THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『グリーンブック』と『ベスト・オブ・エネミーズ~価値ある闘い〜』

 

 

 ちょっと映画離れしていたころにたまたまNetflixで『ベスト・オブ・エネミーズ』を観てみたところ、これがなかなか面白く、映画に対するモチベーションを取り戻させてくれた。なんといってもサム・ロックウェルがあまりにもハマリ役で魅力的だ。映画の序盤は、タラジ・P・ヘンソン演じる黒人女性活動家(アン・アトウォーター)とサム・ロックウェル演じるKKK活動家(C・P・エリス)のW主演という感じなのだが、後半になると黒人女性のほうは後景に退いて、完全にサム・ロックウェルの独壇場という感じになる。

「公立学校を黒人と白人とで分離するか共同にするか」という議題について街の住人たちが継続的な討論会を行っているうちに、黒人の代表であるアンと白人の代表であるエリスが徐々にお互いの性格や事情を理解しあって、最終的にはエリスが差別の愚かさに気がついてKKKを脱退して黒人の側につく、というストーリー。ここで重要なのは、討論会は一日とか数日とかやって終わりではなく、両方の陣営が隣り合わせにさせられるランチタイムとかアイスブレーキングなどを挟みながら何度も行われる、というところ。このように長期的な討論であるからこそ、相互理解を深められてエリスは意見を変えることができたのだ。これこそが「熟議民主主義」である。日本では熟議民主主義は理想論として馬鹿にされやすいが、実際に運営される際には、中立な司会を立てたりアイスブレーキングなどを行ったりしつつ、意見の分断や過激化が生じないように様々な運営上の対策をとりながら行われるものだ*1

 KKKから「裏切り者」として見放されたエリスのガソリンスタンドに黒人たちの車が行列をつくるラストシーンは、ちょっと映画的に過ぎる感はあるが、なかなか感動的。討論会を企画するインテリ黒人やそこに参加する市民たち、エリスの妻などの脇役なども言動がなかなかリアリティがある(とくに黒人を雇っている器械家?のおじさんや、エリスが野球場で彼と会話をするシーンなどは印象的だ)。エリスが徐々に心を開いていく、心情の変遷の描き方もなかなか優れている。KKKが「コミュニティ」としてエリスの自尊心を支えていること、とはいえ妻からは「金にもならないんだからそんな下らない活動は辞めなよ」と冷たい目線で見られているところなどの描き方にはなかなかのリアリティを感じる(エリスの息子が知的障害者として入院しているところも物語に奥行きを与えている)。あまり話題になっていない映画だが、おすすめの一作だ。

 

 

 

 そして、『ベスト・オブ・エネミーズ』を観ていたらたいがいの人が思い出すであろう『グリーンブック』も、続けて再視聴した。そしたらこれがめっぽう良かった。公開当時は体調が悪くて映画館でもあまり集中できなかったのだが、改めて観てみると無駄なシーンが全くなく、すべてのシーンやセリフに計算とおもしろさが存在しており、ヴィゴ・モーテンセン演じるトニー・ヴァレロンガとマハーシャラ・アリ演じるドン・シャーリーのキャラクター描写も一級品だ。すこし漫画的に誇張されている感もあるとはいえ、ふたりの凸凹コンビ感や旅を通じて互いのことを徐々に理解していく過程、それぞれの長所と欠点の描き方にそつがない。わたしはロードームービーが苦手であるんだけれど、この作品には一切の問題を感じなかった。テンポやメリハリ、伏線(土産物の石のくだりや、警官に車を止められるシーンのリフレインなど)が実に上手だ。

 改めて観てみると、トニーは最初こそは周りの風潮にしたがって黒人差別的な振る舞いをするが、それは「差別意識を内面化している」というよりも単に何も考えていないだけ。だからこそ、一度の旅であっという間に価値観を逆転させることができる。KKKに所属しており差別意識アイデンティティにまで根を張っているエリスは差別から脱却するまでに時間をかける必要があって「討論会」などの外部の助けも必要としたが、トニーにとってはそもそも差別をするかどうかは大きな問題ではなかったのだ。

 映画の後半でシャーリーに対する差別意識をあらわにするのは南部のエリート層であることが多い。また、ドン・シャーリーは手紙の書き方や諸々の文化に関する教養をトニーに授ける一方で、トニーはシャーリーにフライドチキンの美味しさを伝えたり「バーで金を見せびらかすな」という現世的な知恵を教えたりする。ここでトニーに感じるのは、本来の意味での「反知性主義」だ。アメリカ文学では「反知性主義」的なキャラクターの伝統があり、良い意味でのアメリカ性を体現するものとされている*2。「バカ」を主人公としたコメディ映画を作り続けてきたピーター・ファレリーであるからこそ、トニーのキャラ描写を優れたものにできたのであろう。また、シャーリーのインテリ黒人として黒人労働者たちとは距離を感じており同性愛なども合わさって孤独感を抱いて生きている複雑なキャラクターであり、だからこそ彼がトニーに絆されていく過程や最後に南部の黒人専用バーに行って打ち解けるシーンなどが魅力的になる。

 トニーが手紙を書いてシャーリーがそれを訂正するくだりや、トニーの妻が手紙を読んで感動するシーンと最後のオチなどは、何度観ても気が利いていて素晴らしい。トニーがシャーリーからバカにされることについてほとんど怒りを示さずドヤ顔で的外れな反論を繰り返すあたりは、フラストレーションを少なくして映画を快適なものにすることに貢献している。そして、1960年代のクリスマスシーズンという舞台のおかげで、画面は華やかでオシャレさで豪華だ。この映画は「スマートさ」と「贅沢さ」を両立しており、そのどちらも、最近の映画ではなかなか見かけないものだ。

 

 というわけで、わたしがアカデミー会員だったら、『ブラック・クランズマン』ではなく『グリーンブック』に投票していただろう*3。映画業界の人間であるなら、なおさら、シナリオのちぐはぐさや政治的メッセージを優先しての物語性の放棄が目立つ『ブラック・クランズマン』ではなく、映画としての完成度に溢れている『グリーンブック』のほうに投票したくなるものであるはずだからだ。実際にアメリカに在住している当事者たちならともかく、日本において「『グリーンブック』よりも『ブラック・クランズマン』のほうが優れている」とか言うヤツがいたら、そいつの意見は今後一切聞かなくてよいと思う*4

 

『グリーンブック』にせよ『ベスト・オブ・エネミーズ』にせよ、「白人にとって都合の良い物語」という批判はあるだろうけれど、これらの物語はどちらも、登場人物の価値観や性格や心情の変遷の描写などを丁寧に描くことで「偏見からの解放」や「相互理解」をじっくりと違和感なく描くことに成功しているし、『グリーンブック』にはそれにエンタメ性がプラスされている。観客が実体感を感じられて共感を抱けるキャラクター描写を行うことも、物語のなかで起こっている出来事だけでなくキャラクターの心情やキャラクター同士の関係性の変化からドラマ性を生じさせることも、どちらも「良質な映画」には欠かせないものだ。昨今の「批評家」たちは背景にある政治的な事情やゴシップ、多様性があるか差別がないかといった観点でばかり映画を評価するものだけれど、批評の基本ってまずは作品そのものの「質」の良し悪しを判断することから生じるのだということを思い出してほしい。

*1:

www.genjin.jp

*2:

 

反知性の帝国

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*3:

theeigadiary.hatenablog.com

*4:この問題に関して以前に言及した記事。

theeigadiary.hatenablog.com