THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ブルー・ジャスミン』:幸福になれないアメリカ人

 

ブルージャスミン(字幕版)

ブルージャスミン(字幕版)

  • 発売日: 2014/10/24
  • メディア: Prime Video
 

 

 アメリカ人という人たちは、生活に要求する「最低限」の閾値がとにかく高い。贅沢が当たり前になっているのであり、他人に対する見栄という要素も強い。特に顕著なのが「住」に対する意識であり、アメリカ人は広い家に住みたがる。日本のように四畳半アパートで一人暮らしすることやマンションで家族暮らしすることは、アメリカ人には考えられないのだ。また、アメリカ人たちはどう見ても他の人たちよりも「結婚」や「家庭」に対する理想が高い。離婚率が高いのも理想の高さの裏返しだ。そして何と言ってもプライドが高く、自分がボロ家に住んでいることや失敗した結婚をしていること自体だけでなく、それに対する他人の目線が許せないのだ。これは単なる偏見ではなく、実際にアメリカ人の家庭に育った私が家族や知人を観察して肌身に感じてきたことである。

「幸福」に関する心理学や社会科学の研究もアメリカで特に盛んであるが、それらを見てみると、実際にはデカい屋敷のような物的な財産は幸福にはさして寄与しないことが示されている。他人の視線に振り回されることは不幸に直結しているし、完璧な結婚や家庭なんて存在するわけがないのだから今の状態にどう折り合いをつけるかの方が大切だ。幸福研究の世界では外的な要素ではなく内的な要素を重視するストア派の生き方が再発見されているのだが、典型的なアメリカ人の考え方はまさにストア派とは正反対のものであるのだ。

 そして、ハリウッド映画を見てみると、誤った「幸福」を追い求めるがゆえに不幸になる登場人物たちがごまんと出てくる。彼らが大金を稼げるチャンスもあるがリスクも大きいミッションに参加したり、撃たれたり殺されたりの裏社会で危険な橋をわたったりする理由をよくよく見てみると、彼らが分不相応にも購入してしまった大きな屋敷を維持したり築いてしまった家族たちに人並み以上の生活をさせたりするために金が必要だからであったりする。逆に言えば、彼らが狭い家で我慢できたり子供を大学に進学させるのを諦めたりすることができてしまうと、多くのハリウッド映画が成立しなくなってしまうのだ。

 

『ブルー・ジャスミン』の主人公であるジャスミンも、分不相応な贅沢への望みと見栄に振り回されているという点では他の映画の主人公とたちと変わりはない。この映画の特徴は、そんなジャスミンを愚かな存在で皮肉たっぷりに描いていることだ。また、彼女は哀れではあるがとても好感が持てないような人物として描かれている(それでも、映画の終盤には観客たちもついついジャスミンに同情を抱くようにはなるのだが)。この映画のなかでジャスミンに幸福が訪れることはなく、彼女は最後まで不幸なまま映画が終わってしまう。

 そして、ジャスミンの妹であるジンジャーは姉とは対比的な存在である。彼女は世間体への見栄への興味があまりなく、決して稼ぎは良くないが愛情深い婚約者とともに幸福な生活を過ごしているのだ。物語の途中ではジンジャーもジャスミンにそそのかれてしまい危うく不幸になりそうになるが、あわやのところで自分の過ちに気付いて元のつつましいながらの幸福な生活に戻るのだ。

 

 お話としては起伏が少ないうえに爽快感もない映画であるのだが、登場人物たちの描写や会話がかなり巧い。気合の入った上質の作品特有の「格」みたいなものが感じられる。ウディ・アレンの映画は当たり外れが多いのだが、この作品は「当たり」である。