THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』(+いくつかのクレしん映画+いくつかのディズニー映画+『閃光のハサウェイ』)

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 昨年の『激突!ラクガキキングダムとほぼ四人の勇者』もそれなりによかったが、こちらのほうがずっとよい*1。脚本的な欠点が見当たらず、制作陣の狙い通りにやりたいことがやれている。ちょっとテクニカルさが鼻につくし、あまりに技巧的なので逆にシラけるところもなくはないのだが、よくできた映画だといって差し支えないだろう。

 クレしん映画でミステリーをやるという無茶な設定であり、中盤まではつまらない展開になりそうで不安も抱かせるのだけれど、結果的にはミステリーとしてもかなり面白いものになっている。漫画的な表現を用いたダイイングメッセージのミスリードや、視聴者と作中の登場人物に見えているもののズレを利用した証拠品のミスリードなどは、フェアだとは言えないが、児童向けアニメでしかできない表現を巧みに利用しており、アイデアの勝利だと言える。

 そして、ミステリーならではの容疑者=登場人物の多さ、ならびに各登場人物についてカスカベ防衛隊の面々がそれぞれに担当を決めて「調査」するパートが、ミステリー展開が終わった後にはじまるクライマックスのパン食い競争のアツさや感動に直結している、という構成はかなり優れている。クライマックスでゲストキャラたちが次々に応援に入る展開は、そのゲストキャラとメインキャラが関係を深める描写が事前になされていないと意味がないのだが、調査パートではミステリー的な「こいつ怪しいかも?」という描写がなされると同時にキャラ同士の関係が深められる描写もなされているのだ。だから、ミステリーから青春バトル展開への移行も実にスムーズであるし、脚本や上映時間の面での無理くり感も存在しない。

 さらに、舞台が学園ということもあってか、しんちゃんと風間くんの間に起こるいざこざもやや精神年齢が高くなっていて中高生的な喧嘩になっている。ややリアルさがあって、観客も思い入れを抱けるようないざこざであるために、風間くんが「エリート」になってしまったり最終的にしんちゃんとバトルする展開に対しても観客の気持ちが入るのだ。

「青春とはなにか?」というテーマについて登場人物たちが次々と答えるところもアツいし、ほとんど出番のない野原夫妻が走っているしんちゃんを見かけてただちに応援するところも感動的だ(ところで、みさえがしんのすけロスになってずっと泣いている描写は現代風というか、昔に比べて子離れできなくなっているように思える)。また、「エリート」にこだわることに対して概して否定的なメッセージが呈されている点ではメリトクラシー批判的な作品だとも言えるだろう。一昔前ならともかく現代だと学園ものや青春ものの作品ほど「エリート」や「能力」に対する批判的な視座をなくしてしまっているわけだが、バカで陽キャな幼稚園児が主人公でありまたノスタルジーを大切にするクレしん映画であるからこそ、昔ながらのエリート教育批判が展開できたとも考えられる。マラソン選手の女の子が見た目を気にせずに走るシーンや、番長がマサオくんに仮面を授与するシーンにも感動しちゃった。

 

●『ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』

 

 

『シン・エヴァンゲリオン』と『閃光のハサウェイ』を観に行った日の夜に、ロボット映画を続けてみたくなったので、数年ぶりに再視聴*2

 この作品は世間的な評価は高い一方でクレしん映画のファンからの評判は低い傾向にあるようだが、わたしは普通に評価している。ロボとーちゃんが自分がロボであることを自覚するまでのシーンや、同一の意識を持った人物が二人存在することにより生じる致命的な断絶と不幸など(『GANTZ』の終盤でも同じ展開があったな)、SF的なホラー感をうまく描けている。

 味方である女子警官のキャラはそつがなくてよい。黒幕の正体には見た目と主張のギャップから意外性があるし、いわゆる「弱者男性論」的な黒幕の動機もエンタメ作品ではなかなか見ないものでありチャレンジングでおもしろい(冒頭に登場する風俗エステを匂わせる建物も、児童向けアニメとしてはかなりギリギリを攻めているだろう)。クライマックスのバトルで「五木ひろしロボ」が登場する展開は評判が最悪だが、まあいいんじゃないかと思う。最後はやっぱり感動的だ。SFファンってクレしんよりもドラえもん映画のほうを褒めがちだけれど、わたしはどんなジャンルにせよ「そのジャンルの枠組みを通じて何を描くか」ということのほうを重視するので、SFギミックを使って「父親」を描き切ったこの作品はかなり評価できるのだ。

 

●『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

 

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 クレしんとは関係ないけれど、ついでなので『閃光のハサウェイ』の感想も書く。

 政治的な要素の強いロボットアニメでありながら、物語の真の動因は登場人物たちの生々しく「性」や「承認欲求」である。昔からガンダムはそういうところがあるとはいえ、現代的で艶めかしい絵柄で間接的にいえどもしつこく「性」を匂わせるところ、それもアニメ的ではなく映画的な方法で表現しているところが、この作品の品や質を高くしている。変な話だが、ロボットでドンパチやっているお話のくせに、そこらへんのアニメ映画や邦画よりもずっと「大人」の作品になっているのだ。

 現代的な街中に突如として巨大ロボットがあらわれて、民間人を容赦無く巻き込みながら戦闘を繰り広げるシーンの恐ろしさはかなりのもの(逆に、クライマックスでガンダム同士がぶつかるまともな戦闘シーンは何が起こっているんだかよくわからず、とくに新鮮味も面白さもなかった)。やっていることだけ見ると環境テロリストである主人公も市民の犠牲容赦なしな憲兵のライバルのどちらともかなり悪辣でロクでもない存在であるのに、当人たちがお澄まし顔だから観客はつい登場人物たちの悪辣さを忘れそうになってしまう、という歪なバランス感覚もなかなかのオリジナリティがある。

 ついでにこの映画を観る前には『逆襲のシャア』を再視聴したが、こちらは『閃光のハサウェイ』のようなような洗練に欠けているかわりに勢いとパワーがあって、そしてやはりどうしようもなく歪なバランスなんだけれど、やはり面白かった。

 

●『爆睡!ユメミーワールド大突撃』

 

 

『花の天カス学園』を観る前日に、劇場公開ぶりに再視聴。評判が悪くない代わりにそれほど話題になった印象もない作品だが、わたしにクレしん映画の面白さを認識させてくれた作品であるので、個人的な評価はかなり高い。そして、改めて観返してみると、かなり直球に『エヴァンゲリオン』を意識した作品であることに気付かされる。ゲストヒロインとその両親のキャラクター性や関係性はめちゃくちゃ近いし、個人の精神が現実を侵食するSFホラー的な要素もエヴァだ。

 この作品が特に優れているのは、終盤まではずっとカスカベ防衛隊がメインであり「子供同士の友情」「子供同士の助けあい」を強調しながらも、クライマックスでみさえを活躍させて、「母親」としての意見を言わせて母親としての強さを見せることを事態の最終的な突破口としている点だ。基本的にクレしん映画では「友情」か「家族愛」のどちらかにスポットがあてられるところを、二層構造にしてどちらもフィーチャーしている点が物語に奥行きを与えて優れたものにしているのである。また、それまで出番の薄いみさえの活躍に物語的な説得力を与えられるのは、シリーズもの・キャラクターものであるクレしん映画だからこそであるだろう。いつも思うのだが、クレしん映画は「キャラクター描写に尺を割かなくていい」という強みを活かしながら、ジャンル横断的にさまざまな挑戦を行っているところが優れている。このおかげで、冗談抜きで、大概のディズニー映画よりもずっと奥深く感動的な作品を作ることに成功しているのだ。

 

●『ラーヤと龍の王国』

 

ラーヤと龍の王国 (字幕版)

ラーヤと龍の王国 (字幕版)

  • ケリー・マリー・トラン
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 話の流れでディズニー映画をディスることにするけれど、この作品はおどろくほどつまらない。主人公と敵役と相棒を全員女性キャラにして「シスターフッド」を描けば現代風の作品になるでしょ、といった安直な魂胆がみえみえ。そのせいで舞台がアジアであることすら安直に見えてくる。

 敵役のパンクヘアーな女の子はドラゴンボールベジータ的な情けなさや気の毒さがあって嫌いになれないが、主人公のキャラは薄いし、相棒である龍はひたすらウザイし、途中で仲間になるサルとかガキとかおっさんとかにいたっては一ミリも印象に残らない。こちらとしては「シスターフッド」のために女性同士の敵対関係を強調できないことがわかっているから、主人公と敵役の関係がいい感じになるのも予定調和が過ぎる。

 

●『2分の1の魔法』

 

 

 

 登場人物のウザさは『ラーヤと龍の王国』に輪をかけてひどい。主人公たち兄弟の母親とマンティコアだかキメラだかのおばさん二人組が活躍するシーンはちょっとだけおもしろいが、兄弟にはどちらも魅力なし、妖精の暴走族はストレッサーでしかありえない。異種族が跳梁跋扈する現代社会という設定であるが、ヘタにロードムービー要素を入れてしまったがために、『ズートピア』のように腰を据えて生活感や社会システムを描写することができなくなってしまって、上滑りしたつまらない作品になっている。

 クライマックスの「ずらし」には感心するところはあったが、感動的であるかというとまったくそうではない。それまでの道中が面白かったり、主人公に共感を抱けていたらけっこう心に響く描写になっていたのだと思うのだけれど、そうでないから「ほーん」としか思えなかった。

 

●『ソウルフル・ワールド』

 

 

 こちらは評判通りの名作だ。『インサイド・ヘッド』に続いて実存的・心理的なテーマを扱っているが、「夢」や「成功」ではなくストア哲学的な刹那主義によって「人生の意味」を説くクライマックスは、ディズニーが描いてきた諸々の物語を相対化してしまうくらいにチャレンジングであるが、そのチャレンジに見合う感動的で素晴らしいものとなっている。

 セネカの『人生の短さについて』を思い出せるメッセージであり、『進撃の巨人』の最終話でも同様の描写がなされていた*3。一日や一瞬の価値を強調する刹那主義はそれ自体が「物語」との相性が悪いのだけれど(物語とは「目標」や「連続性」を重視してしまうものだ)、だからこそ、それを表現しようとする作品は応援したくなるものである。

 登場キャラクターたちも、ひとりを除けば全然ウザくない。敵役の造形やキャラ描写も、「悪意」がないところまで含めてシステマチックで印象的だ。しかし、ディズニーやピクサー作品ってあまりにウザいキャラが多すぎて「キャラがウザくない」というだけで評価点になってしまうのだけれど、それってどうなのと思う。

 

●『新婚旅行ハリケーン 失われたひろし』

 

 

 

『ユメミーワールド』に引き続き、みさえが活躍するストーリー。ただし今回は春日部防衛隊の出番はなく、構成はシンプルでストーリーは単調。『インディ・ジョーンズ』風の冒険要素はあるのだが、それ自体が古臭くてもったりとした展開になっている。現地の部族との争いに加えてのトレージャーハンター同士の競い合いをもっとフィーチャーして、スピーディーな展開でバトルロイヤルを繰り広げる、といった構成にすればよかったと思うのだけれど。

「親子愛」よりも「夫婦愛」のほうが強調されているという点では異色だが、そのメッセージも予定調和的であり、最後に巨大コアラが登場する展開も微妙で、どうにも感動できるものではなくなっている。

 

●『爆盛!カンフーボーイズ』

 

 

 なんといってもヒロインのランちゃんがセクシーで魅力的であるし、悪のカンフー軍団の親玉を倒して事態が解決するかと思いきや、そこからランちゃんが過剰な正義を追求して「闇堕ち」する展開がよい。「頭の固さ」が致命的な問題になるというのはクレヨンしんちゃんの世界観にマッチしていて、説得力がある。共通の師匠が敵にやられてしまうシーンやそこからの修行シーンなどのカンフー映画らしい中盤の展開を通じてランちゃんとカスカベ防衛隊との関係性をしっかり描けているぶん、闇堕ち展開が与えるショックもなかなかのものだ。悪のカンフー軍団の親玉はラスボスとしても通じるくらいに悪辣かつ強力な存在であるし、もともと運動能力に優れているしんちゃんがカンフーの才能に優れているという点も納得がいく。バトルもの映画としての定石を押さえていて、カンフー映画へのリスペクトにも溢れており、そしてロジカルさも保っている、かなりの秀作であると思う。

 ……だからこそ、クライマックスのイカれた展開は唐突感だけが際立ち説得力が全く感じられなくて残念。言いたいことはわかるが、急にファンタジックでサイケデリックになるのではなく、むしろもっと地味で丁寧な絵面でやっていたほうがずっと納得がいって感動的な結末になっていただろう。