THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『クレヨンしんちゃん 激突! ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』

 

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 クレヨンしんちゃんの映画を劇場で見るのは2016年の『クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃』に続いて2回目。他には、『オトナ帝国の野望』や『戦国大合戦』はもちろんのこと、『夕陽のカスカベボーイズ』や『栄光のヤキニクロード』や『逆襲のロボとーちゃん』など、「名作」と評価の高いもの数作を配信で観ている、という感じ(『ユメミーワールド』に関しては当時に先に観た友人が「今回は名作だ」と語ってきたから劇場で観た、という経緯)。

 というわけで決してシリーズのファンというほどではないのだが……ドラえもん映画が毎回毎回感動のゴリ押しをしてきていつも同じメンツが同じような仕方で活躍をするという一定の枠内に収まっており野心や創意工夫が感じられずにつまらないのに比べて、しんちゃん映画はパターンを変えてくる場合が多くテーマも多様であり冒険的な作品も定期的に出てきてと、映画としての「志の高さ」はドラえもん映画としんちゃん映画との間には圧倒的な差がある(ポケモン映画については言及するまでもない)。だから、「しんちゃん映画」というシリーズについては、映画ファンとして好意的な気持ちを抱いている。プロモーションだけはドラえもん映画の方がうまいので、毎度毎度あちらの方が話題になるのだけれど。

 

 それで今回の『クレヨンしんちゃん 激突! ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』であるが、今回は「しんちゃんが個人でかすかべの危機に立ち向かう」という点が野心的であると言える。風間くんやマサオくんなどのかすかべ防衛隊はおろか、ひろしやみさえなどの家族も敵軍によって囚われており、ただ一人紙ヒコーキの状態になって風に飛ばされて春日部から脱出したしんちゃんは富士山麓に到着して、春日部のみんなを救いに向かうことになる。そこで旅の道連れになるのが、ミラクルクレヨンによって実体化されて生命を与えられたブリーフ・ぶりぶりざえもん・ニセななこという3体の「ラクガキ」たち、そして春日部を訪れたまま行方不明になった母親を探すためにしんちゃん一行に同行するユウマだ。

 富士山麓から春日部までの道中ではラクガキたちとしんちゃんとの交流を描く場面はロード・ムービーのような趣である。また、儚い存在であるラクガキたちが最終決戦でひとりまたひとりで散っていく展開は戦争もの映画(『ローグ・ワン』など)の定番という感じであるが、ロード・ムービーのパートでしっかり交流が描かれていただけに散っていくシーンもそれなりに感動的である。そして、ラクガキたちはしんちゃんのイマジナリー・フレンドに類する存在であることを考えると、チームで世界(春日部)の危機を救うチームものであると同時にしんちゃん個人の内面が重される私的な物語といえなくもないし、児童文学的なよさもある。かすかべ防衛隊や野原家などの「いつもの連中」に頼れば感動的なストーリーを安定して量産することが可能であるところを、あえてそれに頼らずにしんちゃん個人に焦点を当てた物語を描いた、というのがいちばん評価できるポイントだ。

 ……しかし、途中から旅に合流するユウマの存在のせいで、物語の焦点がブレてしまうことになり、物語にせっかく存在した文学性やラクガキたちが散るシーンの儚さなどもだいぶ減じられてしまう。さらに、春日部に到着してからはしんちゃんとユウマは別行動になり、ラクガキキングダムの王女さまがユウマと一緒に行動したりなどして、話がどんどんブレてしまうのだ。ユウマがSNSタブレットを駆使するあたりも取って付けたような描写であり、「現代の物語です」「テクノロジーも否定していません」というエクスキューズ以上のものになっていない。ユウマの存在はまるまる削って、春日部に囚われた仲間や家族たちのシーン以外はあくまでしんちゃんとラクガキたちとの物語に徹底しておいた方が絶対によかっただろう。

 そして、この映画のなかでも明確にダメな場面は、いちどはしんちゃんによって救われた大人たちがしんちゃんがラクガキクレヨンを使い切ったことを知って文句を言い出したりしんちゃんを糾弾したりするシーンである。「助けに来てくれたヒーローが自分たちの思い通りにならないと市民たちが文句を言いだす」というのは『ワンパンマン』などではありがちな展開であるのだが、このテの「衆愚」描写って基本的にストレスが溜まるし陳腐であるしリアリティもないしで、百害あって一利なし。糾弾の対象がしんちゃんとユウマに散ってしまうところも、構成の失敗が表出している。クライマックスの展開にてユウマによる公共のスピーカーを使った発破で子どもたちがラクガキをはじめて、それを見た大人たちも改心してラクガキをはじめて……という展開につなげる「タメ」のシーンであることは承知なのだが、それにしたってぎこちない。また、そのクライマックスの展開も、使命感や危機感に駆られてはじめる時点で「自由なラクガキ」でもなんでもないんだから、作品の冒頭から強調されるテーマそのものと矛盾しているのではないかと思った。

 

 いつもならオープニングに用いられる粘土アニメーションをエンディングにまわして、オープニングの音楽もなく、ラクガキキングダムに訪れた異変をズバッと描いてラクガキが動きまわる不気味なシーンを挿入する冒頭シーンはなかなか優れている。「いつものしんちゃん映画」ではない、新しい物語を描くぞという意気込みが伝わってきた。それだけに、後半になって、この映画独自の構成やテーマ性への意識が薄れてアニメ映画やしんちゃん映画として定番な展開に回収されてしまうところは残念だったといえよう。

『TENET テネット』:設定や構成が難しいのは置いておいて、人間ドラマやテーマが描けていない

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 コロナ禍による大作映画の公開延期と『TENET テネット』公開前の盛り上げということが重なって、2020年は7月からノーランの過去作品のIMAX上映が続いた。

 もともと自分のなかの生涯ベスト級作品であった『ダークナイト』はIMAXで観てみるとこれまでとは全然違った奥行きが感じられて驚いたし、『ダンケルク』も時間軸についてしっかり理解したうえで再視聴してみると感動的な物語であることが伝わった。『インセプション』に関してはそもそもIMAXカメラで撮影されていないから「これをIMAXで上映されてもなあ…」という感はあったが、複雑な構成を承知したうえで再視聴することで私的な純愛を描いた作品であることがよくわかった。そして、公開当時にはいまいちピンと来なかった『インターステラー』こそはまさにIMAXで観るべき作品であったし、理系的なSF要素と文系的なテーマ性(と映画としてのハラハラドキドキ感やド迫力の映像)を兼ね備えたクオリティの高い物語には「もしかしてノーラン監督の作品でいちばん面白いのって『インターステラー』なのかも」と評価を改めるほどだった*1

 そして、ノーラン監督の作品といえばSF的な難解な設定による時間軸の仕掛けやトリックを駆使した複雑な構成をした脚本、あととにかくお金をかけて実写にこだわったとんでもなく豪華な映像ばかりが目立ちがちであるが、構成や設定を理解したうえでオチを知った状態で再視聴してみると、どの作品でも道徳的なテーマとそれに基づいた人間ドラマが描かれていることに気付かされる。そのテーマはどれも王道で真っ当であり、描き方は真摯で、感動的だ。むしろ青臭いくらいに古典的なテーマや物語が描かれているのだが、複雑で難解な設定や構成にド派手な映像と組み合わさることで、21世紀の巨匠による作品として成立しているのだろう。短い期間に連続して映画館で鑑賞することでノーラン監督は私がこれまで抱いていたイメージ以上に志が優れていて格の高い人であることが理解できたし、幾多も存在する映画監督の中でもトップクラスに……もしかして一番かも、というくらいに……好きな監督となった。

 

 というわけで『TENET テネット』だが、もちろんわりと期待して見に行ったのだが(とはいえ「本国では賛否両論」という情報を目にした時点から「あまり期待し過ぎないようにしよう」と身構えてはいたのだが)、残念ながら、あまり面白くなかった。

 設定や構成の理解のし難さは過去のノーラン作品と比べても際立っている。そして、過去のノーラン作品がそうであったように、物語の構成やオチをわかったうえで改めて再視聴することで伏線が発見できたり登場人物の意図が理解できるようになったりはするのだろう。……しかし、これまでのノーラン作品とは異なり、なんらかの道徳的なテーマが描かれているようには思えない。そして、『ダンケルク』や『インターステラー』などにあったような質の高い人間ドラマも存在しないように思える。『ダークナイト』の黒ハゲ白ハゲ問題のときのような感動的な場面もない。『TENET テネット』に関しては、設定や構成の複雑さとド派手(で珍妙)な映像が勝ち過ぎており、ノーランの真の持ち味であるテーマ性とか人間ドラマとかが失われてしまう結果になってしまったのだ。

 その原因の一つは、設定の中心となる「時間の逆行(だかエントロピーの減少だか)」という現象があまりに複雑過ぎて扱いづらいものであったということだ。『インターステラー』も『インセプション』もなかなか複雑な設定を扱った作品ではあったが、視聴している観客は初見の時点でも「あーそういうことね、全部はわからんけど大体はわかった」というくらいには理解できるものであったのだが、『TENET テネット』に関しては「半分もわからんぞ」という感じ。たとえば『インセプション』では前半の時点でしつこいまでに登場人物たちがルールの解説をしてくれたし、エレン・ペイジという新入りがチームに加わることでディカプリオやゴードン=レヴィットなどの先輩たちがルールを解説することになる…という物語的にもルール説明に必然性をもたらすという配慮もバッチリなされていた。しかし、『TENET テネット』は『インセプション』よりもずっと難しいルールで物語が動くのに、そのルールがロクに解説されない。主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)がルールのことをわかっているのかわかっていないのか観客にもよくわからないまま、目まぐるしく動く事態に主人公が巻き込まれ続けるかたちで、物語が動く。だから、観客は「何が起こっているかよくわかんない」という状態のままポカンとして物語を見続けなけばならないし、もちろんテーマ性なんてあったとしても初見では理解できるはずがない。

 そして、テーマも感動も、やっぱり『TENET テネット』にはないと思う。SNSで他の人の感想を見てみるとニール(ロバート・パティンソン)の最後や正体が取り沙汰されているし、感動ポイントがあるとしたらニール関係なのだろうし、「起こったことはしょうがない」という彼のセリフがもしかしたらテーマに関係あるのかもしれないが、「でもそれってこれまでにも"タイムトラベルもの"な作品で散々描かれてきたことと何か違いがありますか?」って感じである。すくなくとも、これまでのノーラン映画にあったような、「この設定で、この作品で、この複雑な構成で、これほどまでにお金を使わなければ描けない」というような必然性が感じられない。だから、「実物のジェット機を炎上させてみました!」とかのお金を使ったド派手描写も、逆再生を駆使したトンチキな戦闘シーンも空回りしている。

 テーマは置いておいて映画としての構成を考えても、途中で主人公が「回転ドア」に入って時間を逆行し始めることでこれまでの描写や展開も「逆」の立場から見えるようになる、という仕掛けはたしかに「時間の逆行」という設定とマッチしているのはいるのだが……そのために前回の展開が「逆から見るとこうだったんです」というのをやるための前フリになってしまっているきらいがあり、そしてその前フリである前半がしっかり長いので、物語全体における「面白さ」の総量を失わせる結果につながっているように思える(「逆」の世界に突入する展開のときの説明不足や忙しなさもマイナスだ)。そのくせ、途中で出てきた顔の見えない人物が主人公本人だった、という展開はまあ時間系のSFに少しでも触れてきたらすぐ予想できるようなものであったりして、「驚き」というものはほとんどない。最後の最後における「実はテネットの親玉は主人公本人だった」という展開も『インターステラー』とちょっと被っているし、そうでなくても「そうっすか」という感想しかなくて、そう言われても驚くことや感動することがないのだ。

 

 そして、この映画が「スパイもの」であることも、この映画のテーマ面や情緒面での魅力の欠如につながっている。一般兵士や一般人が主人公である『ダンケルク』や「娘を助けるために地球を救う」ことがまじ明示されていた『インターステラー』はもちろんのこと、主人公たちが「プロフェッショナル」を気取っている『インセプション』や『ダークナイト』ですらも実際にはミッションに対して私情をモリモリに挟んでいたが、『TENET テネット』の主人公はこれまでに比べてもプロフェッショナルであり私情というよりはスパイとしての使命感やプロ意識で動いているように思える。ヒロイン(エリザベス・デビッキ)への感情は抱いておりそれによって物語が動く展開もあったりはするのだが、そこが全面に押し出されてもいない。だから、「名も無き男」という役名とは裏腹に、これまでのノーラン作品の主人公に比べてずっと感情移入しづらい状態になってしまっている。

 とはいえ、たとえ感情移入しづらくてもプロフェッショナリズムを全うする姿の格好良さやカリスマ性によって観客を魅了してくれるのなら文句はないのだが、主人公は最後まで「時間の逆行」現象への巻き込まれ役であり驚き役である。主人公がスパイという点ではプロフェッショナルであるという面と、「時間の逆行」現象に関しては素人であるという面とがマッチしておらず、チグハグになっているのだ。ジェームズ・ボンドが毎度毎度びっくりしていたら『007』は成立しない。

 だから、主人公が自らの意志と能力によって主体的に事態を動かして運命を切り開いていく物語であるとも言い難い。…そりゃ最後に「実は黒幕は俺本人だった」と主人公に言わせることで設定的には「主人公の意志によって起こった物語でした」ということにはされるのだが、そんなの口だけならなんとだって言える。

 

 しかしながら、主人公に関してはジョン・デヴィッド・ワシントンの好演が幸いして、キャラクターとしては失敗していてもまあ観客がなんとなく好感が抱ける人物にはなっている。より深刻な問題であるのは、ボス敵であるアンドレイ・セイター(ケネス・ブラナー)の圧倒的なショボさ、そして彼が引き起こそうとしている"世界の危機"があまりに抽象的でふわふわしていることだ。

 作中では「時間が逆行させられて全ての生物が滅ぶぞ!」と騒ぎ立てられるのだが、たとえば普通の作品であればイメージ映像を見せたり局地的・限定的に事態を引き起こしてその結果を見せることで観客に危機を具体的にイメージさせて「こんな事態が起こる前に阻止しなければ」と主人公たちに感情移入させるところを……それがないので、「なんか全ての生物が滅ぶらしい」という漠然とした情報しかないままである。更にいえば「アルゴリズム」が物理的なパーツに分かれている理由もよくわからんし、なんか大爆発とアルゴリズムが関係しているらしいけどその理由がなんなのかもよくわからんし、だからいきなり登場した味方チームの大部隊が「時間軸の挟み撃ち」を行いながら爆心地に突入する理由もさっぱりわからん。「決死の作戦」という風に盛り立てていたけど味方が死んでいるのかいないのかもよくわからん。それを言うなら「逆行する銃弾」とかの武器としての有用性もよくわからないままだったし、味方チームに匹敵するほどの大部隊をセイターが保持していることにもびっくりしたし、この作品の一番の見どころである順行・逆行・回転ドアを駆使した大規模戦闘シーンの物語的な必然性が全くわからんのであった。まあこれは設定面での難しさの話だから何度か再視聴すれば理解できるのだろうが、これまでのノーラン作品であればなんだかんだでクライマックスの部分は直感的にわかりやすくして観客をノせてくれていたものである。

 で、アンドレイ・セイターであるが、こいつがとにかく小物っぽい。そこら辺のマフィアのボスみたいな風貌をしており、そこら辺のマフィアのボスみたいな言動をして、ヒロインに固執して独占しようとするその性格はボス敵のそれではない。『ダークナイト』だったらジョーカーに対してイキって返り討ちにされているし、『ダークナイト ライジング』だったらベインに首を折られているタイプの人である、途中までは「仲介役」と言われていたこともあって、「こいつは中ボスでラスボスは他にいるんだろうな〜」と思いながら観ていたらいつの間にかセイターがラスボスになっていて、「こいつがボスでいいの?」と思ってしまった。セイターとヒロイン(そして主人公)の関係はたしかに昔のハードボイルド映画ではありがちなものであるし、スパイ映画らしいといえばそうであるのかもしれないが、世界を滅亡させられるほどの力を持った存在がやることじゃない。「愛する女を支配することができなくなって幸せを得られなくなって自暴自棄になって世界を道連れにする」というのが動機だったとしても、たとえば線の細いイケメンなマッドサイエンティストがそれをやろうとするなら絵になるのだが、反社のおっさんにやられても話にならないのだ。

 あとヒロインについてもそもそもこんな見るからにDVしそうな反社のおっさんと結婚なんか最初からするなよ、と思わされてしまい、あまり好感が抱けなかった。なんか『白い闇の女』でもヒロインが反社のおっさんと結婚して酷い目にあわされていたし、レイモンド・チャンドラーの小説でもそう言う展開があったような気がするからハードボイルドものの定番なのかもしれないけれど、だからといってそれが面白いわけじゃないんだよねえ……という感じ。

 

 言われてみれば『007』シリーズでもボス敵の大半が小物であったりジェームズ・ボンドが終始巻き込まれ役なままな作品もあったりはするのだが、『TENET テネット』には『007』シリーズのような軽快さやお洒落さなどがあるわけでもない。『コードネームU.N.C.L.E』は悪役を憎たらしく描いた後に痛快にぶっ殺すところがよかったわけだが(よくはなかったけれど『キングスマン』もそうだ)、『TENET テネット』にはそんな痛快さもない。難解で重苦しく、ときにテンポも鈍くなってしまうノーランのSF作品と「スパイもの」というジャンルとは、けっきょく水と油であったのかもしれない。SF要素抜きであれば『ダークナイト』に類するような傑作になっていた可能性もあっただろうけれど。

 というわけでノーランにはそろそろ「"時間"を利用した斬新な構成」にこだわるのはやめてもらって(このままじゃラスボスのスタンド能力のネタが尽きて困る荒木飛呂彦みたいになってしまう)、普通に面白い映画を撮ることを目指してもらいたいところである。難解なSF設定や物語構成が映画に価値を与えるのは、その設定や構成でないと描けないテーマと感動があってこそであるし、キャラクターが魅力的であることも必要条件だ。物語の設定や構成を難解にすること(やジェット機を炎上させたりすること)はあくまで「手段」であり、そこが「目的」になると本末転倒なのだ。

ひとこと感想:『7番房の奇跡』&『羊飼いと屠殺者』&『LOOPER/ルーパー』

 

●『7番房の奇跡』

 

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 もともとは韓国映画だが、トルコでリメイクされたバージョンを鑑賞。トルコ映画なんかなんてなかなか見る機会がないし、「ファンタジー色や感動色が強すぎる韓国版よりも抑えめなトルコ版の方が面白い」という評判を見かけたから。

 しかし、これで「抑えめ」かい、と思ってしまうくらいにこちらでも荒唐無稽さと感動の押し付けがひどい。特に「ここで感動してください」と言わんばかりのBGMがうざかった。女の子は可愛らしいし、知的障害者を演じる主演の人も演技が上手いし、脇役のギャングのおっさんも雰囲気が出ているとは思ったのだが、このストーリーはやっぱりキツい。特に、証人が射殺されるシーンは『ショーシャンクの空に』の丸パクリみたいな感じで「はあ?」って感じだった。あちらと違ってこちらでは殺害に必然性がないし…。いちおう死刑反対というメッセージは込められているみたいだが、それどころではないと思う。

 

●『羊飼いと屠殺者』

 

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 南アフリカの映画。『7番房の奇跡』と同じく死刑の問題を扱っているが、あちらとは打って変わってリアルで重苦しい、社会派な映画だ。

 が、今度は真面目過ぎて面白くない。「看守が死刑執行をやらされること」によるトラウマとかそういう制度の非人道性が強調されており(『羊飼いと屠殺者』というタイトルもまんまそれを表している)、そのメッセージには同意できるのだが、わざわざミステリー仕立ての法廷劇をされなくてもそんなことはわかっているんだよ、という感じだ。そして、ミステリー風であったり法廷劇であったりしながらもエンタメ性には欠けるので、興味が持続するわけではない。「なぜ青年は殺人を犯したのか」という問いへの答えは説得力に欠けるものだったし…。もっと面白い死刑反対映画がアメリカにはいっぱいあるので、南アフリカ特有の事情が反映されていることを考慮しても、わざわざこの作品を観る必要はそんなにないよなあと思った。

 

●『LOOPER/ルーパー

 

LOOPER/ルーパー (字幕版)

LOOPER/ルーパー (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 ジョセフ=ゴードン・レヴィットが30年後にはブルース・ウィリスになってしまうお話。

「30年後の未来ではタイムトラベルは開発されたのちに違法になったけどギャング団は非合法にタイムトラベルを利用しており、未来だと死体の処理が不可能になったので殺したい人間を過去に送り込んで処理している。その処理を担当する現代の殺し屋は、30年後に殺される運命であり、現在の自分自身が未来の自分を殺すというルールである」という持ってまわった異様な設定はどう見ても非合理的であるが、殺しの場面の絵面とか「自分で自分を殺す」という皮肉さなどが面白くて、掴みはバッチリという感じだ。そして、いざブルース・ウィリスがジョセフの元に登場した後の諸々の展開ではタイム・トラベルものが普通配慮する常識をかなぐり捨てていて「そうはならんやろ」という矛盾が盛り沢山であるのだが、まあそういう強引さも悪くないかもしれない。

「タイム・トラベルができたならヒトラーを殺すか?」的な定番のジレンマをテーマにしているところ、そこに「過去の自分が未来の自分を殺そうとするとどうなる?」という展開が交じるところが、この映画の後半の展開のキモである。……しかし、Xメンのダーク・フェニックスじみた安っぽい超能力がキーとなってしまったり後半に登場した人物たちが物語的には主人公よりも重要な存在になってしまったりと、テーマを描くための設定や構成がうまくいっていない。前半には「現在の主人公と未来の主人公」の物語が結構な尺を取って描かれるのに、後半になると急に置いてけぼりになってしまうのだ。特にブルース・ウィリスの存在感のなくなりっぷりはひどいものである。

 他の人の感想を見てみても「急に超能力が出てきてタイム・トラベル要素がかすれてしまったし、そもそもタイム・トラベルものとしては矛盾点が多過ぎてひどかった」という感想が大半なようである。まあ惜しい作品であるだろう。

『#生きている』

 

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 Netflixオリジナルで韓国映画でゾンビもの。

 ゲームオタクな青年のジュヌ(ユ・アイン)がマンションの部屋でゲームしているうちにゾンビパンデミックが発生して、マンションの外にはゾンビ大量発生で出ることができないので、家にあったレトルト食品で食いつなぎながら籠城していたら向かいのマンションで同じく籠城していた同世代の女子であるユビン(パク・シネ)と窓越しであったりトランシーバーを使ったりでコミュニケーションするようになって、そのうちにロープかなんかを使って合流してマンションからの脱出を試みるがゾンビが大量発生してもう大変で、あとゾンビではなく人間だけど悪人なおっさんのせいで危機に陥って……みたいなストーリー。

 コロナ禍のソーシャルディスタンスなご時世を反映させたり「離れても人と人との心はつながってますよ〜」的なテーマを描いたり、スマホやドローンやネットを駆使するデジタルネイティブな主人公のキャラクター性(それと対比させるようにアウトドア派なヒロイン)、マンションでの籠城というワンシチュエーション感(後半から言うほどワンシチュエーションでもなくなるのだが)などなど、ゾンビものに現代風のいろんな要素やキャッチーな工夫を入れたさっぱりした作品だ。

 韓国映画のゾンビものといえば『新感染』を連想するところだが、「善人は格好良く死ぬ、悪人は惨めに死ぬ」というモラリズムが徹底されていたり社会批判の要素も交えながら真面目でどっしりした作りであったあちらの作品に比べて、『#生きている』では現代的なテーマや社会風潮を描きつつもその扱いはかなり軽い。ちょっと気が利いているだけで実際には特筆すべき要素や画期的な点は何もない、佳作的なエンタメ作品だ。主人公の青年がいかにもアホそうな感じのキャラクターとして描かれている点はちょっと珍しいかもしれない。

 オタク青年によるマンションでの籠城という当初のシチュエーションは面白いのだが、そこの描写や設定を奥深く描くということもなく、比較的あっさりとユビンとの交流に話が移ってしまう。また、一旦マンションを脱出した後に色々あって悪人のおっさんに薬を盛られるまでの一連のくだりは異様につまらなく、ゾンビ映画にありがちな展開をやってみましたという感じしかしない。

 まあ無料で見るぶんには悪くないが、それだけ。エンタメとしても及第点ではあるがさほど優れているわけでもなく、毒にも薬にもならず記憶にも残らないという感じである。

『シャイニング』&『ドクター・スリープ』

 

『シャイニング』は五つ星、『ドクター・スリープ』は二つ星。

 

●『シャイニング』

 

 

シャイニング (字幕版)

シャイニング (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 いまでは大半のホラー映画はそんなに怖くなく見れるし夜におシャワーしたりおトイレに行くときにもホラー映画のことを思い出してビクビクすることはなくなったわたしであるが(『ヘレディタリー/継承』だけは例外で、あれは観終わったあとしばらくビクビクしていた)、若い頃はホラーがもっと苦手だった。そのため、キューブリック作品では『バリー・リンドン』や『フルメタル・ジャケット』などは観ていても、ホラー映画の金字塔、というイメージが強い『シャイニング』は敬遠していたのだ(そういえば『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』も観たことがないが、この二つはなんかつまらなさそうなイメージがあるからである)。

 

 そして、いざ観てみると、肝心の恐怖シーンはテレビのバラエティ番組のホラー映画特集とかで何度も見させられたものばっかりということもあって、さっぱり怖くない。惨殺された双子の死体のシーンとかテレビで見たときには恐ろしくて目を逸らしたものだが、いま見ると「はいはいゴア描写ね」という感じだし、狂ってしまったジャック(ジャック・ニコルソン)が斧でドアを壊して顔を突き出すシーンも「こんなもんか」だった。風呂場の老女や「盛会じゃね」おじさんや着ぐるみを被ったあいつなどの賑やかしな幽霊たちは怖いというよりもシュールであるし、ジャックが凍死している姿もその変顔のせいでもはやギャグである。

 しかし、時代遅れの滑稽な作品かというと、全然そんなことはない。怖くはなくても、「不穏さ」の演出は現代のホラー映画の作品ではほとんど見られないくらいに芸術的で印象的だ(『ヘレディタリー/継承』がいろいろな場面で『シャイニング』を参考にしていたこともよくわかった)。ホラー描写がほとんど出てこない序盤から「こりゃイヤなことが起こるな」と伝わってくるし、オープニングの空撮とかダニー(ダニー・ロイド)がカートを漕いでいる時のカメラワーク、大広間的な場所にタイプライターと机を置く異常な配置とか箱庭のような迷路のシーンなど、ほかの映画では目にかからないような場面が多くて、単純に楽しいのだ。

 俳優に関しては、ジャック・ニコルソンの良さは言うまでもない。斧を持ち出して暴れるシーンよりも、激昂しながら甲高い声で妻のウェンディ(シェリー・デュヴァル)をネチネチと責め立てるシーンの方が彼の本領が発揮されていると言えるだろう。シェリー・デュヴァルとダニー・ロイドはホラー映画の被害者ポジションとして古典的な役柄ではあるが、美女と美少年ということもあって映画栄えしている。特にシュリー・デヴュヴァルは、当時のファッションに黒髪ロングと痩せ体型の相性が良くて、かなり魅力的なヒロインだ。また、気の毒な目にあうマジカル・ニグロなハロランさん(スキャットマン・クローザース)もいい味を出していた。

 深読みしようと思えばいくらでもできる作品ではあるのだろうが、散々語り尽くされているだろうからわざわざ深読みする気は起きない。しかし、たとえばエンディングの写真のシーンと音楽、そしてエンドクレジットの後の話し声などは、恐怖感というよりも幻想感があってかなり不思議な余韻を残してくれる。映画史に残る一本であることもうなずける作品だ。

 

●『ドクター・スリープ』

 

 

ドクター・スリープ(字幕版)

ドクター・スリープ(字幕版)

  • 発売日: 2020/01/30
  • メディア: Prime Video
 

 

『シャイニング』の続編。ダニーは成長してユアン・マクレガーとなり、ローズ( レベッカ・ファーガソン)という女がひきいる吸血鬼もどきな悪人集団から自分と同じ超能力持ちの少女アブラ(カイリー・カラン)を守るため、幽霊になっちゃったハロランさん(カール・ランブリー)の助けを借りたり善人のビリー(クリフ・カーティス)を巻き込み死させたりしながら(またマジカル・有色人種的な描写になっていて気の毒だった、まあ主役格であるアブラがアフリカ系だからOKなのかもしれないけど…)、最終的には『シャイニング』の舞台となったホテルに戻って幽霊たちに吸血鬼を襲わせつつ自分も幽霊たちに襲われてあーだこーだ、みたいなストーリー。

 

 成長して「ドクター・スリープ」となったダニーがホスピスで働いている場面はそれなりに良かったが(かわいい猫ちゃんも出てくるし)、吸血鬼もどき集団と超能力者チームとの対立はB級感が漂っていて実にしょーもない。悪役のくせにジャンプ漫画の敵集団みたいに仲間思いな吸血鬼たちの設定には少し笑ってしまったけれど。

 後半にホテルに戻ってからは『シャイニング』のオマージュ…というよりも「そのまんま再現しました」というシーンのオンパレードで、血の海を見たローズがさして驚きもせずに「あーそういう感じね」と言わんばかりの皮肉な笑いを浮かべているところだけは面白かったが、まあ映画としては完全に『シャイニング』頼りであり、大した価値も完成度もない作品である。これで90分くらいで収めてくれていたらファンサービス的な作品としてまあいいかなとも思えたのだが、2時間半と無駄に長いために腹が立った。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』二部作を観たときにも思ったが、子どもの死を残酷に描くことで物語のスパイスとしているのは作品として悪趣味だ。また、シャイニングとかいう超能力を強調されたところでそんなん俺にはないから知らんがなという話であるし、なんの比喩や隠喩であるかもよくわからなければSFやファンタジーやバトルの文脈としてもさほど面白いものになっていない。ついでに言うと、ダニーがアルコール中毒に苦しんでいるという設定もあまりにありがち過ぎて「またかよ」って感じでうんざりした。

 原作者のスティーブン・キングが映画版『シャイニング』を嫌っていることは有名であるし、未だに許していないうえに「私にとっては、映画は小説よりも下に位置する、はかない媒体だ」とほざいている始末であるらしいが、キングの小説を忠実に再現した『ドクター・スリープ』よりも『シャイニング』の方が100倍は価値のある作品であるだろうし、『IT』の原作小説がグダグダと長くてつまらなかったことを思い出すとどうせ原作版『ドクター・スリープ』やそのほかの彼の長編小説も似たようなものであるだろう。キングの小説はあと10年や20年もすれば読む人がいなくなるだろうが(大御所的なエンタメ小説家のありがちな例として、昔からのファンが惰性で読んでいるとしか思えない)、『シャイニング』(や『ショーシャンクの空に』や『ミスト』など)はこれからも映画史に残る傑作として多くの人に鑑賞され続けていくことであろう(『ドクター・スリープ』や『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の寿命は短いだろうが)。

『インターステラー』

 

インターステラー(字幕版)

インターステラー(字幕版)

  • 発売日: 2015/03/25
  • メディア: Prime Video
 

 

 2014年の公開当時には、もちろん劇場に観に行った。しかし、ノーラン映画のなかでもとりわけ複雑な構成をした作品だということもあり、観た当時は何が起きているか正直よくわからない部分もあって、イマイチ楽しめなかった記憶がある。愛がどうこうという部分はちょっと恥ずかしくて白けてしまったし、主人公のクーパー(マシュー・マコノヒー)がブラックホールを抜けた先にある四次元空間に到達してぷかぷか泳ぎながら本棚の隙間から過去の娘や自分を覗いたり本をパタパタと落とすシーンは絵面の間抜けさや荒唐無稽さが先立って、「シリアスな映画」として楽しんでいいのかどうかよくわからずに戸惑ってしまった。2年ほど前にもNetflixで再視聴したが、そもそも小さいスクリーンで観るべき映画ではないということもあって、その時も「あーこんな話だったのね」と伏線やストーリーを再確認するという感じになってしまったものである。

 しかし、今回はじめてiMAXで観てみると、これがかなり面白かった。地球でのシーンに関しても実際にトウモロコシを栽培して畑ごと燃やしたという有名なエピソードがあるが、SF映画らしく、宇宙や惑星のシーンが大迫力なうえにセンスオブワンダーを感じられて、これぞiMAXで観るべき作品だと認識を改めた。水の惑星での山のような大津波に氷の惑星で凍っている雲、静かで圧倒的な土星の存在感に(マン博士のせいで)母船がクルクル回りながら遠ざかっていく絶望感、ブラックホールワームホールのファンタジー感など、アクションに特化した『ダークナイト』や臨場感がウリだった『ダンケルク』とはまた違った価値があるのだ。

 そして、オチやストーリーを知っていても…というか知っている状態で改めて劇場で観るからこそ、宇宙組がマン博士(マット・デイモン)の氷の惑星に到達する/マーフ(ジェシカ・チャステイン)がブランド教授(マイケル・ケイン)の死とウソを知るシーンから始まって、宇宙でのマン博士の裏切りと地球でトム(ケイシー・アフレック)とマーフとの間の緊張が発生して、そして母船とのドッキング〜ブラックホール突入にトウモロコシ畑の炎上とマーフの部屋で手がかりを探そうとする場面が同時進行で描かれる、一連のシーンのハラハラ感が存分に楽しめるのだ。なにしろハラハラする場面が数十分単位で続くうえに宇宙と地球との同時進行なので構成も複雑であり、初見では何が起こっているかよくわからず、かといってPCのモニターで観ていても集中力を持続させるのが難しいので、これは劇場での再鑑賞ならではの楽しみだった。

 

 映像のことは置いておいて、ストーリーの話をすると……いつも言っていることだが、わたしはSFというジャンルがそれほど好きではないし、ロマンが強調される宇宙ものは特に苦手だ。『インターステラー』のなかでも序盤に登場する「宇宙開発への投資ってカネと資源の無駄じゃん」と言うキャラクターが近視眼的な考え方しかできない俗悪な小市民として描かれていたが、わたしも「無駄じゃん」と思うタイプである。また、『インターステラー』が明らかに意識しておりプロデューサーなどの関係者が同一な作品でもある『コンタクト』なんかは、むしろ嫌いな作品だ(理系のロマン主義と選民意識、そして監督ロバート・ゼメキスの保守的で幼児的な勧善懲悪趣味が一体となった、いろんな意味で醜悪な作品だと思う)。

 しかし、相対性理論による時間の時間の遅れがどうこうという点は単に物語のテーマや科学的リアリティという以上にストーリー面での仕掛けに効いており、そのおかげで他の映画にはないような展開や描写が盛り沢山になっている。水の惑星でちょっとトラブルがあっただけで23年という取り返しのつかない時間を失ってしまうという絶望感溢れる展開は、マン博士の裏切りと並んでこの映画の中でも最も印象的なところであるかもしれない。

 時系列を飛び越えて冒頭と終盤がつながり、クーパーとマーフが感動の再会をしたりクーパーがジェネレーションギャップを感じたりするシーンも素晴らしい。このクライマックスの後の終盤の展開に関しては、散々ハラハラドキドキしたうえで四次元空間というファンタジー描写がドカンと出た後に「ここで冒頭とつながるのか」という驚きを与えたうえでジョークも交えながらゆっくりしんみりした展開にする、というメリハリが効いていて、映画を見終わった後にはかなりの爽快感が得られる…という仕上がりになっている。途中でドイル博士(ウェス・ベントリー)を失ったりロミリー博士(デヴィッド・ジャーシー)が踏んだり蹴ったりの悲惨な目にあった末に死んでしまったりなどのかなり暗く重たい展開が続くのだが、最後まで観た頃にはポジティブな印象が優っていてまったく後味が悪くないのだ。

 宇宙や物理学に関する知識だけでなく、クーパーとブランド博士(アン・ハサウェイ)が愛を議論するシーンやマン博士の演説で進化論的な考え方に触れられるところも気が利いている。TARSやCASEなどのロボットたちの魅力もバツグンだ。登場人物全員が理系であり文系の出る幕がまったくないお話であるところはちょっと気になるが、一部のSF作品にあるような嫌気が感じられるほどではない。

 

 他のSF作品のような嫌気を感じない一因としては、理系や科学とその背景にある「理性」と「人間の意志」を絶対視せずに、どれだけ崇高な目標と立派な人格と高度な能力を持った人間でもいつ"闇落ち"するかわからない……という世界観が徹底されていることがあると思う。散々前振りされたうえでサプライズ的にマット・デイモンの姿をして登場するマン博士は、ブランド教授やトムと並んで闇落ちしてしまった人物であり、「自然に善悪はなくて、悪は人間に宿る」というこの映画のテーマのひとつを象徴するキャラクターだ。

 ここの「悪」の描き方は賛否両論あるだろうが、同じくマット・デイモンが大活躍する『オデッセイ』のように素朴に素直に科学と人間の意志を肯定して讃えるよりかは、『インターステラー』のように負の面を描く方が物語や作品として誠実で上等であるだろう。

 重要な場面で何度か出てくる「穏やかな夜に身を任せるな」の詩にはポジティブな意味を持たされつつも映画内では不穏さを醸し出す扱われ方もしており、ここら辺の演出や高尚さも、さすが”巨匠”感溢れるノーランならではだと思った。

 

 アン・ハサウェイはロングヘアーの方が魅力的だとかやっぱり四次元空間でプカプカ浮かんでいるのは絵的に間抜けさが先立ってクライマックスの説得力を減じているんじゃないのとか、文句を付けられる箇所はいくつかあるのだが、2010年代の映画のなかとかノーラン映画のなかとかいう枠を超えて、映画史レベルで偉大な作品であることは間違いない。宇宙と時間が絡むSFという設定に脚本や構成などの技術面と物語的なテーマをがっちり噛み合わせたこと、清濁併せ吞んだ"深い"お話であること、映像面でも役者面でも惜しみなく豪華であること……などなどがその理由だ。

 わたしのなかでは、これまで『インターステラー』はノーラン作品のなかでは中くらいの評価だったのだが、今回改めて再視聴したことで一気にトップに躍り出た。繰り返しになるが、これこそiMAXで観るべき作品である。

ひとこと感想:『最高の人生の見つけ方』、『アイ・アム・マザー』、『ニンジャバットマン』

 

●『最高の人生の見つけ方

 

最高の人生の見つけ方 (字幕版)

最高の人生の見つけ方 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 かなり有名な映画ではあるのだが、わたしはこれまで未見で、今回はじめて視聴した。

 評価の高い映画であると思ってけっこう楽しみにしてとっておいたし、モーガン・フリーマンジャック・ニコルソンという名優が出ているのだからクオリティもさぞかし高いだろうと期待していたのだが、いざ見ると「うーん…」という感じ。主演二人のキャラクターにはそれなりに魅力はあるが脇役は書き割り的、ストーリーはところどころに脚本的な工夫はありながらも予定調和感がつきまとう。

 なにより、海外周遊をするパートになってからは違う異国に行くたびにモーガン・フリーマンジャック・ニコルソンがお着替えてしてBGMもそれぞれの国特有のエキゾチックなものになって……という演出がかなりダサくて、それでだいぶ白けてしまった。ジャック・ニコルソンがスカイダイビング中に歌うシーンも無性にイラっとした。

 

●『アイ・アム・マザー』

 

www.netflix.com

 

『ミリオンダラー・ベイビー』を見てヒラリー・スワンクが出ている映画をもっと見たくなったので、Netflixオリジナルのこちらを鑑賞。「娘」役の、主演のクララ・ルガアードも良かった。

 お話としては、『エクス・マキナ』をちょっと連想させるようなサイコパスAIもの。「母」と冠されたAI含めて女性しか登場人物が出てこないことも印象的だ。冒頭ではAIによる牧歌的な子育てシーンが挿入されてちょっと暖かな印象を受けるが、そこに隠された恐るべき事実を知るとゾッとする。後半まではずっとミニマムでクローズドな施設内で物語が展開するのだが、それが、AIの意識は空間を超えて連結しているという設定により「外」の世界が崩壊した原因と直結しているところもなかなか面白い。途中までは「母」か外部からきた「女性」か、どちらを信じればいいのか「娘」にも判断がつかないところもハラハラする。少しSFに詳しい人であれば予測できるような展開やオチではあるかもしれないが、設定的にも脚本的にもほとんど隙がない、技巧の優れた作品ではあると思う。

 ……とはいえ、AIもののスリラーって結局は機械風情が人間様相手に勝ち逃げしてしまう展開になったり、そもそもの事件の発端から結末までAIの掌の上だったりするので、人間様の一員であるわたしとしては見ていてイライラする。あとAIって表情はないし痛みはないしで、どうしてもやっつけてスカッとする展開にできないところも歯がゆい。

 シリアスなSFサスペンスであるために、『アップグレード』にあったような「遊び」やユーモアが感じられないところも、見ていてなかなかしんどい。『エクス・マキナ』のように映像的な美しさもないし、また現実の社会における女性と男性との対立の問題もオーバーラップさせていた『エクス・マキナ』に比べると、『アイ・アム・マザー』はタイトルから連想されるような「母性」に関する社会的な何かを描けているわけでもなく、あくまで虚構のお話を描くことに終始している。

 それでずっと真面目くさってシリアスなので、途中から飽きちゃうというか、「はいはいそういうお話なのね」って感じだ。SFをやるなら、ユーモアやアクションを入れてエンタメ性を加えるか、シリアスにやるなら現在の社会の問題を投影させてその物語を真面目に考える意味を観客に与えるかの、どちらかでなくちゃいけない。特にわたしはシンギュラリティとか「AIが人間を滅ぼす」的な未来予測は全く信じていないので、そのお話をそのまま描かれても興味が持続しないのである。

 

●『ニンジャバットマン

 

 

ニンジャバットマン

ニンジャバットマン

  • 発売日: 2018/10/10
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 酒を飲みながらダラダラ鑑賞した。キャラクターが多すぎてストーリーはとっちからっておりゴミみたい。キャラクターに感情移入できる要素もなければ展開の面白さなども全くなく、「このキャラクターなら言いそうなセリフ」とか「バットマンのお決まりな展開」とかの「それっぽさ」をひたすらやるだけの作品。

バットマンのキャラクターたちが戦国時代にタイムスリップした」という設定は稀有なんだから、真面目にストーリーを練っていればいくらでも面白くできたと思う。たとえばタイムスリップするキャラクターを敵味方含めて5人くらいに絞って、その代わりに織田信長とかの実際の武将を出して、歴史改変やifの要素を追求する……などなどだ。

 ただ、そもそも「面白い作品」とか「優れた作品」を作る気が作り手の側にはハナからなくて、「日本のアニメーション技術でバットマンを描いてみる」という企画ありきの作品なのだろう。良くも悪くも「お祭り映画」なのだ。そういう視点で見てみると、実写版映画ではあまり活躍しないキャラクターも出てきたりして悪くなかった(真面目に見ると時間の無駄だが、酒を飲むついでに見るならアリだ)。特に、ゴリラが悪の天才博士であるという設定は、原作でもそうであるから仕方がないとはいえ、バカみたいで笑えた。ノーランとかベン・アフレックとかのシリアスな実写版バットマンでもゴリラが出てくるのを見てみたいと思った。