THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』:マイノリティとヒーローのジレンマ

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 四年前に芸人が番組で「ファルコンは弱いからアベンジャーズ空脱退するように説得しよう」という企画を行って、大炎上した。アンソニー・マッキーが演じるファルコンが弱いかどうかはともかく(空を飛べるぶん。ホークアイやナターシャや初代キャプテンアメリカよりも強い可能性はある)*1アベンジャーズの面々のなかでもとくに印象の薄いキャラであったことはたしかだ。『キャプテン・アメリカ』シリーズの二作目と三作目、『アベンジャーズ』シリーズの二~四作目、および『アントマン』の一作目でいずれもサブキャラとしてしか登場してこなかった彼は、せいぜいが「空を飛べてキャップと仲のいい、元軍人の気のいいあんちゃん」というくらいのキャラでしかなかった。キャップのバディというポジションも、早々にウィンター・ソルジャーに奪われてしまうし。
 そしてセバスチャン・スタンが演じるウィンター・ソルジャーことバッキ―も、意外とキャラが薄い。なんか片腕が鉄になっていて銃の扱いがうまくてぼさぼさな髪をしているけれど、それよりも、甘いマスクや初代キャプテンとの濃い関係による(MCU世界ではなく現実世界における)女子ウケが最大の特徴となってしまっている。『インフィニティ・ウォー』でも『エンドゲーム』でもアサルトライフルを撃ちつづけてサノス軍の雑魚兵士をやっつける以外に目立った活躍をしていない。

 

『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』は、初代キャプテンアメリカが引退してしまったなかで、後を継ぐファルコンが主役を張るに足るだけのキャラクター性を追加するためのドラマシリーズだ。

 なおバッキ―に関しては、序盤のエピソードでは彼が洗脳されていた時に犯した罪とそれに対する罪悪感などがクローズアップされるが、中盤以降は話の主軸はファルコンやUSエージェントに移ってしまい、バッキ―の物語はどっかにいってしまって単なる「ファルコンに付いてっているだけの人」になってしまっている(最終話で申し訳程度に回収されるけれど)。シーズン2があればもうすこしバッキーにもスポットをあてた構成にしてほしいものである。

 ではこのドラマシリーズでファルコンにはどのようにしてキャラクター性が付与されるかというと、これまでの映画シリーズではほとんど触れられてこなかった、「アフリカ系アメリカ人」としての人種的アイデンティティが強調されることになる。そのきっかとして、歴史の闇に埋もれた「黒人のキャプテン・アメリカ」であるイザイア・ブラッドリーだ。ファルコンは、イザイアとの会話をきっかけとして、アフリカ系アメリカ人としての意識に覚醒して、アメリカの黒人差別の歴史とかをふまえながらも「黒人としてキャプテン・アメリカ」になることを選択するのである。だから地元の黒人コミュニティに戻ってそこに住む人々と交流したりするし、バッキーも「黒人差別の歴史のこともふまえずに、安易に"キャプテン・アメリカになれよ"と言ってしまってごめん」と反省したりするのだ。……これらの描写に唐突感をおぼえた視聴者は多いだろう。MCU世界にもいろんな問題は存在するが(ニューヨークにいきなり宇宙人があらわれたり、小国がまるまる空中に浮かびだしたり、人口が半分になったかと思ったら五年後にみんな戻ってきたり、などなど)、これまでほとんど描かれてこなかった暗い差別の問題が実はMCUにも存在することが急に明らかになって、途端に登場人物たちはその問題を意識しはじめるのだから。

 

 さて、フェミニズムにおいては「男性は無徴化されており、女性は有徴化されている」と言われることがある。たとえば、ある男性が持つ特徴は「男性に固有のもの」としてはみなされずに「その人に固有のもの」または「人間に一般的なもの」として扱われるが、ある女性が持つ特徴は「女性の固有のもの」としてみなされやすい。フィクション作品におけるキャラクター描写も、男性に比べて女性のほうが「ヒステリー」とか「嫉妬深い」とか、"女性らしい"とされている(負の)特徴に結び付けて描写されやすい。そして、「有徴化」は性別の問題に限らず、人種などの他のアイデンティティに関してもマイノリティに生じやすい問題であるだろう。「白人」としての特徴が取り沙汰されることは滅多にないが「黒人」としての特徴はすぐにあげつらわれて問題視される、という風に。

 しかし、MCU作品に限っても、『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』や『ブラックパンサー』、『キャプテン・マーベル』や『ブラック・ウィドウ』など、人種的・性的なマイノリティを主人公にした「政治的に正しい」作品は、ある種の「有徴化」をもたらしているように思えることが多い。

 アイアンマンや初代キャプテン・アメリカでは、彼らが「白人」や「男性」とうアイデンティティを持つことが物語的にフィーチャーされないのに対して、主役のヒーローが「黒人」や「女性」になったとたんに、物語はそれらのアイデンティティに基づいたものとして描かれることになる。たとえば『ブラック・ウィドウ』では「女性が女性を救うために男性と対峙する」という構成が強調されることになったし、『キャプテン・マーベル』でもシスターフッドや「強い女」像が強調されていた*2ブラックパンサーは「王」としてのアイデンティティを持ち国や国民を守るために行動するという動機がある点ではマイティ・ソーと等しいが、ともに架空の国といえども神話世界であるアズガルドと比べてワカンダは「アフリカ」であることが強調されている*3

 マイノリティとしてのアイデンティティをもつヒーローの姿が描かれることは、その属性を持つ現実の視聴者をエンパワメントするとして、肯定的に評価されることが多い。しかし、主役となるヒーローがマイノリティとしてのアイデンティティを持つときには、作品のテーマや物語の構成もそのアイデンティティをフィーチャーしたものにしなければならない、という意識は製作者たちのあいだでほとんど「縛り」として機能しているようだ。おそらく、テーマや構成に「マイノリティ性」を絡めるのは、批評的だったり創作論的だったりには正しいのだろう。そのおかげで、アイアンマンや初代キャプテン・アメリカスパイダーマンのようにアイデンティが無色透明であるヒーローが主役であるときには描けないような物語を作ることができる*4。……ただし、その代わりに、ヒーローがマイノリティとなったとたんに、そのヒーローは無色透明であることが許されなくなる。結果として、ファルコンやブラック・ウィドウは「特定の属性のヒーロー」でしかいられなくなり、アイアンマンや初代キャプテン・アメリカのように「みんなのヒーロー」になることができなくなってしまうのだ。

 もちろん、主役をマイノリティにしたら「みんなのヒーロー」ではなくなる、ということではない。たとえば、ヒーロー映画ではないものの『テネット』や『ベケット』などでジョン・デヴィッド・ワシントンが演じる主役キャラクターのアイデンティティは「無色透明」なものに近かったように思える。しかし、物語の構成やテーマに「マイノリティ性」を取り入れたらそうではなくなる、ということだ。

 

 そして、わたしは女性でも黒人でもないのだからわからないのだけれど、「女性であるけれど女性であることがフィーチャーされないヒーロー」とか「黒人であるけれど黒人であることがフィーチャーされないヒーロー」を描いてほしいという視聴者は、それぞれの属性のなかにもそれなりの人数がいるはずだと思うのだ。はたして、「マイノリティ性」を強調して取り沙汰するような作品だけが作られるような状況は「エンパワメント」になっていると言えるだろうか?

 

 話題を『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』に戻すと、まあドラマとしてもかなり凡庸であると思う。アクションはそれなりによいかもしれないが、おそろしさも魅力もほとんど存在しないショボい敵集団との追いかけっこが全編にわたってつづくので、戦闘シーンに没入するモチベーションはなくなる。映画では描けないような敵キャラクターたちであったとは思うが、他にもっとメインとなるヴィランを据えたり、一話ごとに異なる敵キャラを用意したりするほうが飽きがこなくてよかっただろう。

 脇役に関して述べると、ジモがトリックスターとしてふるまっているシーンは魅力的だし、物語的にみんなからの嫌われ者にさせられてしまうUSエージェントは気の毒さから共感できる存在だった。後半からは、わたしのお気に入りの女優であるジュリア・ルイス=ドレイファスが出てくるところもうれしい。一方で、シャロン・カーターが悪堕ちして黒幕であることが判明して勝ち残ってドヤ顔する展開は鬱陶しいし、彼女を敵役にしたところで今後面白いストーリーが作れるところがいまいち想像できない。またもやショボいヴィランを相手にダラダラ戦闘しつづける不完全燃焼な展開になるのが関の山ではないだろうか?

 

*1:ところで、ホークアイや初代キャプテンアメリカも、MCUのファンでない人からはいまだに「ハルクやソーやアイアンマンに比べてショボくない?」とイジられることはある。多くのMCUファンは特に初代キャプテンアメリカに対するイジりには辟易しているだろうが、でも、ファンでない世の中の人々ってそんなものである。

*2:

theeigadiary.hatenablog.com

theeigadiary.hatenablog.com

*3:

theeigadiary.hatenablog.com

*4:これらのヒーローに対して「白人として」共感したり「男性として」共感したりする人はほぼいない、という点は重要だ。