THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ラビング 愛という名前のふたり』

 

 

 

 異人種間結婚が禁止されていた時代のアメリカで結婚をした白人の夫リチャード(ジョエル・エドガートン)と黒人の妻ミルドレッド(ルース・ネッガ)が経験した苦難や行った裁判が題材の映画。

 彼らの裁判が異人種間結婚を禁止する法律を廃止するきっかけとなったということで、最高裁での弁護士の答弁がクライマックスとなるのだが、その裁判に二人は出席していないために、法廷を映すシーンと交互に彼らの日常風景が挿入される。ミルドレッドのほうは「裁判をきっかけに世の中がよくなるとしたら名誉なことだ」というふうに考えているようだが、(ゴツい肉体労働者な外見をしていながら)シャイで内向的なリチャードは自分たちの関係が裁判になったりニュースになったりと「公」的なものとして他者にあれこれ言われたり好奇の目で見られたりすることをよく思わず、あくまで自分たちの関係を「私」的なものに留めることを望むのだ(この複雑なキャラクターを、ジョエル・エドガートンは実にうまく演じられている)。そのため、弁護士に「最高裁に出席できるのは名誉なことですよ」と言われても意にも介さない。そして、ミルドレッドも夫の意思に従う(この夫婦は共に労りあい守りあう関係を築いている)。したがって、もっとドラマチックかつハリウッドっぽく展開できる内容であるはずなのに、あくまで地味で静かな内容になっている。

 序盤はちょっと観ていてつまらなく「お勉強」という感じもするのだが、後半の展開やクライマックスの描き方の「ずらし」を目にすれば、この作品の意図はよくわかる。差別問題や社会問題について、実在する当事者をヒーローとして描く諸々の映画に対する批評性を持つ作品だと言えるだろう。まった、「夫婦」や「結婚」というテーマであるからこそ、公的な問題に対する「私」の優位を描くことができる、ということも言えるかもしれない。というわけでラブストーリーとしても一級品だ。

 夫婦の裁判を担当する弁護士二人組は、出番が少ないながらも印象に残る(内向的で教養もないであろうリチャードが出番の多い代わりにセリフが少ないのに対して、弁護士たちはペラペラとしゃべり、「映画の登場人物」という感が高い。この描き方も意図的なものであるだろう)。1950年代のアメリカらしい家屋や家具や小物に農場の描写、そして農場の自然描写も素晴らしい(家も土地もこの映画では夫婦の絆や覚悟を象徴する重要な存在であるのだ)。エンタメ性には欠けるものの、社会性と芸術性を両立した優れた作品であるだろう。

 ジェフ・ニコルズ監督の作品は、ほかには『テイク・シェルター』を公開当時に劇場に観に行った覚えがある。この作品も『生きものの記録』や『ニュークリア・エイジ』を思い出させる、いわゆる「知性に訴える」作品であった。