THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『七つの会議』

 

●『七つの会議』

 

七つの会議

七つの会議

  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: Prime Video
 

 

 わたしは、たまにテレビ番組を見てみたときに、それがワイドショーやバラエティ番組であってもドラマ番組であっても、映像や演出や音楽や効果音などのケバケバしさやダサさや出演者の幼稚さなどにすぐに耐えられなくなって「気恥ずかしい」気持ちになってしまい、続きを見ていられなくなるようなタイプの人間である。同じような感覚は、ごくまれに演劇を見に行った時にも抱いてしまうし、シネコンなどでかかっているような大ヒットした日本映画を見るときにも感じてしまう(この作品の他には、たとえば『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』を見に行ったときにも、「気恥ずかしさ」を強く感じた思い出がある)。

 わたしは社会経験や人間関係に乏しい生き方をしていたために、たとえば年少の子どもとか逆に老人とか、あるいは素人による趣味やサークルの集団がお祭りなどのイベントで行う「出し物」を見るときに、どう反応すればいいかわからなくてぎこちなく作り笑いをすることしかできず居心地の悪い思いをしながら「はやく終わって、この場から去らせてくれないかな」と考え続けるタイプの人間である。そして、日本のテレビ番組や演劇やメジャー映画などを見るときにも、素人や子どもの「出し物」を見ている時と同様の感覚を抱いてしまうのだ。

 

 で、この『七つの会議』も、日本の映像作品の悪いところが煮詰まったかのような、「映画」というよりも「出し物」というレベルでしかない、見ていて居心地の悪い気持ちにさせられるタイプの作品である。

 ……とはいえ序盤は「わざと何でもかんでも大袈裟に表現したり演技したりする」「くだらない内容を大真面目に描く」という意図であることすぐに伝わって、ギャグにもところどころ笑えてしまい、「くだらないけどたまにはこういうのを見るのも悪くないかな」と好意的に見ることができた。

 ……だが、中盤になるにつれて話の内容が社会派風に深刻っぽくなっていってしまい、それに反比例するかのように展開は単調になり画面もずっと同じでただただ陳腐な長ゼリフと暑苦しい演技が繰り返されるようになってしまうために、笑うことすらできなくなってしまう。

 おそらく、作り手と観客との間には、つっこみどころが大量にある安直なストーリーとか大袈裟で暑苦しい演技とかは「わざとやっていますよ」ということが共有されているのであり、それを真面目に指摘すると「野暮」とか「ネタにマジレスw」とされてしまうのであろう。観たことないけど『半沢直樹』も『七つの会議』と同様の作風をネタにしてウリにしている作品であるようだし。しかし、『プロメア』のときにも書いたが*1、そういう「お約束」とか作り手と観客との共犯関係って実に不誠実で反知性的でつまらないと思う。

 

 映画のストーリーはあらすじを書くにも値しないどうでもいいものであるし、俳優たちについても「わざと大袈裟に演技しろ」と指示されていることが明確なので、縁起が良いか悪いかすらよく判断できない。まあ野村萬斎香川照之は確かに熱度とか圧力みたいなのは感じられた。一方で、社長役の人は明確に演技がヘタだったと思う。