THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『TENET テネット』:設定や構成が難しいのは置いておいて、人間ドラマやテーマが描けていない

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 コロナ禍による大作映画の公開延期と『TENET テネット』公開前の盛り上げということが重なって、2020年は7月からノーランの過去作品のIMAX上映が続いた。

 もともと自分のなかの生涯ベスト級作品であった『ダークナイト』はIMAXで観てみるとこれまでとは全然違った奥行きが感じられて驚いたし、『ダンケルク』も時間軸についてしっかり理解したうえで再視聴してみると感動的な物語であることが伝わった。『インセプション』に関してはそもそもIMAXカメラで撮影されていないから「これをIMAXで上映されてもなあ…」という感はあったが、複雑な構成を承知したうえで再視聴することで私的な純愛を描いた作品であることがよくわかった。そして、公開当時にはいまいちピンと来なかった『インターステラー』こそはまさにIMAXで観るべき作品であったし、理系的なSF要素と文系的なテーマ性(と映画としてのハラハラドキドキ感やド迫力の映像)を兼ね備えたクオリティの高い物語には「もしかしてノーラン監督の作品でいちばん面白いのって『インターステラー』なのかも」と評価を改めるほどだった*1

 そして、ノーラン監督の作品といえばSF的な難解な設定による時間軸の仕掛けやトリックを駆使した複雑な構成をした脚本、あととにかくお金をかけて実写にこだわったとんでもなく豪華な映像ばかりが目立ちがちであるが、構成や設定を理解したうえでオチを知った状態で再視聴してみると、どの作品でも道徳的なテーマとそれに基づいた人間ドラマが描かれていることに気付かされる。そのテーマはどれも王道で真っ当であり、描き方は真摯で、感動的だ。むしろ青臭いくらいに古典的なテーマや物語が描かれているのだが、複雑で難解な設定や構成にド派手な映像と組み合わさることで、21世紀の巨匠による作品として成立しているのだろう。短い期間に連続して映画館で鑑賞することでノーラン監督は私がこれまで抱いていたイメージ以上に志が優れていて格の高い人であることが理解できたし、幾多も存在する映画監督の中でもトップクラスに……もしかして一番かも、というくらいに……好きな監督となった。

 

 というわけで『TENET テネット』だが、もちろんわりと期待して見に行ったのだが(とはいえ「本国では賛否両論」という情報を目にした時点から「あまり期待し過ぎないようにしよう」と身構えてはいたのだが)、残念ながら、あまり面白くなかった。

 設定や構成の理解のし難さは過去のノーラン作品と比べても際立っている。そして、過去のノーラン作品がそうであったように、物語の構成やオチをわかったうえで改めて再視聴することで伏線が発見できたり登場人物の意図が理解できるようになったりはするのだろう。……しかし、これまでのノーラン作品とは異なり、なんらかの道徳的なテーマが描かれているようには思えない。そして、『ダンケルク』や『インターステラー』などにあったような質の高い人間ドラマも存在しないように思える。『ダークナイト』の黒ハゲ白ハゲ問題のときのような感動的な場面もない。『TENET テネット』に関しては、設定や構成の複雑さとド派手(で珍妙)な映像が勝ち過ぎており、ノーランの真の持ち味であるテーマ性とか人間ドラマとかが失われてしまう結果になってしまったのだ。

 その原因の一つは、設定の中心となる「時間の逆行(だかエントロピーの減少だか)」という現象があまりに複雑過ぎて扱いづらいものであったということだ。『インターステラー』も『インセプション』もなかなか複雑な設定を扱った作品ではあったが、視聴している観客は初見の時点でも「あーそういうことね、全部はわからんけど大体はわかった」というくらいには理解できるものであったのだが、『TENET テネット』に関しては「半分もわからんぞ」という感じ。たとえば『インセプション』では前半の時点でしつこいまでに登場人物たちがルールの解説をしてくれたし、エレン・ペイジという新入りがチームに加わることでディカプリオやゴードン=レヴィットなどの先輩たちがルールを解説することになる…という物語的にもルール説明に必然性をもたらすという配慮もバッチリなされていた。しかし、『TENET テネット』は『インセプション』よりもずっと難しいルールで物語が動くのに、そのルールがロクに解説されない。主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)がルールのことをわかっているのかわかっていないのか観客にもよくわからないまま、目まぐるしく動く事態に主人公が巻き込まれ続けるかたちで、物語が動く。だから、観客は「何が起こっているかよくわかんない」という状態のままポカンとして物語を見続けなけばならないし、もちろんテーマ性なんてあったとしても初見では理解できるはずがない。

 そして、テーマも感動も、やっぱり『TENET テネット』にはないと思う。SNSで他の人の感想を見てみるとニール(ロバート・パティンソン)の最後や正体が取り沙汰されているし、感動ポイントがあるとしたらニール関係なのだろうし、「起こったことはしょうがない」という彼のセリフがもしかしたらテーマに関係あるのかもしれないが、「でもそれってこれまでにも"タイムトラベルもの"な作品で散々描かれてきたことと何か違いがありますか?」って感じである。すくなくとも、これまでのノーラン映画にあったような、「この設定で、この作品で、この複雑な構成で、これほどまでにお金を使わなければ描けない」というような必然性が感じられない。だから、「実物のジェット機を炎上させてみました!」とかのお金を使ったド派手描写も、逆再生を駆使したトンチキな戦闘シーンも空回りしている。

 テーマは置いておいて映画としての構成を考えても、途中で主人公が「回転ドア」に入って時間を逆行し始めることでこれまでの描写や展開も「逆」の立場から見えるようになる、という仕掛けはたしかに「時間の逆行」という設定とマッチしているのはいるのだが……そのために前回の展開が「逆から見るとこうだったんです」というのをやるための前フリになってしまっているきらいがあり、そしてその前フリである前半がしっかり長いので、物語全体における「面白さ」の総量を失わせる結果につながっているように思える(「逆」の世界に突入する展開のときの説明不足や忙しなさもマイナスだ)。そのくせ、途中で出てきた顔の見えない人物が主人公本人だった、という展開はまあ時間系のSFに少しでも触れてきたらすぐ予想できるようなものであったりして、「驚き」というものはほとんどない。最後の最後における「実はテネットの親玉は主人公本人だった」という展開も『インターステラー』とちょっと被っているし、そうでなくても「そうっすか」という感想しかなくて、そう言われても驚くことや感動することがないのだ。

 

 そして、この映画が「スパイもの」であることも、この映画のテーマ面や情緒面での魅力の欠如につながっている。一般兵士や一般人が主人公である『ダンケルク』や「娘を助けるために地球を救う」ことがまじ明示されていた『インターステラー』はもちろんのこと、主人公たちが「プロフェッショナル」を気取っている『インセプション』や『ダークナイト』ですらも実際にはミッションに対して私情をモリモリに挟んでいたが、『TENET テネット』の主人公はこれまでに比べてもプロフェッショナルであり私情というよりはスパイとしての使命感やプロ意識で動いているように思える。ヒロイン(エリザベス・デビッキ)への感情は抱いておりそれによって物語が動く展開もあったりはするのだが、そこが全面に押し出されてもいない。だから、「名も無き男」という役名とは裏腹に、これまでのノーラン作品の主人公に比べてずっと感情移入しづらい状態になってしまっている。

 とはいえ、たとえ感情移入しづらくてもプロフェッショナリズムを全うする姿の格好良さやカリスマ性によって観客を魅了してくれるのなら文句はないのだが、主人公は最後まで「時間の逆行」現象への巻き込まれ役であり驚き役である。主人公がスパイという点ではプロフェッショナルであるという面と、「時間の逆行」現象に関しては素人であるという面とがマッチしておらず、チグハグになっているのだ。ジェームズ・ボンドが毎度毎度びっくりしていたら『007』は成立しない。

 だから、主人公が自らの意志と能力によって主体的に事態を動かして運命を切り開いていく物語であるとも言い難い。…そりゃ最後に「実は黒幕は俺本人だった」と主人公に言わせることで設定的には「主人公の意志によって起こった物語でした」ということにはされるのだが、そんなの口だけならなんとだって言える。

 

 しかしながら、主人公に関してはジョン・デヴィッド・ワシントンの好演が幸いして、キャラクターとしては失敗していてもまあ観客がなんとなく好感が抱ける人物にはなっている。より深刻な問題であるのは、ボス敵であるアンドレイ・セイター(ケネス・ブラナー)の圧倒的なショボさ、そして彼が引き起こそうとしている"世界の危機"があまりに抽象的でふわふわしていることだ。

 作中では「時間が逆行させられて全ての生物が滅ぶぞ!」と騒ぎ立てられるのだが、たとえば普通の作品であればイメージ映像を見せたり局地的・限定的に事態を引き起こしてその結果を見せることで観客に危機を具体的にイメージさせて「こんな事態が起こる前に阻止しなければ」と主人公たちに感情移入させるところを……それがないので、「なんか全ての生物が滅ぶらしい」という漠然とした情報しかないままである。更にいえば「アルゴリズム」が物理的なパーツに分かれている理由もよくわからんし、なんか大爆発とアルゴリズムが関係しているらしいけどその理由がなんなのかもよくわからんし、だからいきなり登場した味方チームの大部隊が「時間軸の挟み撃ち」を行いながら爆心地に突入する理由もさっぱりわからん。「決死の作戦」という風に盛り立てていたけど味方が死んでいるのかいないのかもよくわからん。それを言うなら「逆行する銃弾」とかの武器としての有用性もよくわからないままだったし、味方チームに匹敵するほどの大部隊をセイターが保持していることにもびっくりしたし、この作品の一番の見どころである順行・逆行・回転ドアを駆使した大規模戦闘シーンの物語的な必然性が全くわからんのであった。まあこれは設定面での難しさの話だから何度か再視聴すれば理解できるのだろうが、これまでのノーラン作品であればなんだかんだでクライマックスの部分は直感的にわかりやすくして観客をノせてくれていたものである。

 で、アンドレイ・セイターであるが、こいつがとにかく小物っぽい。そこら辺のマフィアのボスみたいな風貌をしており、そこら辺のマフィアのボスみたいな言動をして、ヒロインに固執して独占しようとするその性格はボス敵のそれではない。『ダークナイト』だったらジョーカーに対してイキって返り討ちにされているし、『ダークナイト ライジング』だったらベインに首を折られているタイプの人である、途中までは「仲介役」と言われていたこともあって、「こいつは中ボスでラスボスは他にいるんだろうな〜」と思いながら観ていたらいつの間にかセイターがラスボスになっていて、「こいつがボスでいいの?」と思ってしまった。セイターとヒロイン(そして主人公)の関係はたしかに昔のハードボイルド映画ではありがちなものであるし、スパイ映画らしいといえばそうであるのかもしれないが、世界を滅亡させられるほどの力を持った存在がやることじゃない。「愛する女を支配することができなくなって幸せを得られなくなって自暴自棄になって世界を道連れにする」というのが動機だったとしても、たとえば線の細いイケメンなマッドサイエンティストがそれをやろうとするなら絵になるのだが、反社のおっさんにやられても話にならないのだ。

 あとヒロインについてもそもそもこんな見るからにDVしそうな反社のおっさんと結婚なんか最初からするなよ、と思わされてしまい、あまり好感が抱けなかった。なんか『白い闇の女』でもヒロインが反社のおっさんと結婚して酷い目にあわされていたし、レイモンド・チャンドラーの小説でもそう言う展開があったような気がするからハードボイルドものの定番なのかもしれないけれど、だからといってそれが面白いわけじゃないんだよねえ……という感じ。

 

 言われてみれば『007』シリーズでもボス敵の大半が小物であったりジェームズ・ボンドが終始巻き込まれ役なままな作品もあったりはするのだが、『TENET テネット』には『007』シリーズのような軽快さやお洒落さなどがあるわけでもない。『コードネームU.N.C.L.E』は悪役を憎たらしく描いた後に痛快にぶっ殺すところがよかったわけだが(よくはなかったけれど『キングスマン』もそうだ)、『TENET テネット』にはそんな痛快さもない。難解で重苦しく、ときにテンポも鈍くなってしまうノーランのSF作品と「スパイもの」というジャンルとは、けっきょく水と油であったのかもしれない。SF要素抜きであれば『ダークナイト』に類するような傑作になっていた可能性もあっただろうけれど。

 というわけでノーランにはそろそろ「"時間"を利用した斬新な構成」にこだわるのはやめてもらって(このままじゃラスボスのスタンド能力のネタが尽きて困る荒木飛呂彦みたいになってしまう)、普通に面白い映画を撮ることを目指してもらいたいところである。難解なSF設定や物語構成が映画に価値を与えるのは、その設定や構成でないと描けないテーマと感動があってこそであるし、キャラクターが魅力的であることも必要条件だ。物語の設定や構成を難解にすること(やジェット機を炎上させたりすること)はあくまで「手段」であり、そこが「目的」になると本末転倒なのだ。