THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『レボリューショナリー・ロード:燃え尽きるまで』

 

レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで (字幕版)
 

 

 サム・メンデス監督の作品は『007』シリーズ二作や『1917』*1は観ているが、それ以前の作品を見るのは、実はこれが初めてだ。

 話の内容としては、不満や焦りを抱えた夫婦がすれ違って喧嘩して破局しそうになって……という本来なら地味なもの。

 しかし、レオナルド・ディカプリオケイト・ウィンスレットという二大スターが夫婦のそれぞれを演じていること、喧嘩の内容の壮絶さ、1950年代を完璧に再現したかのような衣装や内装の素晴らしさに贅沢な画面作り、そして脇役であるジョン(マイケル・シャノン)やシェップ(デヴィッド・ハーバー)の存在感……これらの要素のおかげで、なかなか満足感のある仕上がりになっている。

 

 夫であるディカプリオも現状への不満はないことはないが、なんだかんだで雇われの会社員の身に甘んじていることを悪くは思っておらず「これでいいかな」と思っているところを、女優としての夢を諦めて主婦に落ち着いてた妻が「私の代わりに野心を追求して」と要望しはじめて、夫が仕事を辞めて家族でパリに引っ越そうと言い出して夫も最初は乗り気であったが会社での出世の道が見えてくるとパリ行きや妻のことが鬱陶しくなりだして……という感じのストーリー。

 とはいえ、そもそも妻の野心や「こんな人生じゃ満足できないの」という不満に全く共感できないので、感情移入をすることはちょっと困難である。

 なにしろ1950年代というアメリカの経済がイケイケだった時代が舞台なだけあって、なにしろ夫婦が暮らしている家が広いし、夫妻の将来にはなんの不安もなく、妻だって主婦をやりながらも趣味とか素人俳優としての生き方を充実させるとかの生き方があっただろうに、と思ってしまう。

 もちろん、女性の自立があまり認められなくて結婚した専業主婦として生きていかざるを得ないという時代背景が重要であることは間違いなく、彼女が自ら堕胎しようとして死んでしまったというエンディングも含めて、当時のジェンダー規範とか女性に対する抑圧が生んだ悲劇……という側面があることは間違いないのだろう。ケイト・ウィンスレットは作中でずっと眉毛を釣り上げて辛そうな顔をしているし。しかし、その辛さの大半は、社会のせいではなくて自らのプライドの高さのせいだ。彼女が"足るを知る"人物であり、ほどほどの人生に満足できる人物であったら、そもそも悲劇は起こらない。

 不況の時代に孤独に生きていかざるを得ないわたしのような人間からすれば、あんなでっかい家に暮らせて子供もいっぱいいてこれからも好景気の元で人生を歩んでいけるはずだったのに贅沢言うなバカ、としか言いようがない。……まあ、以前にも書いたように、それを言い出したらほとんどの物語が成立しなくなってしまうし、とりわけアメリカ人の物語は成立しなくなってしまうのだけれど*2アメリカ人は顕示的消費や他人との比較に右往左往しながら身の丈に合わない野心とプライドだけを増幅させ続けて、いくら豊かになっても現状に満足することは決して許されず、常に心残りを抱きながら死んでいく……ということが運命付けられているのだ。そういう意味では『レボリューショナリー・ロード』はまさに典型的な「アメリカ人の物語」であり、共感できるかどうかとかエンタメとして面白いかどうかとは別のところで、象徴的で芸術的な価値があるのかもしれない。 

 夫婦のパリ行きの目標に最も同調するのが精神病患者であるジョンであるところや、野心を追えない凡人として主人公夫妻に羨望と憧れと嫉妬の入り混じった感情を抱くシェップの存在など、主人公夫妻の悩みを外側から相対化する脇役の描き方はかなり優れている。彼らがいなかったら、ワガママ奥さんと不誠実な旦那との夫婦喧嘩を延々見させられる単調でつまらない作品になっていたところだ。いかにもチョロくて浮気相手にちょうどよさそうなモーリーン(ゾーイ・カザン)もいいし、エンディングで夫妻のその後をヘレン夫人(キャシー・ベイツ)から聞かされて深く考え込むハワード氏(リチャード・イーストン)の姿も実に印象的である。

 また、夫妻には子供がいるのに、子供たちが物語上で全く存在感がないところ、夫婦喧嘩においても「子供を堕ろすか降ろさないか」ということについて喧嘩したり子供を作ったことへの後悔を吐露する場面はあっても子供に対する愛情が示される場面はほとんどないところは、なかなかエゲツない。夫と妻のどちらも、他人に対する思いやりや他人のために尽くすという発想が根本的に欠けているエゴイズムモンスターであることが示唆されている。

 とはいえ、これはあくまで"アメリカ人"にとっての象徴的物語であり、"現代人"全般にとっての象徴的物語にされたらたまったものではない。アメリカ人はまず自分と他人を比較することをやめるべきだし、デカい家や大量の家具を買うこと以外にも金の使い道があることを知るべきだし、ストア派の哲学とか仏教の人生観とか中庸の理念を学んで幸福というものは外的要因だけに左右されるものではなく考え方とか気の持ちよう次第であることを知るべきだ。アメリカ人のみんながそれをやりだしたらあの過剰消費主義な経済が滅んでしまうかもしれないが……だったら滅べばいいのである。どう考えてもイカれているんだから。