THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

ひとこと感想:『メアリーの総て』&『ケーブル・ガイ』

 

●『メアリーの総て』

 

メアリーの総て(字幕版)

メアリーの総て(字幕版)

  • 発売日: 2019/05/21
  • メディア: Prime Video
 

 

 わたしが学部生時代には英米文学を専攻していたことは『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』の感想で書いたが、アメリカ文学のゼミに入っていたとはいえ、イギリス文学の授業ももちろん受けていた。

 そしてメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』も洋書購読の授業で読んだものだ。原書は古過ぎて学部生レベルの英語力じゃ難しいということで、授業で扱ったのは英語の教材用の簡易版ではあったが、授業とは別に邦訳版も自主的に読んでいた。そして、およそ200年前の作品にもかかわらず、『フランケンシュタイン』には感情移入して感動してしまったものである。当時は20歳でまだまだ不器用で繊細だった頃であり、周囲との人間関係もうまく行かず常に孤立感を抱いていたからこそ、"怪物"の孤独や絶望に共感することができたのだ。

 

 というわけでこの『メアリーの総て』も公開当時から気になっていて、今月からNetflixで配信開始ということでワクワクして観たのだが、まあつまらない。雰囲気としては『エミリ・ディキンソン:静かなる情熱』に近いが、あっちも退屈だったけどこちらは輪をかけて退屈だ。

 メアリー・シェリー(エル・ファニング)は、フェミニストである母親のメアリ・ウルストンクラフトと、アナーキストである父親のウィリアム・ゴドウィン(スティーヴン・ディレイン)の血を引くだけあって、旧弊的な規範や価値観に縛られるのとを拒んで自由を追い求める性向の持ち主だ。なので、父親の忠告も聞かずに、妻子ある詩人のパーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と駆け落ちしてしまう。しかし「自由恋愛」(イマドキの言葉だと"ポリアモニー"かな?)なんて男にとって都合の良い思想である。案の定、夫のパーシーは他の女にも手を出しまくる、無責任なクズ駄目男だった(責任のあるまともな人間ならそもそも妻子を捨てるはずがない)。自分の友人が夫にちょっかいを出されて、逆に自分は夫の友人に手を出されてしまうメアリーは、後悔したり悩んだりする。そんなある日、『フランケンシュタイン』(や『ドラキュラ』)が生み出されるきっかけとなった、かの有名な「みんなで怪奇話を披露しよう」の一夜が訪れて……。

 要するにメアリー・シェリーの周りはクズ男ばっかりだったけどそんな逆境だからこそ『フランケンシュタイン』という傑作が生まれました、彼女の業績も危うく夫に奪われてしまうところだったけどナントカなりました、というお話である。

 しかし、当時の女性に対する抑圧とか旧弊的価値観とか時代的背景とか色々を考慮しても「妻子ある男と駆け落ちなんかしてもロクなことにならないのなんて火を見るより明らかでしょ」という感情が強過ぎて、メアリーに共感することが全くできない。だからぜんぜん面白くなかった。

 作品としてはメアリーの周りの男性を全員クズとして描くことで「いくら自由恋愛とか言ったり当時としては先進的だったとしても男なんてみんなこんなもんよ」というメッセージを自覚的に放っていて、それはいいのだが、じゃあそんなクズにひょいひょい付いていくメアリーの愚かさとか浅はかさとかももっと強調してほしいものである。いや、当時の彼女は18歳なんだから、愚かで浅はかであるのは当然だろうし、それを非難するのは酷かもしれないけれど……。

 また、わたしはどうにもエル・ファニングという女優が好きになれない。『500ページの夢の束』といい『ネオン・デーモン』といい『孤独なふりした世界で』といい、どの映画でも繊細で内向的で傷付きやすい女性を演じている女優であり、実際に繊細で内向的で傷付きやすそうな顔をしているのだが、そういうところが苦手なのだ。

 

●『ケーブル・ガイ』

 

 

ケーブルガイ (字幕版)

ケーブルガイ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 ジム・キャリーサイコパス傾向のある粘着気質なケーブル・ガイ(テレビのケーブルを繋げる仕事をしている人)を演じるブラック・コメディ映画。

 サイコなストーカーものであるが、男性が男性に粘着するという設定は新鮮だ。『ザ・ルームメイト』『クロエ』のように、女性が女性に粘着する、というのは多いのだけれど。

 とにかく"ゆるい"映画であるが、ジム・キャリーというスターを筆頭に主人公役のマシュー・ブロデリックや友人役のジャック・ブラックなどのコメディ俳優が多数出演していて、けっこう贅沢。ジム・キャリーの無茶苦茶な演技も面白くて、気軽に笑って観れる映画だ。ふつうサイコパスものやストーカーものというと悪役は「知的」であったり「計算高い」雰囲気が漂っているものであり、実際にこの映画でも悪役のケーブルガイはけっこう狡猾な計画も実行したりしているのだが、根本的には粗野でアホそうな見た目や振る舞いやキャラクター性をしている、というところは新鮮である。

 とはいえ、だいたいのコメディ映画がそうであるように、この作品も途中からグダグダしてしまって退屈になる。ケーブルTVを通じて観た名作映画のセリフをケーブルガイが引用したりパロディしたりするシーンもしつこい。途中で下品で生理的に不愉快でそれなのに面白くない下ネタのシーンが入るところも、かなり評価を下げる。まあ良くも悪くもB級映画、という感じ。