させるための作品である。つまり、『ダークナイト』ではなく『ビギンズ』の続編であるのだ。劇場での公開当時には、このことにがっかりしてしまった観客がも多かったことであろう。みんなは『ダークナイト』がすごかったら同じようなすごさを期待して『ライジング』を見に行ったわけであり、別にバットマンの物語そのものに興味があったわけじゃないのだ。『ビギンズ』なんて、ほとんどの人は『ダークナイト』がすごかったから慌ててTSUTAYAに行ってDVDを借りて見たような作品なんだし。

『ビギンズ』にあった「影の同盟ってしょうもなくない?」問題は『ライジング』にも引き継がれている。デュカードがそもそも大して印象に残る悪役ではないうえに、その後継者であるタリア(マリオン・コティヤール)と傀儡のベイン(トム・ハーディ)の目的がけっきょくデュカードの復讐であることを考えると、お話自体にどうにもマッチポンプ感がただようし、敵役たちの「小物っぽさ」もかなり強くなる。ジョーカーの次の敵が「父の仇をとりたい小娘」でいいのかよ、って感じだ。ベインは貫禄のある不気味な存在であり途中まではカリスマ性を放っているが(不気味なマスクの上にあるつぶらな瞳が妙に可愛らしいところがどうにも気になるけど)、タリアの傀儡であることが判明した瞬間にかなりどうでもいい存在になる(そして、まさに"処理"という感じでキャットウーマンアン・ハサウェイ)に銃をぶっぱなされてやられてしまう)。

 また、『ダークナイト』のなかでも最も素晴らしいシーンであった「二つの船と二つの爆弾スイッチ」に匹敵するシーンがなかったところも期待外れではあった。孤立したゴッサム・シティ、ベインに扇動された民衆や貧民による偽りの革命、バットマンの正体を知りつつ警察のなかで奮闘するジョン・ブレイクの存在(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)、地下に数ヶ月閉じ込められたすえにバットマンに助けられてベインの軍団に立ち向かう警察たち……などなどと、熱い展開を描いたり「正義」や「道徳」を問う印象的なシーンを描いたりすることにつなげられそうな要素はいくらでもあるのだが、それがどうにも成功していないのである。

 これもまた、『ライジング』が『ビギンズ』を引き継いで「バットマンの物語」を描いていることの弊害だ。つまり、バットマンがベインにやられて地下牢獄"奈落"に幽閉されてそこから再起して……という物語にも尺を取らなければいけないので、ゴッサム・シティのパートで描ける内容が制限されてしまっているのである。また、バットマンとタリア&ベインとの因縁を強調するために、彼女たちの過去エピソードなどについても語られる。このエピソードはそれなりに興味深いものであるし、ブルース・ウェインが牢獄をついに登り切るシーンはなかなか熱いものがある。金にあかせて超装備を作りまくっていたブルース・ウェインバットマンスーツを脱がされて、自らの肉体と精神だけを頼りにして再起をはからなければいけないという展開もなかなか見事だ(『ビギンズ』で描かれた父親との思い出がここにかかってくるところも素晴らしい)。「デシ・バサラ」のかけ声や、盲目の医師(ウーリ・ガヴリエル)もいい味をだしている。「奈落を出れたのはいいとして、そっからどうやってゴッサム・シティに戻ってきたんだよ」とはどうしても突っ込みたくなるところだが。……いずれにせよ、「バットマンの転落〜再起」という少年漫画的な熱い展開がこの作品のメインとなっており、ゴッサム・シティのパートはあくまでサブだ。だから、「ヒーロー映画としての熱い展開」はしっかり描かれているのだが、「二つの船と二つの爆弾スイッチ」のように思わぬ方向からの意外で感動するシーンは存在しないのである。

 

「ヒーロー映画」としてのクオリティの高さについて考えてみると、まずは、MCUやその後のDCEUのようなユニバース展開という欲目に惑わされないぶん、「バットマンの物語」を三部作としてしっかり描き切れているところがいいのだろう。

 MCUは、特に後半の作品になるにつれて、他の作品からの登場人物のゲスト出演とか今後のシリーズ展開とのつながりの方に注意がいって「個々のヒーローの物語」への興味が薄まる傾向にあった。オリジンは描けても、たとえばキャプテン・アメリカやアイアンマン(やブラックウィドウ)の物語の「完結編」は『アベンジャーズ/エンド・ゲーム』で他のヒーローの物語とまとめて描かれざるをえなかったのである。それだからこそできる描写もあったとはいえ、個々のヒーローの物語としてはやはり物足りなさが残った。

 また、ギャグ描写やセルフパロディをバンバン挟むようになった後期のMCU作品と比べて、ノーランのバットマン三部作は常に「真面目」な作品であったことも重要だ(アルフレッド(マイケル・ケイン)とのやり取りやブルース・ウェインの金持ちネタなど、小粋でスマートなギャグもところどころに挟まれたりはするが)。『マン・オブ・スティール』はスーパーマンというヒーロのキャラクター性に真面目さや深刻さが似合わなくて失敗した感があったが、バットマンというヒーローは真面目さや深刻さが似合う存在なのである(大金持ちが忍者集団のもとで修行をしたすえにコウモリの格好をして超科学グッズを活用して自警団活動に勤しむ、という無茶苦茶な設定であるにも関わらず、だ)。

 とはいえ、『ダークナイト』があれだけ面白かったぶん、三部作のうち二作が「影の同盟」との戦いで占められてしまったことは、やはり勿体なかったと思う。『ダークナイト』の前後にでも、リドリーとかペンギンとかの中物クラスのヴィランと戦う「テーマ」強調型の作品をもうひとつ入れてほしかったところだ。

*1:『キャプテン・アメリカ/ファースト・アベンジャー』『マイティ・ソー』は公開当時からかなり評判が悪かったし、『マン・オブ・スティール』だってあまり出来の良い作品ではない