THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『白頭山大噴火』+『新感染』+『新感染半島』+『アーミー・オブ・ザ・デッド』+『トゥモロー・ウォー』

●『白頭山大噴火』

 

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「ハリウッドでもないところのディザスタームービーか…」と尻込みするところもあったが、『モンタナの目撃者』のついでに観れる映画が他になく、噴火と山火事ということでつながっていなくもないから、劇場で鑑賞。

 結果的には「噴火」や「地震」の災害要素はストーリーの導入や舞台設定のためであり、イ・ビョンホン演じるヘッポコ軍人とハ・ジョンウ演じる凄腕の北朝鮮スパイとが敵対しあったり協力しあたったりしながらミッションを成し遂げるバディもの、という感じ。マ・ドンソクは火山を研究する地質学者として出てくるが、主人公二人と直接的に絡むことはなく、司令室パートで登場する。

 韓国映画らしく色んな映画のジャンルを詰め込んでいて、登場人物のキャラは濃くて、ジェットコースター的に次々と事件が起きて展開が二転三転する、「幕の内弁当」スタイル。で、やっぱりわたしとしては、映画としての洗練やオリジナリティをハナから放棄して「こういうのでいいっしょこういうので」という感じがミエミエの韓国式幕の内弁当映画は好きになれない。主人公二人の関係性の描写はたしかに良いところもあるのだけれど(『チェオクの剣』に関するネタバレのくだりとか)、菓子を通じて南北朝鮮の兵士たちがつながるところは『JSA』そのまんまだし、他にも「どこかでみた」描写のてんこ盛りで萎えてしまうところのほうが強いのだ。

 一部の映画好きは韓国映画をアゲて日本映画をサゲるけれど、韓国の大作エンタメ映画の「志のなさ」って、日本の大作エンタメ映画ともわりと共通してしまっているように思える。毎度毎度の似たり寄ったりの関係性描写を「韓国映画ならではの男と男のクソデカ感情描写だ!」とか言って称賛しちゃうのも、観客としてあまりにチョロ過ぎるでしょう。

 

●『新感染』

 

 

 

 こちらも韓国のエンタメ映画だが、『新感染』はオリジナリティと志が明確である点が評価できる。走行する列車という密室でゾンビパニックを描き切るという設定が優れているだけでなく、「ゾンビパニックを通じて何を描くか」というテーマや目標がきちんと設定されている点も好ましい。

 ゾンビなどのホラーパニックものは「とにかくグロテスクでどんな人でも容赦なく無慈悲に死んでいくカオス」を描くか、「危機的で絶望的な状況のなかで試される集団の秩序や個人のモラル」を描くか、この二種類に大別することができるだろう。そして、『新感染』は明確に後者のタイプである。この映画のなかでは、モラルや矜持を持つ人間は生き延びるか(マ・ドンソクのように)格好良く死んでいくかのどちらかであり、モラルを捨ててしまった人間は惨めに死んでいく。そのために、恐怖や興奮だけでなく、わたしたちの「道徳感覚」が充たされているという点でのカタルシスもあるのだ。

 ……とはいえ、映画にはモラルを求めるわたしであっても、『新感染』は「良い人間は格好良く死ねる!悪人や卑劣なやつは惨めに死ね!」と言わんばかりでモラリズムがあまりに強過ぎて、ちょっとキツいところはあった。特に、双子だか姉妹だかのおばあちゃんのせいで、主人公たちを隔離した悪人・凡人たちが死んでしまうところは気の毒だ。そもそもあんなに極限的なパニック状況であれば主人公たちを隔離するという選択をするのも責められることではないし、ゾンビによる虐殺が「罪に対する罰」という形で描かれてしまっていることは気分が良くない。「たしかにその人たちは百点満点の善人ではないかもしれないけれど、虐殺されるに値するほど悪いことはしていないよね?」と思うのだ。そして、おばあちゃんが自分の独善的な感情で「懲罰」の引き金を引いているところ、このおばあちゃんがなぜか映画的には「善人」の側に位置付けられているところも、なかなかにムカつく。

 とはいえ、数あるゾンビ映画のなかではトップクラスに良質な作品であることは認めよう。

 

●『新感染半島』

 

 

 

 

『新感染』にあったオリジナリティと志の高さ、緊張感すらもかなぐり捨てて、凡百のお気楽ゾンビものに成り下がってしまった作品。同じ監督を起用しているのに、あれだけの名作映画の続編がこんなことになってしまうの、やっぱり韓国映画(の大作エンタメ)の制作環境ってそんなに手放しで褒められるものではないんじゃないかと思う。

 主人公の元軍人さんは格好いいし、ドライバーの女の子は可愛いんだけれど、魅力あるキャラはそれだけ。「大金を回収する」という導入部分のミッションはうまく機能していないし、最後の感動シーンもくどい。

 最初のほうの、韓国から脱出できた人たちも「病原菌」扱いされて難民認定スレスレ、というところの社会派描写はおもしろかった。しかし、それも、いざ半島に着いてみたらマッドマックスの世界になっていた、という荒唐無稽さのせいで台無しになっている。いくらゾンビにより朝鮮半島がポストアポカリプス的状況になったとはいえ、あんな野人的な私兵集団が誕生して「ゾンビ闘技場」が設立するわけないでしょ。話の流れ的にも敵役のコメディ観やケレン味はまったく必要なかったはずだ。とにかく、『新感染』の頃にあった「考えて作られている」要素がなにひとつ残っていないのだ。

 

●『アーミー・オブ・ザ・デッド』

 

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 韓国映画に対する批判を続けてしまったけれど、ハリウッド映画だって、ひどいものはひどい。『アーミー・オブ・ザ・デッド』は「それぞれに固有の専門スキルや戦闘技術を持つプロ集団」が大金を回収するために「ゾンビに溢れたラスベガス」に赴くという、ゾンビ映画に『オーシャンズ11』のようなチームでのミッションものをかけあわせた作品……になるはずが、キャラクターたちの個性もプロ意識もグダグダであるためにチームものやミッションものとしての面白さは雲散霧消している。

 パニック映画にありがちな「身内びいきや人助けのために周囲を危険にさらす善人主人公」も存在するが、この手の主人公がすべからくそうであるように、観客のヘイトとフラストレーションを溜めるだけで映画の面白さには一切貢献していない。また、せっかく助けた人物もクライマックスで結局死んでしまうようであるし、しかも、2時間半もあるくせに尺の配分がめちゃくちゃで、クライマックスが駆け足になっており誰が死んだかどうかすらもよくわからない。

 ザック・スナイダー監督ということで期待したんだけれど、「やっつけ仕事」としか思えない、とにかく完成度の低い作品となっているのだ。言うまでもなく志は低く、地べたを這っている。

 多くの人が言っているように、ゾンビパニックが始まるきっかけとなる冒頭のシーンには緊張感があり、そしてラスベガスがゾンビまみれになっていく様子がダイジェストで描かれるオープニングクレジットは実にワクワクする。エンディングまで観た後は、「オープニングクレジットの部分を映画化すればよかったのに」と誰しもが思ったはずである。

 

●『トゥモロー・ウォー』

 

 

トゥモロー・ウォー

トゥモロー・ウォー

  • クリス・プラット
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 こちらは映画好きからの評判が良いようだが、モンスターパニック映画であることを考慮しても大味に過ぎると思う。

 未来からの訪問者が登場する導入部分にはワクワクするし、未来世界で悔いを晴らすために現代世界で事件の大本を絶つ、という構成には「時間SF」の要素が生きていると言えるだろう。事情の違いからチームメンバーの人数や武器の構成が未来と現代でガラリと変わるというのも良いし、俳優もクリス・プラットJ・K・シモンズと魅力的だ。

 しかし、あんな知性のないモンスターのせいで人類世界全体が存亡の危機に瀕する、というのはいくらなんでもムチャクチャすぎる。さすがにムチャクチャすぎるから背景に悪意を持った人間なり知性派宇宙人なりが存在するのかなと思ったらまったくそんなことがなかったので逆にビックリした。

 そして、前半における「転送先の座標の位置がなぜかズレていたから、転送された兵士の大半が地面に落ちてそのまま死んじゃった」という描写はあまりに悪趣味で不愉快だ。この描写のために「座標の位置をズラす何者か=悪意を持った人間(or知性派宇宙人)」の存在を想定して観てしまったけれど、前述の通りそんなことはなかった。つまり、悪趣味でグロテスクな描写をするためだけのシーンだったのである。こういうのがわたしは本当に嫌いだ。『新感染』のようにモラリズムが強すぎる映画も苦手だけれど、モラルが不在な映画はさらにずっとタチが悪く、軽蔑に値するだろう。