THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

2021年:映画ベスト10&ワースト5

 

 感想記事を書いた映画については感想記事へのリンクを貼ってます。『ドント・ルック・アップ』と『ラストナイト・イン・ソーホー』の感想記事もそのうち書く。

 

1位:フリー・ガイ

 

2位:モーリタニアン 黒塗りの記録


3位:ラストナイト・イン・ソーホー

 

4位:クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園

 

5位:クーリエ 最高機密の運び屋

 

6位:ドント・ルック・アップ

 

7位:キャッシュトラック

 

8位:エターナルズ

 

9位:007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

 

10位:機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

 

 ワーストのランキングもあえて作成しておこう。

 

1位:ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ

 

2位:ドライブ・マイ・カー

 

3位:最後の決闘裁判

 

4位:パワー・オブ・ザ・ドッグ

 

5位:ザ・スーサイド・スクワッド

 

 ワーストについては、単純な「おもしろくなさ」で言えばヴェノムと『DUNE/砂の惑星』がぶっちぎりなのだけれど、世評や批評家の反応、政治的要素などを考慮したうえでの順位である。

 今年は『007』やMCU映画4本も含めてとにかく「有害な男らしさ」を取り上げたり批判的なかたちで「男性性」を描いたりする作品が多かったけれど、いずれの作品も「男性性」を直視したり「男」とは何たるものかということについて真剣に考えたりしている様子は見受けられず、「ジェンダー論やフェミニズムによると、有害な男らしさとはこういう風に構築されて、こういう影響をもたらす」という事実認識に関する理論と「男性性は否定しなければならない」という規範的な風潮を基盤としていて、ジェンダー批評家たちとSNSの映画ファンダムと世間知らずで人生経験皆無のZ世代たちの方にチラチラと目配せしながら作りましたという小賢しい魂胆しか感じられずに、良質な物語を作るうえでは欠かせないはずのリアリティとバランス感覚も失われていて、ひどいと思った。

 特に『ドライブ・マイ・カー』や『パワー・オブ・ザ・ドッグ』が批評家たちから絶賛一色となっているのは嘆かわしい。2022年以降も「現実」ではなく「理論」を反映した映画が作られつづけることだろう。

 

 

監督がインタビューで「男性の弱さ」について「社会的な構造」などのタームを用いながら語っているところも黄信号だ。一昔前ならともかく、現代ではクリエイターはヘタにジェンダー論に触れない方がよい物語を作れると思う。兎にも角にも物語の目的のひとつは人間のリアルな姿を描くことにあり、他の目的だって作り手が人間のリアルを理解していないと達成することが難しくなるだろう。そして、昨今のジェンダー論は、人間のリアルを照らし出したり浮き彫りにしたりするのではなく、それを覆い隠すほうに機能していることは明確だ。もしかしたら、まず批評家たちのほうがジェンダー論に傾倒して、そこから高評価を得るために作り手の側が意識的にも無意識的にもそういうフレームワークに迎合していく、という構図はあるかもしれない(だからカンヌもとれたのだろう)。でもそんなことしていたら世に出る作品はどんどん画一的になってくだらなくなっていくのでダメです。

theeigadiary.hatenablog.com

 

 逆に、ベストに選んだ作品のトップ5については、上述したような「小賢しさ」がまったく感じられず、エンターテイメントについてもメッセージ性についても昨今の風潮とか批評とかをそのまま鵜呑みにするのではなくて「おもしろい物語とはこういうものだ、伝えるべきメッセージとはこういうものだ」という作り手側の意志や熱意のほうが全面に出ていたところが好ましく、劇場で観ていてワクワクした(6位以降の作品は『キャッシュトラック』と『閃光のハサウェイ』を除けば「小賢しさ」がけっこう強いんだけれど)。また、トップ5の作品は『ラストナイト・イン・ソーホー』を除けばある種の「モラル」や「規範」を説いている作品でもあることには留意したい。昨今の風潮や批評家と観客の要請に従って移り気な「政治的正しさ」を説く作品はつまらないのだけれど、それはそれとして、おもしろい作品や名作には「モラル」や「規範」が含まれていることが多い、というのが映画や物語について考えるうえで忘れてはいけないところだ。

 

 特に、あまり期待していなかった『フリー・ガイ』を劇場で観た時の衝撃的な楽しさはいまでも鮮明に覚えている。

 

ロマンティック・ラブへの憧れ、そして「モブキャラではなく主役になること」への憧れは、なんのかんの言っても、多数派の人間に備わっているという点で普遍的な欲求であると思う。そして、良い物語をつくるためには、それらの欲求の存在をきちんと理解しなければいけない(その欲求を満たすか、あえて裏切るかは、物語次第だけれど)。

theeigadiary.hatenablog.com

 

モーリタニアン 黒塗りの記憶』はやや知的で高度なテーマを設定しながらもエンタメ性も充分で、あまり注目されていないようだけれどベスト級の作品であったと思う。

 

とはいえ、依頼人が有罪であるか無罪であるかに関係なく依頼人の権利を守ることが弁護士の使命であり、容疑者を告発するための証拠に問題があったり不当な尋問が行われていたりすれば告発を取り下げる義務が検察官にはあるという、「法の精神」や「デュー・プロセス」がこの映画の第二のテーマとなっており、物語面でのおもしろさはやはりこちらにある。

theeigadiary.hatenablog.com

 

『ラストナイト・イン・ソーホー』は中途半端にフェミニズム的な題材を扱っているせいでその描き方の(フェミニズムジェンダー論から見たうえでの)「不誠実さ」や「不十分さ」が批判されているわけだが、逆に言えば、あくまで娯楽性や観客の快楽を優先する軽薄さが、映画作品としての面白さにつながっていた訳である。

 

 とはいえ、軽薄であればいい、なにも考えずに作ればいい、というものでもない。ことし劇場に観に行ったなかで、いちばん「時間とお金を無駄にしたなあ」と思わさせられた作品は『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』であった。考えさせられたりする要素もないからイライラしたりヤキモキしたりすることもないけれど楽しかったりワクワクしたりすることもない、という作品がいちばん最悪だ。

 

 ところで、今年に劇場で観た映画のほとんどは恋人と一緒に行ったものだ。映画好きの相手と付き合うのはかなり久しぶりなのだけれど、「一緒に観に行った後に相手との会話が盛り上がるかどうか」という点って映画を評価するうえでかなり重要な要素である、ということに気付かされた。『ラストナイト・イン・ソーホー』を3位にしたりMCU映画のなかでも『エターナルズ』をランクインさせた理由の一部には「会話が盛り上がったから」というところがある。

 

『ジョンQ-最後の決断-』+『イン・ハー・シューズ』

●『ジョンQ-最後の決断-』

 

 

 

 

上映当時から作品の存在は知っていたが、あらすじの内容からしていかにも重苦しそうだと決め込んで、20年間ずっと観ていなかった作品だ。そしていざ観てみると、まあ確かに社会派映画ではあるんだけれど、やたらとジョンQデンゼル・ワシントン)に同情してくれる善人が多かったり悪人はいかにも書き割り的な運良くご都合主義のハッピーエンドとなる展開だったり、気が抜けるくらいにうるせえBGMの使い方のヘタクソさだったりと、思ったよりもずっと悪い意味での「軽さ」が強い作品であった。たぶん、批評家ウケは相当悪いんだと思う。……が、しかし、わたしは観ていて楽しかったし、なかなか気に入った。  

リアリティはなくとも「社会」とか「大衆」とかを寓話的に描きながら、小規模なトラブルや危機が起こっては解決するというテンポよく飽きさせない構成で観客を愉しませつつ、資本主義とかアメリカの歪んだ保険システムに対するありきたりでお決まりではあるけれど真っ当な批判をおこなう、という感じは『マネーモンスター』を思い出させる(たぶん『マネーモンスター』は『ジョンQ』を参考にしているんだろう)。

 主人公のデンゼル・ワシントンはもちろんのこと、ロバート・デュヴァル演じる人情味あふれる警部補は魅力的だし、アン・ヘッシュ演じる院長のイヤなヤツ具合もちょうどいい。エディ・グリフィンの気の良さやショーン・ハトシーの小物っぷりなど、脇役も印象的であるし、登場人物の数が多いわりに無駄なキャラクターが少ないのがよいところだ。

 

●『イン・ハー・シューズ

 

 

 

 読字障害のために就労に問題があって性的資本をウリにしながらその場しのぎで将来性のなく人に迷惑をかける生活を過ごしている妹のキャメロン・ディアスと、弁護士として成功しているけれど容姿がよくないのでコンプレックスを抱えている姉のトニ・コレット、そして二人の祖母でありフロリダの老人ホームで暮らしているシャーリー・マクレーンの関係性を描いたヒューマンドラマ。

 すぐに人のモノや金を盗もうとしたり姉のボーイフレンドを考えなしに誘惑したりするなど、ダメ人間としての妹の描写は、露悪的でないぶん底辺の女性の描き方としてリアリティがある。姉の感じているコンプレックスの描写もなかなか生々しい。昨今の映画ではとくに女性の抱える「負」の側面はほとんど描かれないので、彼女たちの描写はなかなか新鮮だ。

 一方で、「負」の描き方のリアリティがあり過ぎるがゆえに、フィクションとしてのポジティブ描写や感動に欠けているのが困りどころ。とくに妹は人に迷惑をかけるダメ人間過ぎて同情も共感もできないので、後半になって彼女に向上したり更生されたりしても気が乗らずに白けてしまう。姉のほうだって悪い人ではないけど魅力的でもないから、彼女の人生の物語にあんまり興味を抱けなかった。

『ブリッジ・オブ・スパイ』

 

 

 2016年の正月に劇場で観ていたく感動して、ラストシーンではちょっと泣いてしまった作品だ(ほかに「この映画で泣いたなあ」と明確に記憶しているのは『グラン・トリノ』なんだけれど、わたしはいわゆる「男泣き」的なタイプの感動に弱い)。そのあとにも配信でも2度観たけれど、なんど観てもおもしろい。スピルバーグの映画のなかでも『ジョーズ』と並んでいちばんの面白さがあるし、コーエン兄弟ならではのドライでシュールさもある展開や状況描写とスピルバーグ流の濃厚で王道な人物描写と演出が実に理想的な化学反応を生み出しているように思える。

モーリタニアン』と同じく、『ブリッジ・オブ・スパイ』も主人公が弁護士であるために「法の精神」が強調されている。主人公の弁護士であるジェームズ・ドノヴァン(トム・ハンクス)がCIAだかなんだかのへらへらした諜報員を「アメリカ人は憲法を守ることではじめてアメリカ人として認められるんだ」と説教して怒鳴りつけて追い返すシーンは痛快このうえない。『リチャード・ジュエル』でサム・ロックウェルが演じた弁護士も似たようなキャラクターをしていたけれど、とくにアメリカ映画ではアメリカという国の成り立ちや理念もあって「弁護士」という職業のヒーロー性が輝くようだ。

 裁判がメインの映画ではないのだけれど、国中から嫌われている「敵」であるロシアのスパイ、ルドルフ・アベルマーク・ライランス)を弁護士としての職業理念に基づいて守るドノヴァンの姿には、「法廷もの」の醍醐味が詰まっている。アベル曰く「不屈の男」であるドノヴァンの正義感や信念を真っ向から描き切ることがこの作品のテーマであり、それに関してはかなりストレートでちょっとくどいくらいに劇的。おそらく2016年の時点でも相当な古臭さがある内容ではあっただろうが、最近の映画業界人にはここまで照らいなく「英雄」を描いて感動的なストーリーを作ることはできなくなっているからこそ、逆説的にスピルバーグの偉大さが再確認できることになる(『シカゴ7裁判』も当初の予定通りにスピルバーグが撮っていればもっと面白い作品になっていたことだろう)。

 

 途中でアメリカ軍の兵士だけでなく東ドイツへの留学生までもが捕まってしまって捕虜交換の対象となる、という事実を題材にしたストーリーならではの錯綜や不条理さも、ストーリー展開の意外さや起伏につながっていておもしろい。橋での交換のシーンや「抱擁」に関するミスリーディング、アベルの「偽家族」の白々しさ、東ドイツの司法長官の秘書に「伝言」を伝えるシーンの痛快さ、電車のなかで針の筵になっていたのがすべての事態が終わったら正当に評価されるという帳尻合わせなどなど、映画的で印象に残るシーンも目白押しだ。これからも、なんども定期的に観返す映画のひとつとなるだろう。

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』

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 実は同性愛者であるベネディクト・カンバーバッチが底意地の悪い「家父長」を演じながら弟の嫁(ジェシー・プレモンズ)の嫁のキルティン・ダンストをねちねちといじめて、ナヨナヨしている嫁の連れ子のコディ・スミット=マクフィーのこともいびろうとしたら彼もどうやら同性愛者らしく、シンパシーを感じたカンバーバッチは連れ子のことを「男」とするためにメンターとなって指導を行うが……というお話。

 舞台や時代の設定は「西部劇」であるは、LGBT要素を観客の予想の付かない方向にうまく活かしたサスペンス作品としてのおもしろさがある。「有害な男らしさ」があーだこーだみたいな、いかにも2021年でウケそうな要素を全面に出しつつも、一面的で単純な「ポリコレ映画」というわけでもないので、とくに批評家からは好まれるタイプの作品であるだろう。アカデミー賞候補だとも言われているようだ。

 ……とはいえ、Netflixで観れるところをわざわざ映画館まで行ってみたのだが、退屈できつかったことは否めない。とくに前半では登場人物の掘り下げに徹してストーリーの起伏やおもしろさが犠牲になっており、中盤でカンバーバッチが同性愛者と判明するあたりからはだんだんと物語に興味を抱けて惹きこまれるようになっていくし、冒頭の意図がよくわからないとある人物のモノローグの意味がクライマックスでようやく判明するあたりも上手いのだが、しかしいかにも「小説」が原作であることがミエミエな構成であることは否めず、「映画」というメディアに移し替えるならもっと工夫するべきであったと思う。BGMもストーリーの重苦しさや陰鬱さを反映したぱっとしないものであり、眠くなっちゃった。

 

 ほとんどストーリーに関わらない脇役のメイドさんを演じているトーマサイン・マッケンジーはやたらと可愛くて魅力的。可愛いと言えばウサギは何羽か出てくるけれど解剖されて内臓を取り出されてしまったり追い詰められて震えさせられた挙句に首を折られたりと散々な目にあっていて気の毒だった(『最後の決闘裁判』とおなじく、動物に対する扱いを通じて女性差別と「有害な男らしさ」を描いているところは注目すべきかもしれない)。

 気の毒といえば、カンバーバッチが演じるキャラクターもネチネチしたイヤな野郎であるとはいえ、いままで苦労して生きてきたことは察せられるので、信頼した相手に裏切られて惨めに死ぬという最期はじつに気の毒だ。逆に、そのカンバーバッチにいじめられていて本来は同情の対象とすべきキルティン・ダンストのキャラクターにはほとんど魅力が感じられなくて、だからあまりかわいそうに思えなかった。

『SPY』+『メリーに首ったけ』


●『SPY

 

 

 

 ジェームズ・ボンド的なイメンスパイであるジュード・ロウの補佐役をやっていた主人公のメリッサ・マッカーシーが、復讐のためにスパイ活動に志願したところ意外な才覚が判明して、そんでヌケてるコメディリリーフジェイソン・ステイサムが要所で邪魔したり助けたりしてくる。
 スパイアクションはガワでしかなく、太っちょな見た目や周囲の扱いから自分に自信がなく自己卑下的であったヒロインが仕事で活躍することを通じて自信を身に付けて、イケメンに対しても堂々と接することができるようになってセルフ・エンパワメントして「あたしらしい生き方」を発見するみたいな、いかにも批評家とかが絶賛しそうなOL応援物語である。そしてかなりコメディ調であり、そのせいで展開はグズグズグダグダしている。で、そこまで笑えるというものでもない。
 しかしジュード・ロウは『キャプテン・マーベル』といい『リズム・セクション』といい、ヒロインの年上の指導者でありながら「有害な男らしさ」だかなんだかによってヒロインの自立なり自信なりを抑圧してくるイヤなヤツで、でも最終的には「自分の本当の強さ」を勝手に発見したヒロインによってやっつけられたりギャフンと言わされたりする、という役柄がやたらと多い。なんというかイケメンではあるけれど薄毛でちょっとムカつく顔であるところが女性の嗜虐心をそそるのだろうか。あるいは、人がいいのでそういう役柄を好んで引き受けているということかもしれない。

 

●『メリーに首ったけ

 

 

 

 

 中学生のときにVHSで両親と一緒に観た(アメリカ人のインテリはバカなので下品でくだらない映画をあえて家族と一緒に観ることが気が利いていて文化的だと勘違いしている)。

 内容はほとんど覚えていなかったけれど、観返してみると、まあ実に下品でくだらない。同じファレリー兄弟のコメディでも『Mr.ダマー バカMAX』や『ふたりにクギづけ』のほうがずっと面白い。ヒロインのメリーを演じるキャメロン・ディアスの可愛さとセクシーさを同時に兼ね備えた魅力を堪能できることだけが取り柄。
 メリーの人格とか意志とかはほぼ描写されないが、彼女を「トロフィー」として追い求めるベン・スティラーマット・ディロンなどの男たちの愚かさを描くのが主眼の作品なので、そこは欠点ではない。ただ、メリーに絡む男キャラがやたらと多いし、途中でマット・ディロンが出張り過ぎてベン・スティラーのほうが主人公であることを忘れさせられたりするなど、妙に展開が複雑なせいでグダグダになっている。あと下品すぎてコメディとしてもいまいちだなあ。

『サイン』&『フライトプラン』

●『サイン』

 

 

 

 

 公開年は2002年でわたしは中学一年生だったけれど、やたらと評判が悪かったような記憶がある。……と思って調べたら、「2002年で最も高い収益を上げた映画の一つ」であるそうだ。まあ『シックス・センス』は大ヒットしたはずなので、同じシャマラン監督作品である『サイン』も期待して観に行った結果、予想と反した内容で「なんじゃこりゃ」となって悪評につながった、ということかもしれない。

 

 とはいえ、わたしは今回はじめて観たのだけれど、ふつうに面白い。メル・ギブソン演じる主人公の娘(アビゲイル・ブレスリン)と、主人公の弟役を演じるホアキン・フェニックスが出てくるシーンの大半は「シリアスな笑い」というか、シュールな面白さがあり、終始真面目腐った顔で家族を守ろうと腐心するメル・ギブソンといい対比になっている。この「シリアスな笑い」の描き方はどちらかといえば90年代やゼロ年代というよりも現代の映画の水準に近いのではないだろうか。

 公開当時にテレビで流れていた予告などからはもっと曖昧で重厚な「心理劇」な作品だと勝手に思い込んでいたのだが、ドストレートに古典的なミステリーサークルがドカンと出るオープニングから、冗談みたいに王道なグレイ型の宇宙人と対峙することになるクライマックスまで、並の映画にはないような明け透けな展開が繰り広げられて驚いた。とはいえ、『宇宙戦争』的なストーリーをマクロではなくミクロな視点から描くというのはあくまで表面上のものであり、ある意味ヨブ記的な「神への疑い」とか「信仰心を忘れないこと」がメインのテーマであるのだろう。それにしたってストレート過ぎる気はするが、「シリアスな笑い」パートの面白さと逃げも隠れもない本筋の直球っぷりには好感が抱けて、見ていて楽しかった。

 

●『フライトプラン

 

 

 

 

 こちらも『サイン』と同じく、公開当時に話題になったが評判も悪かった、という記憶がある作品。また、『サイン』と同じく、当時の予告から「実は主人公の娘は存在しなくて主人公は精神病という、よくある心理サスペンスかな」と15年以上ずっと思っていたのだけれど、いざ観てみたら「心理サスペンス」と観客に推測させること自体が二重のミスリーディングとなっている、王道でまっとうなサスペンス作品であった。

 ジョディ・フォスター演じる主人公からは「母親」としての力強さや根性を感じられるので、クライマックスの展開も安心してみられる。一方でピーター・サースガードが真犯人であるというのはちょっと捻りがなさ過ぎて、彼がやられて黒幕が判明する……という展開のほうがワクワクしたしミステリーとしても面白くなったと思う。共犯役のエリカ・クリステンセンは唇がセクシーで魅力的、機長役のショーン・ビーンが最後に謝罪するエンディングで予想できたものではあるけれど王道で感動的だ。

 ……もっとも、観客の誰もが思うだろうけれど、「濡れ衣を着せようとしたアラブ人には謝ってやれよ」とは思った。原題の作品なら彼の扱いはもっとずっといいものになっただろうし、テロ事件から数年後である当時のアメリカの雰囲気がちょっと伝わってしまった。

『アナライズ・ミー』&『アナライズ・ユー』

 

 

 

 ロバート・デ・ニーロ演じるマフィアのボスが少年のときに父親を亡くしたトラウマからパニック障害を発症したが、「男らしい」マフィアの世界ではパニック障害になったりそれを治療したりするのは「恥」だと見なされるので、ひょんなことで知り合ったジェリー・クリスタル演じる精神科医の元でお忍びで治療を続けて、精神科医はデ・ニーロにめちゃくちゃ迷惑をかけられるけれど、なんだかんだで二人の絆は深まっていきデ・ニーロの障害も治療できて……という一作目と、今度はデ・ニーロのほうが精神科医の病を癒すことになる二作目。

 

「男性同士のケア」だの「有害な男らしさ」だの、どこぞの批評家とかイマドキの(女性)観客が好んで観たがるようなテーマが90年代終盤やゼロ年代の時点で扱われているところには、ある意味で先見の明があるとはいえる。しかし、現代的な観点からするとその扱い方の手つきはかなり雑であり、デ・ニーロ演じるキャラクターをバカにしたりホモソーシャル的な観点を相対化できていたりするとはいえず、批評的な観点からはさほど優れているとは判断できないだろう。

 

 批評的なポイントやジェンダー的な観点を抜きにして評価すると、コメディとしてはまずまず。『ゴッドファーザー』をはじめとする諸々のマフィアもののパロディ描写は徹底しており気合が入っているし、ドン・コルレオーネが銃殺されるシーンでデ・ニーロがフレドの役を演じている、というくだりも(ちょっとくどいが)笑える。『フレンズ』のフィービーを演じる女優(精神科医の奥さん役)とデ・ニーロが一緒の場面にいるのもなんだか不思議でおもしろい。デ・ニーロの側近のマフィアのおじさんもかわいいし。

 

 とはいえ、デ・ニーロが精神科医に対してあまりに一方的に迷惑をかけて彼の人生に少なからぬ悪影響を与えるのに、それに見合うだけの救いとか見返りとかが精神科医に与えられるわけではないので、見ていて不愉快になるところも多いし後味もそこまでよくない。このバランス感覚の悪さは、90年代というよりも80年代やそれ以前のレベルだと思う。精神分析を活かしたジョークもちょっと浅い。それでも一作目はデ・ニーロと精神科医が打ち解けて友情を築くまでの描写や終盤における精神科医のプロフェッショナル精神など見るべきところが多く、自身の内面にある繊細さや葛藤と「メンツ」を重視するマフィアの世界の価値観との間で綱渡りをするデ・ニーロのキャラクターに深みを感じたりもできるのだが、二作目では一作目にあった高尚さや美点が失われてグダグダのコメディになっている。

 

 いずれにせよ、テーマが現代的なだけあって、2020年代にリメイクしたらより知的で繊細に、かつコメディのクオリティもアップさせた名作に化ける可能性のある題材ではあるだろう。ただし、マフィアを演じまくってきた実績のあるデ・ニーロという名優が主人公であるからこそ成り立つ作品でもあることは事実だ。デ・ニーロに匹敵する俳優は現代だとちょっと考えづらい。