THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『1917 命をかけた伝令』:戦場の地獄めぐりゲーム

 

1917

1917

  • アーティスト:Original Soundtrack
  • 出版社/メーカー: Sony Classical
  • 発売日: 2019/12/20
  • メディア: CD
 

 

 

 無職なので平日でもお構いなしに映画を観に行ける。昨日の午後、新宿はTOHOのIMAXにて『1917 命をかけた伝令』を観にいった(毎月14日はTOHOが安くなる日なので、IMAX料金を合わせて1800円しかしなかった)。

 この映画は予告編からして『ダンケルク』を思い出す人が多いだろう。第一次世界大戦第二次世界大戦の違いとはあるが、どちらもイギリス軍が主役の戦争ものであり、兵士が何かに追われている感じのサスペンス風味がただよっていて、複雑なストーリーはなさそうだが作品の構造や撮影などの「魅せ方」がウリな感じがする。

 余談だが、『ダンケルク』は上映当時になぜか4DXで見に行ってしまい、時間軸が特殊な作品であるから物語への集中が要求されるタイプの映画だったのに、席が無駄に動くわ水をピチャピチャかけられるわで全然集中できず、かなり最悪な映画体験になった思い出がある。また、4DXで観たこととは無関係に、サスペンスがずっと続く緊張感と画面の暗さや地味さのために、『ダンケルク』には作品そのものの質や面白さとはまた別のところで「しんどさ」を感じてしまったことも否めない。ノーラン監督の作品はどれもサスペンスやスリラーであり、通常の監督では持続させられないような緊張感を2時間以上にわたって持続させられることがウリの監督とは言えるのだが、それにしても『ダンケルク』は他の作品に比べてしんどかった。

 …そして、予告編を見たときには、『1917 命をかけた伝令』も同様の「しんどさ」がありそうな作品だと思わされてしまった。たしかに「全編ワンカット撮影*」*1はすごそうであるが、同じく「全編ワンカット撮影*」であった『バードマン』のときには画面の構成の単調さや変わりばえのなさに途中から飽きてしまったのだ。なにかしらの伝令を抱えてパッとしない兵士が走っているだけの『1917』は、『バードマン』よりもさらにストーリーが単調そうだ。画面だって、ずっと戦場にいるんだから、味方の兵士たちと塹壕にいるか地上で敵兵士から逃げまどっているかのどちらかであろう。撮影の技巧以外に見るべきものがある作品なのだろうか?

 

 結論から言うと、上記の心配は杞憂ではあった。『1917』のストーリーは一言でまとめてしまうと「将軍からの攻撃阻止命令を遠くの部隊の隊長に伝令するために、二人の戦士が戦場を横断する」というものである。物語上で経過する時間は半日から一日くらいであろうか*2。しかし、『1917』ではこの「戦場」の光景を多彩なものにすることで画面に「変わり映え」をもたらして、観客に視覚的な退屈感が生じることを回避している。物語は地上で昼寝をしている兵士が命令により塹壕に呼び出されることから始まるのだが、残光から出た後には泥まみれのぬかるみ地帯を走り抜けて、ドイツ軍側の塹壕で一事件があった後には、草原に道路に街中に川に滝に森にと、舞台は次々と移り変わる。

 戦場といっても、本格的な交戦が行われているシーンは数えるほどしかない。敵兵とも常に遭遇しているわけでもなければ味方が常にそばにいるわけでもなく、誰もいない地帯を主人公たちが駆け抜けていくシーンも多々ある。…だが、画面に映るのは主人公だけではない。この映画では人間や動物の「死体」をことあるごとに登場させることで、画面にスパイスが加えられている。自軍の塹壕のなかで味方の死体を踏んづけてしまうことを皮切りに、泥に埋もれた兵士たちの死体、"処分"されて草原に放置された犬や牛の死体、川に浮かぶ住民たちの死体など、主人公たちの伝令は常に「死体」と共にある。その様子は、さながら地獄めぐりのようだ。

 死体の他にもう一つ、この映画で印象的なのが「自然」の描写である。特にチェリーの木や花弁の表現が美しい。だが、この美しい自然の風景も死体とセットなのだ。地獄のような風景の中に自然の美しさがあるアンバランスさには、コーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』を思い出した。

 

 画面だけでなく、ストーリー的なメリハリも効いていることが特徴だ。主人公たちは、「伝令のために戦場を走り抜ける」という筋書きからは想像できないほど様々なイベントに出くわす。そのイベントの内容も、主人公たちに危機が迫ったり敵と遭遇したり怪我をしたりなどの「バッドイベント」が起こったかと思えば、その次のシーンでは味方の兵士たちと合流したりホッと一息つける空間に到着したりなどの「グッドイベント」が起こる。この緩急の付け方というか「緊張と緩和」の繰り返しによって物語のテンポが保たれているのだが、しかし、短時間であまりにイベントが頻発することには「ゲーム作品」っぽさが否めないことも事実なのだ。

 考えてみると、装備や所持アイテムが限られた状態のなかで、ダメージを一定以下に抑えながらゴール地点までたどり着くことを目的とする「伝令」という行為は、まさにゲーム的である。ある場面で飲み物を発見するシーンには「回復アイテムのゲット」という印象があるし、後半の街中のシーンでは回復スポットみたいな場面もある。

 考えてみると、そもそも、「全編ワンカット撮影*」な画面そのものが「洋ゲー」的だ。この作品が画面もストーリーも「ゲーム」に類似したものであるのだろう。

 …そして、ゲーム的なつくりにすることで画面にもストーリーにもメリハリが生じて飽きがこないというメリットの反面として、あまりにコロコロと風景が変わったりイベントが起こるためにリアリティが感じられないというデメリットも生じている。『1917』は観ている間の没頭感はすごくて、時間の感覚も忘れるほどではあったが、主人公がゴール地点までたどり付いてミッションを果たして作品が終了すると、他の映画を見た後には感じるような「後に残るもの」の感覚がほとんど無かった。そのおかげで「しんどさ」も感じられなかったのだが、この点でも、良くも悪くもゲーム的な作品と言えるかもしれない。

 

*1:実際には*「全編ワンカット"風"撮影」

*2:「全編ワンカット"風"撮影」なので、途中でカットが挟まり、時間経過が起こる場面がある。