THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ベン・イズ・バック』&『マネー・モンスター』

 

●『ベン・イズ・バック』

 

 

 わたしの本名と主人公の男の子の名前が同じなために、劇場での公開当時から気になっていた。また、「ジュリア・ロバーツってCDプレイヤーみたいな口しているよな」という(たしか村上春樹太田光が言っていた)悪口を若い頃に聞いて以来、ジュリア・ロバーツの印象が異様に強くて、彼女が出演している映画はついつい観たくなる。

 お話としてはありがちで、オピオイド中毒の少年ベンジャミン(ルーカス・ジズ)がリハビリ施設から抜け出して実家に戻ってくるんだけど母親のジュリア・ロバーツ以外は彼のことをまったく中毒せず、そして案の定ベンジャミンはまたオピオイドに手を出しそうになったりならなかったり、そのうち彼がヤク中時代につるんでいた悪友がちょっかい出してきたり悪いギャングが犬を盗んで脅したりして……みたいな。

『チェリー』もそうだったけれど、薬中が主人公の映画はとにかく暗くて、救いのない内容になりがちだ。それは薬物中毒というものはいちどハマったら脱出困難であり自分だけでなく家族や大切な人も巻き込んで破滅させていく救いがたい事象である、ということを作品に忠実に反映するためだろう。むしろ、ヘタに救いを描いたりハッピーエンディングにしてしまうと、薬物中毒の深刻さを軽んじるものとして団体の人とかから怒られてしまうし、作品の批評性とか志とかも下がってしまうはずだ。……とはいえ、救いのない映画ってやっぱりあんまり面白くない。『ベン・イズ・バック』にはそこそこの救いがあるのだが、それでも、薬物中毒を題材にしたテーマに特有の陰鬱さとテンポの悪さが邪魔をしており、まあ要するに面白い映画ではなかった(それがわかっていたから公開当時はスルーしたのだ)。

 とはいえジュリア・ロバーツの演技はすごいものだし、ベンジャミンのダメ息子っぷりの描き方も性格面でのディティールが凝っていて優れている(冗談めかして隠しもっていたオピオイドを母親に見せちゃうシーンのヘラヘラっぷりや腑抜けっぷりは実にすごい)。ジュリア・ロバーツが息子を怒るシーンが出てくるたびに、自分が母親に怒られているような気持ちになってビクビクしたり申し訳なくなってしまったりしちゃった。ジュリア・ロバーツ以外のほぼ全登場人物がベンジャミンに「薬物中毒が治るわけねえだろ、また面倒おこして余計なことするよコイツ」という目線を向けているのもリアルだし、盗まれた犬を取り戻そうとするベンジャミンに対してビビったジュリア・ロバーツが放つ「もともと保護犬なんだし、数年間も育ててあげたんだから十分に善いことしたわ、もう犬は諦めましょ」というセリフもひどいもんだけど笑っちゃう。一方で、過去にベンジャミンにオピオイドを処方して薬物中毒になるきっかけを作った老医師に対して「死ねばいいのに」とジュリア・ロバーツが言い放つシーンはあんまり気分が良くなかった。中毒になるのには本人の責任もあるでしょ。

 

●『マネー・モンスター』

 

 

 ジュリア・ロバーツつながりで、当時に劇場で観た『マネー・モンスター』も再視聴。

 この映画は世評はあまり芳しくないようだが、わたしはかなりお気に入りの作品だ。

 なんといっても、主人公のジョージ・クルーニーがハマり役。世界一セクシーな男であり、貫禄があって責任感に溢れるリーダーを演じているイメージの強いジョージ・クルーニーだが、軽薄で無責任なTVキャスターの役も実によくマッチしている。そんな彼が、爆破テロ犯と半ばストックホルム症候群みたいな状態になりながらも徐々に報道人としての責任感に目覚めていき、徐々に我々の知っているジョージ・クルーニーへと戻っていって、最終的には投資会社の社長の詐欺行為を暴いて公共の電波で問い詰めるに至る、という流れもドラマチックでよい。サスペンス要素とヒューマンドラマ要素が衝突することなく絶妙のバランスでマッチしていて、さらには資本主義批判や投資番組のパロディも詰め込まれていてと、90分の上映時間のわりにはかなり満足度が高くて充実した作品なのだ。『嘘悔い』のマキャベリゲーム編(「闇のみのもんた」が登場する編)が好きな人には、特におすすめできる。

 準主人公のジュリア・ロバーツも、ジョージ・クルーニーのような軽薄さはなく責任感と人情と情熱のあるしっかりものな女性プロデューサーの役柄にベストマッチしている。『ベン・イズ・バック』の母親役もそうだけど、真面目で意志も強いが情にはもろくて優しいという、最近の浅薄な「強い女」像とはちがう伝統的な意味での「女性的な強さ」を発揮する役が実に似合っている。

 そして、主人公のTVキャスターだけでなく、カメラマンなど彼を支えるチームがキャスターの改心に触発されて報道陣の使命を追及するようになっていくという、「チームもの」や「仕事もの」としてのドラマや感動も織り込まれていく。投資会社の女性副社長が上司の汚職を暴くためにジュリア・ロバーツに協力して世界中のプログラマーに連絡するくだりも、やや甘ったるいとはいえ、世界観に広さや深みを足す効果があって優れている。

 

 おそらく、この作品が批判される原因は、テロ行為とそれによるストックホルム症候群を肯定的に描いている点にあるだろう。現代的にはモラルに欠けた、昔風の作品とはいえる。とはいえ、昔ながらのモラルって、物語のドラマ性という点では現代のそれよりもずっと吸引力やダイナミックさがあるものだ。

 TVキャスターの「命の値段」が付けられるくだりの緊張感と(負の)カタルシスは、中盤の白眉となる。その後の、撃たれないようにするためにテロ犯とTVキャスターがくっついて移動するシーンもなんだか感動的だ。もうちょっと多くの人に観られて、評価されてもいい作品のひとつであるだろう。