THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』

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スイス・アーミー・マン』のダニエル・シャイナート監督の作品。『スイス・アーミー・マン』とはまた違ったかたちで、人の"死"を扱ったブラックユーモアが展開される。

 

 冒頭に主人公のジーク(マイケル・アボット・Jr)とアール(アンドレ・ハイランド)とディック(シャイナート監督本人)のばか騒ぎが移された後に、なんらかの事情で大怪我したディックをジークとアールが病院の前に放置するシーンに切り替わる。ほどなくして死んでしまったディックについて二人の女性警官(新米に近いサラ・ベイカーとその上司のネル・コクラン)が捜査を開始する一方、ジークとアールは証拠隠滅に奔走する(アールは開き直って悟った風になっており、主に奔走するのはジークであるが)。この、ディックの死に自分たちが関わっていたことを隠すためのドタバタコメディが前半の見物だ。ジークの娘の服にディックの血がべったり付いているシーンなど、グロくて悪趣味ではあるが笑ってしまえるシーンが多い。

 そして、後半になるとディックを処置した医師(ロイ・ウッド・Jr.)が彼の驚くべき死因を突きとめて、それと同じタイミングでジークも妻のリディア(バージニアニューカム)に、デイックの死に自分が関わっていることを打ち明ける。まさに"知らない方がいい"ようなディックの死因やジークの隠された性癖にショックを受けたリディアはジークに対して激怒する。その一方で、ジークがディックの死に関与していることをついに突き止めた女性警官もジークの家を再訪して、ジークにリディアの夫妻と警官とデイックの妻ジェーン(ジェス・ワイクスラー)も交えた4人がいる場ではついにジークも事実を隠し通すことが難しくなって……。

 

 ブラックユーモアはジークがリディアにデイックの死の真相を打ち明けるところがピークであり、そこからは物語はシリアスな方向になる。いままでふざけていたり無責任であったりして、そしてリディアに対して秘密を抱えてきたツケが一気にジークに振りかかってきて、彼は家庭を失うのだ。

 この、最初は観客もゲラゲラ笑っていたようなブラックユーモアやジークやアールの「男の子ならではの馬鹿騒ぎ」のツケや「洒落にならなさ」が後半になって深刻化する、という構成はたぶん監督が意図したものである。そのおかげで、観客としても、気まずさや居心地の悪さを感じるようになる。しかし……その後に気まずさや居心地の悪さが昇華されたりとか収まるべきところに収まるというところまでには至らなくて、中途半端で宙ぶらりんなまま、物語は終わってしまう。これはたぶん監督の意図したものではなくて(おそらくなんらかの形での昇華や解決を描きたかったのだとは思う)、単純に作品自体の中途半端さや失敗からくるものではあるものだと思う。要するに、ビミョーというか、ピントがボケているというか、出来の良くない作品であるのだ。

 

 ブラックユーモアから気まずさへと転換する構成のオリジナリティとか、ジークとアールのあまりに素人臭くてその場しのぎ的でありながらもなぜかしばらくは誤魔化せてしまう証拠隠滅パートや女性警官の前で稚拙な嘘を言い切ってしまう場面のハラハラ感、ちょっと『ファーゴ』フランシス・マクドーマンドを思い出させるような善人っぽい田舎の女性警官たち、終始他人事ツラをしているアールの絶妙なムカつき具合とか彼の相棒のスニータ・マニのエロさとか、個々の要素は面白くてオリジナリティを感じさせるものだ。しかし、ピースの組み合わせ方が稚拙というかうまくいっていないというか、なんだかチグハグである。『パブリック:図書館の奇跡』とは別の意味で、実に"惜しい"作品である。

スイス・アーミー・マン』も序盤のインパクトのわりには中盤以降はダレてしまってあまり記憶に残らない作品であった。ダニエル・シャイナート監督はブラックユーモアやオリジナリティに頼るだけでなく、もっと完成度の高くてちゃんとした"昇華"がなされるような作品が作れるようになるため精進するべきだろう。あと一皮むけたら名監督になれるような素質は感じるのだ(めちゃくちゃ上から目線な言い方だけど…)。

 

 そういえば、デイックの死を隠すジークの場当たりっぷりとか投げやりっぷり、ディックの死をリディアに打ち明ける場面などには、『ヘレディタリー/継承』でピーター(アレックス・ウルフ)がチャーリー(ミリー・シャピロ)の首無し死体を後部座席に乗せたまま家に帰ってしまったシーン、そのあとのアニー(トニ・コレット)の絶叫、そのあとのグラハム家の食事シーンでの気まずい会話などを思い出した。『ミッドサマー』でも「気まずさ」を強調したシーンが描かれたと聞くし、「気まずさ」をいかに描写するかということは、これからの映画のトレンドとなるかもしれない。