THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『告白小説、その結末』+『ライ麦畑の反逆児:ひとりぼっちのサリンジャー』

 

●『告白小説、その結末

 

 

 

 ロマン・ポランスキー監督だけど英語ではなくフランス語の映画。英語・日本語の吹き替えもなかったから話に入り込むのは難しく、途中からスマホポチポチしながらの流し見で、そのために最後の最後で明かされる「トリック」もよく理解できず、解説サイトを読む羽目になった。……とはいえ、理解したところ、トリック自体はありがちだなと思うし、後半のサスペンス展開もトリックのためのミスリードとしては効いているが面白さ自体はそんなにで「なんだかなあ」という感じもする。

 

 しかし、フランス映画は言語が理解できないのが欠点ではあるが、登場人物と背景の魅力はバッチリ際立っている。『エミリー、パリへ行く』を観たときにも思ったけれど、単純にフランス人ってオシャレだし造形も美しいし、女性も男性も穏やか、街並みも素敵で、画面についつい惹き込まれてしまうのだ。昔はフランス映画特有のスローテンポが苦手て敬遠していたけれど、フランス映画ファンの気持ちがわかってきた。特に、編集者だか編集エージェントだかのメガネの女性がいかにもフランス女性という感じでお気に入り。

 そして、エヴァ・グリーンの魅力もバッチリ。『カジノ・ロワイヤル』の頃に比べて怪しさやエネルギーが強調されており、ギョロギョロしたブルーの瞳の魅力には抗えずに吸い込まれてしまう(この作品を観て初めてエヴァ・グリーンがフランス人だと知ったんだけれど、クレイグ版ボンドの二大ヒロインはどっちもフランス人ということなんだな)。あのブルーの瞳を堪能できるというだけでもこの映画には価値がなくもない。

 また、エマニュエル・セニエ演じる主人公がたまに観る「悪夢」のシーンは、そんなに突飛な絵面ではないはずなのにしっかり「夢」であることがわかる、リアルからの乖離の具合が絶妙であった。

 

●『ライ麦畑の反逆児』

 

 

 

 サリンジャーを知らない人には興味が惹かれず、かといってサリンジャーの熱烈なファンであればあるほど「こんなのほんとうのサリンジャーじゃないやい!」と駄々をこねることが確定している、難しい題材。しかし、わたしはサリンジャーの程好いファンであるため、高校生〜大学生の前半にサリンジャーを読んでいたことや自分自身が小説を書いていたときのことを懐かしく思いながら、一本の伝記映画としてまずまず楽しむことができた。

 サリンジャーを演じるニコラス・ホルトは「反抗心もありプライドも高いけど傷付きやすく繊細」な、王道の文学青年をしっかり演じている。親の金に頼りつつ親のことを馬鹿にしていたり、憧れの女性と付き合えたかと思ったら戦地に行った途端にチャップリンに盗られたりと、情けなさや気の毒さもバッチリ描けている。『ライ麦畑でつかまえて』出版にいたるまでのゴタゴタについては、「むかしなにかの本で読んだときにたしかにこんなことが書かれていたな〜」と思いながら観ていた。

 戦場にいる場面は、彼女を盗られた件を抜きにしても、明らかに戦争に向いていない線の細い男の子をこんな大変な目に遭わす戦争の残酷さというものを再確認できた。あと、超絶月並みな感想だけど、「この戦争でサリンジャー死んでいたらおれも『ライ麦畑でつかまえて』を読むことができなかったんだなあ」と思った。

 

 とはいえ、基本的には凡庸で退屈な伝記映画であることは否めず、サリンジャーニコラス・ホルトの魅力だけで引っ張るのはしんどい。だが、編集者役のケヴィン・スペイシーは主人公以上に存在感があって魅力的だし、冒頭における彼の講義シーンも印象的で、「この映画、面白いかも」と思わされるきっかけになった(スペイシーが先生役をやっているという点で、先日に観た『ペイ・フォワード』も思い出したな)。サリンジャーよりも編集者のほうが興味を惹かれるのは映画としてどうなのよとも思うけれど、一方で、主人公以外の人物にも存在感があることは映画としての美点でもあると思う。あとはまあ、ニコラス・ホルトという役者がケヴィン・スペイシーに匹敵するほどの「格」をまだ持っていないところが問題なのかな。