THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

ひとこと感想:『29歳からの恋とセックス』&『五瓣の椿』&『チェイシング・エイミー』

●『29歳からの恋とセックス』

 

 

29歳からの恋とセックス (吹替版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 グレタ・ガーウィグが主演ということで観たが、タイトル通り、29歳になっても人生の方向性が決まらず、高校の頃から付き合っていて婚約までいった唯一のボーイフレンド(ジョエル・キナマン)にも直前で婚約破棄されてしまった主人公が、以前からの友人(ハミッシュ・リンクレイター)と寝たり街で声をかけられたナルシスト風の怪しい男と寝たりしながら自分探しをする……というお話。

 婚約破棄されてしまった主人公は最初は気の毒ではあったが、元カレの親友と寝たりしながらもずっと元カレのことを引きずっていて、そんな態度であるための元カレの親友は自分の親友と付き合い出して孤立してしまってと、いまいち同情できない。付き合っている状態で他の男と寝てしまったことに罪悪感は抱くがそれを追及されると開き直る、という展開はリアルっちゃリアルかもしれないが好感が抱けるものではない。グレタ・ガーウィグの演技にも、いつものような繊細さを感じられなかった。

 タイトルやポスターの雰囲気から察せられる通り100パーセント女性向けな作品ではあるが、男女関係において大半の女性が抱いているであろう「傷付けられて被害者になるのはいつもわたし、男の浮気は許せないが、わたしの浮気は悩んだ末のことなので許すべき」みたいな御都合主義的被害者意識ありきの作品であると思う。

 

●『五瓣の椿』

 

 

五瓣の椿 [DVD]

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  • 発売日: 2003/06/25
  • メディア: DVD
 

 

 山本周五郎原作で野村芳太郎監督。(義理の)父親を死に追いやった連中に復讐すること誓った主人公(岩下志麻)が、身分を偽りながら復讐相手に接触をはかって、ひとりまたひとりと殺していく……というお話。ちょっと『キル・ビル』を連想した。序盤ではエロティックなサスペンスがメインとなるが、主人公の事情が明かされる中盤からは「人情もの」としての要素が強くなる。後半では、主人公の犯行を追ううちに主人公の動機を察して彼女の境遇への理解を示すようになったお奉行さん(加藤剛)の存在が強くなっていき、人情ものという側面がさらに深まっていく。

 しかし、2時間40分もある大作なのでいかんせん長過ぎる。同じような展開が繰り返されて単調だし、長台詞は多いし…。90分に収められていたら名作になっていたと思う。

 また、野村芳太郎監督の作品は『砂の器』でも『鬼畜』でも『影の車』でも昭和の風景の描き方が美しくて魅力的だったが、セットに頼る時代劇ではそこを楽しむことができず、舞台や背景がずっと同じような感じであるところもマイナスだった(途中で出てくる不気味な夕焼けのシーンはよかったが)。

 

●『チェイシング・エイミー』

 

 

チェイシング・エイミー (字幕版)

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  • 発売日: 2016/11/01
  • メディア: Prime Video
 

 

 繊細で内向的な漫画家の青年ホールデンベン・アフレック)と、破天荒で外交的なレズビアン(というかバイセクシュアル)の漫画家アリッサ(ジョーイ・ローレン・アダムス)との恋愛を描いた作品。また、ホールデンのビジネスパートナーであり親友でもあるバンキー(ジェイソン・リー)との友情もメイン要素となっている。

 いちおうLGBTに関する映画ではあるが、主人公はあくまで「同性愛車(バイセクシュアル)に恋するヘテロの青年」のホールデンだ。アリッサの人間性についてもそれなりに尺を取って描かれているものの、物語的には「客体」という扱いになっているし、アリッサ以外のレズビアンたちが男性嫌悪者っぽく描かれているのもポリコレ的にはNGではあるかなと思う。また、黒人でゲイの漫画家フーパーX(ドワイト・ユーウェル)が出てくるシーンはどれもコメディタッチになっていて面白いし、当時におけるポリコレ規範を皮肉ったり揶揄したりする描写も多々あるのだが、これもいまならアウトだろう(90年代はポリコレが言われだすようになったはしりの時代であるが、当時はいまほどは真剣に捉えられておらず、映画やドラマのなかでも揶揄的に扱われることが多かったのだ)。

 とはいえ、青年の青臭い恋愛と未熟さゆえに訪れる失恋を描いた作品としては、実によくできている。恋愛パートとコメディパートや友情パートとの塩梅も絶妙だ。なにより、大柄な身体をしているのに繊細で気が弱そうなベン・アフレックの演技が素晴らしい。親友役を演じているジェイソン・リーも、ヒロイン以上の存在感を放っている。

 ただし、90年代という時代性や予算の制約が災いして、ダサくてスベっているシーンや間延びしたシーンも多いところがマイナスだ。ケヴィン・スミス監督本人が演じているサイレント・ボブというキャラクターの扱いもかなり野暮で痛々しいし。

 肝心のヒロインであるアリッサは、たしかに破天荒でそれなりに魅力的なのだが、「破天荒な女子」にありがちなエゴイズムや自己正当化も激しくてわたしは好きになれない。アリッサが過去に行きずりの男と3Pをするなどの爛れた性生活を送っていたという情報を知ってしまった主人公がそれを彼女に問い質すとアリッサが「自分のセクシュアル・アイデンティティに悩んでいて性生活を模索していたのよ!」とか言い出して開き直って逆ギレし始める、というのがふたりの破局の始まりなのだが……物語的には、「いまさらどうにもならない恋人の過去を問い詰めた主人公が悪い」という扱いになっており、そこの青臭さや未熟さを克服する、という展開にはなっている。しかし、わたしだって過去に行きずりの男と3Pしていたような女とは付き合いたくないし(爛れた性生活を経ずとも大人になった女性はいっぱいいる)、それはわたしが青臭かったり未熟であったりするからではなくわたしの道徳観が真っ当であるからだ。なので主人公にはかなり同情したし、「そんな女とはさっさと別れちゃえばいいよ」と思った(とはいえ、悩みに悩んだ主人公がヒロインと親友を集めて「3Pしよう。そうすれば僕もアリッサにコンプレックスを抱かずに済むし、同性愛の傾向があるバンキーもアリッサへの嫉妬を解消できる」と大真面目に言い出して案の定失敗する、というシーンがクライマックスになっているのはかなり面白かった)。