『ハイキュー!!』
現在、28巻まで無料公開中なので28巻まで読んだ。
週刊少年ジャンプは毎号読んでいるのだが、その中には読んでいない作品も多い。新連載はある程度話題になって面白い作品であることを確認するまでは読まないようにしているし(ハズレ作品の可能性が高過ぎて消耗してしまうからだ)、長期連載であっても『ゆらぎ荘の幽奈さん』や『アクタージュ』や『ブラッククローバー』などは内容が好きではないので読んでいない。『Dr.ストーン』も最初は面白かったが濃い絵柄や高いテンションと毎度同じなノリに食傷してしまって、読む気になるかならないかは五分五分というところだ。
『ハイキュー!!』に関しては、面白いということは知っているのだが、週刊連載で追うのはなかなかキツい。ひとつひとつの試合が長過ぎるし、野球やバスケに比べて明確な劣勢やそこからの逆転がいまいち描きづらいバレーという競技の都合もあって、各試合の全体の流れにおいて今週の話がどういう状況でどういう立ち位置なのかがわかりづらい、という問題があるのだ。試合と試合の合間の練習エピソードや日常エピソード、新キャラクター紹介などの話なら問題なく読めるのだが。
しかし、改めて一気読みするとやはり面白い。何より試合の「流れ」を最初から最後まで忘れずに追えるところがよい。試合相手の高校にどんな特徴があって主人公側は相手のどんなところに苦しめられていてそれをどうやって乗り越えたか、ということがわかるのだ。バトル漫画などであれば普通は一つの戦いは2話から4話で終わるので連載で追っていても戦闘の流れが掴みやすいのだが、一つの試合に単行本で3冊や4冊をかけるのが当たり前なうえに登場人物の多い『ハイキュー!!』は一気読みで理解するしかない。
『ハイキュー!!』はバレーボールという競技を題材にしたためか、ジャンプで連載されてきたスポーツ漫画のなかではかなりリアル寄りな作風となっている。『アイシールド21』ではアメフトという読者に馴染みのないスポーツを題材にしたために、アメフトとスポーツの面白さや特徴をかなり派手に誇張して伝える必要が生じて、結果としてリアルさは皆無の漫画的な作品となった。また、ジャンプには『SLAM DUNK』というリアル系の部活漫画の金字塔はあるが、他はバスケにせよ野球にせよサッカーにせよテニスにせよ派手で荒唐無稽で悪ノリ気味なバトル漫画風になりがちである。
メジャーなスポーツの部活に関しては他のところですでにリアルな描写の名作が描かれているし、そもそもリアル系な作風だと地味な内容になりがちなためにジャンプの連載レースで不利になってしまう。読者たちとしてもあまりリアル系のスポーツ漫画をジャンプには求めていないフシがあって、そういう作品はアフタヌーンなどの青年誌でやるべきだというのが需要側も供給側も考えているところだろう。
しかし、『ハイキュー!!』はなかなかリアルだ。わたしはバレーボールをやったこともなければ運動部に所属したこともないので本当のところはわからないのだが、少しずつ上達していくことの楽しさやここぞというところでサーブなりなんなりを決めることの爽快感などのポジティブな面だけでなく、周囲の上手い同年代に比べての自分の能力不足からくる不甲斐なさなどのネガティブな感覚もさらりと描いているのがリアルっぽい。試合相手もみんな高校生なので悪人は出てこないし、各々の高校に個性があるとはいえその個性もありうる範囲というか極端なものではない(武軍装戦高校とか網野高校みたいなのが出てこない、ということだ)。
顧問の教師やコーチなどの周囲の大人たちもみんな田舎者なのですごいお金があったりコネがあったりするわけではないが、現実的な範囲で主人公たちを励ましたり叱咤したり導いたりしてくれる。特に顧問である武田先生はよいキャラをしていて名言も多く、「自分の学生時代にもこれくらい生徒のことを思って適切な指導をしてくれる先生がいてくれていたら…」と思わされるくらいだ。
ただし、実際にバレーをする選手たちにはフィクションっぽさも強い。特に主人公である日向翔陽は低身長というハンディキャップを跳ね返す前向きさやガッツが特徴となっており、決してエリートではない彼が諸々の不利な条件を努力で克服するという点では読者の共感や感情移入を誘いやすいキャラとはなっているが、しかしポジティブ過ぎて周りに対しても優し過ぎる彼のキャラクター性にはヒくところも多い。
また、これは絵柄の問題もあるが登場人物が「可愛過ぎる」ところはひっかかる。一部のモブキャラを除いて、運動部の男子高校生にあってしかるべき汗臭さや下品さや粗暴さや暴力性が感じられないのだ。ここが『SLAM DUNK』とは大きく異なるところである。登場人物同士の関係性やかけ合いも楽しいものではあるのだが、実際の男子高校生たちがそれをやっているところを想像するとちょっと気持ち悪くなるかもしれない。
「悪人」がほぼ登場しない物語というのも、裏を返せば世界観が優しす過ぎたり甘ったる過ぎたりする、ということではある。ドロドロささせればいいというものでもないが。