THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『リチャード・ジュエル』:愚直でクソ真面目な人物が主人公の珍しい物語

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 アトランタオリンピックの会場近くの公園で警備員をしていたリチャード・ジュエルが爆弾を発見して、おかげで客の避難を開始して被害を最小限に抑えることができてリチャードはメディアに取り上げられて一躍地元のヒーローとなったが、地元の新聞が「爆弾事件はリチャードによる自作自演ではないか」と疑う記事を掲載したことで一転してリチャードはメディアリンチにあうことになり、リチャードは友人である弁護士のワトソンを雇って司法とメディアに対する反撃を開始する…といったストーリーだ。

 

 実話に基づいたこの映画の特徴は、実話ならではの登場人物たちの個性である。

 特に印象に残る人物が、ポール・ウォルター・ハウザー演じる主人公のリチャード・ジュエルだ。実際に英雄的な行為をした人物であり、また映画の主人公である以上は観客の共感も一手に引き受けるべき存在であるリチャードだが、彼の描かれ方は複雑なものである。リチャードの職務熱心で真面目な性質や裏表のなさなどのポジティブな面ももちろん描かれているのだが、悪い意味での「糞真面目さ」や人との距離感を適切に把握できない気の利かなさ、周りとついついズレてしまう空気の読めなさなど、ネガティブな側面に関する描写がかなり多いのだ。

 …劇中でも女性記者のセリフで示されている通り、そもそもリチャードがメディアリンチにあうようになった原因の一つは、彼が周りや世間の価値観とはズレた「キモい」存在であることだ。太った見た目もそうだし、いい歳して母親と二人暮らししていることもそうだ。そして、映画作品としての『リチャード・ジュエル』ではその部分をあえて強調することでリチャードの人物像をリアルなものにして、逆説的に観客の感情移入を促しているのである。

 特にメディアリンチや司法による捜査が始まってからは、リチャードは観客をイライラさせる言動ばかりするようになる。自分の雇った弁護士の助言は聞かないし、自分の敵であり警戒すべき存在である捜査官たちに対して媚びへつらい不用意に協力をしたりする。…だが、そんなリチャードの姿を見ていると、私の頭には幾人かの知人の顔がチラホラと浮かんだ。実際、日本でもリチャードのような人は珍しくないのだ。クソ真面目で職務熱心な代わりに気が利かず周囲からズレている、という人はどこの学校の教室やどこの職場にも一人はいるものだ。また、自分を疑って捜査している捜査官のことを信用して媚びへつらってしまう、という行為にも妙なリアリティがある。素直で「クソ真面目」な人とは、「何もしておらず罪なく真っ当に生きている自分に対して、権威や社会が牙を向けるはずがない」という予断を抱いて生きているものなのだ。…一方で、そもそも最初に爆弾を発見できたのも、警備員としてのマニュアルに愚直に固執するリチャードの姿勢があったからこそである。

 また、リチャードはいわゆる「キモくてカネのないオッサン」であることも重要なところだ。爆弾製作の知識をひけらかしたり大量の銃を保持したりなどの彼のオタク的要素も、リチャードに容疑をかけられる遠因となってしまう。

 通常、フィクション作品ではリチャードのような人物は主人公にはなれないし、悪役にすらなれない。規範や権威への愚直な固執は脇役の行為であるし、大半の場合は物語的に「良し」とされない行為として描かれているだろう。柔軟性がなくて機転に欠けるリャードのような人物は、せいぜいが主人公たちにとっての障壁やお邪魔虫くらいの役割しか与えられないものだ。…しかし、実際の世界には、リチャードのような人物は数多く存在するのである。これまでは無視されて軽んじられてきたタイプの人物像を主人公に据えたという点だけでも、この映画のオリジナリティや価値は保証されるだろう。

 

 脇役の描き方もよい。準主人公的存在である、サム・ロックウェル演じるワトソン弁護士は、リチャードとは別の意味で頑固者な人物であり、権威に楯突いて戦う「弁護士」という職業を象徴するような人物である。この作品では裁判が開始する前に事態が解決してしまうので、通常なら弁護士の見せ場となるような弁論シーンは存在しない。しかし、ワトソン弁護士は法廷の外の場でも主張すべきことを堂々と主張して司法やメディアに立ち向かい、依頼人でもあり友人でもあるリチャードを守り続けることで、弁護士の存在意義を示すのだ。

 キャシー・ベイツが演じる母親とリチャードとの間の絆や信頼関係もしっかりと描かれている。特にアメリカのような社会では「母親と息子の二人暮らし」という状態はかなりネガティブなものとされてしまうものだが、この映画ではそのような印象を観客が受け取らないように注意を凝らした描写がされている。また、出番は少ないがリチャードの友人にも妙な存在感があった。彼は小太りのリチャードと違って痩せてはいるが、同じように「キモくてカネのないオッサン」タイプの人物であるのだろう。ワトソン弁護士やリチャードの母親と一緒に無実の友人を支える彼の描写も、友情を感じられてなかなか良かった。

 

 さて、この作品ではオリビア・ワイルド演じる女性記者の描写が批判にさらされている*1。問題となっている女性記者がFBI捜査官に性的関係を持ちかけて情報をゲットするシーンはいかにも安っぽいドラマっぽくて嘘っぽいし、省いても問題ないものであっただろう。また、この女性記者の描き方は他の点でもかなり中途半端なものだ。スクープのためには真偽不明な情報でも大々的に掲載することを辞さない野心的で強欲な人物に描かれているかと思ったら、ある場面を機に急にころっと改心してしまう。そして、彼女の改心がその後のストーリーになにか影響をもたらすということもないのだ。おそらく大半の観客が、この女性記者の存在がこの映画の瑕疵であると判断することだろう。