THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『イカとクジラ』

 

イカとクジラ (字幕版)

イカとクジラ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

『マリッジ・ストーリー』と同じく、ノア・バームバック監督が「離婚」を題材にした作品だ。ただし、『マリッジ・ストーリー』では離婚をする夫婦二人の関係に焦点が合わせられていたのに対して、『イカとクジラ』では両親の離婚によって傷付いてしまう兄弟(特に、兄の方)に焦点が合わせられている。そして、性的な要素をうまく脱臭して、扱っている感情や登場人物の設定にはリアリティがあり随所に繊細で技巧的な描写が見られながらも悪い意味での「生々しさ」や「嫌らしさ」が感じられなかった『マリッジ・ストーリー』に比べて、こちらはかなり生々しくて嫌らしい。弟のマスターベーションのシーンなどに象徴されるように「性」の要素を嫌な形で出し過ぎている。役者陣も兄役のジェシー・アイゼンバーグと父役のジェフ・ダニエルズを除けばパッとしない(母親役のローラ・リニー『マイライフ、マイファミリー』に比べるとこの映画では精彩を欠いているような気がする)。

 なにより、「ニューヨークの都会を舞台にしてインテリでリベラルで金持ちであるが一皮剥けばただの俗物である登場人物たちがエゴをぶつけ合う」というウディ・アレン風のストーリーでありながら、ウディ・アレン作品で行われているような性的な生々しさの脱臭ができていないうえウディ・アレン的な上品さや華麗さを与えることもできておらないために、結果としてただひたらすら自己中心的で不愉快で性格の悪い両親の離婚に振り回されて傷付く子供たちが気の毒なだけの作品になってしまっている。よくこんな作品を作っておきながらのちに『マリッジ・ストーリー』のような名作が作れたものだと、逆に感心すらしてしまう始末だ。

 

 さて、この作品に関する「みんなのシネマレビュー」を眺めているとなかなか優れた批評を発見することができたので、映画感想ブログとしては禁じ手かもしれないが、ここに引用させて紹介させてもらうことにする。

 

 まっフツーの国の人が見れば、問題点は明らかなので、この「メストアップ」な状態はアメリカ人のセックスに対する優先順位が高すぎるから起こる。
それは女の数が足りない期間が長く続いたという不幸な歴史をしょっているためだが、それにしても、もういいかげん自分らで気がついたらどうなのか。
人生にセックスというオプションはあるが、酸素や食料と違って、なくても死ぬということは、ないんだ。けど、あそこの国の人たちは「セックスの相手の確保」と「恒常的にセックスで満足を得る」ことが、呼吸や食事と同じかそれ以上に必要なものと思い込んでいる。…それで、しなくてもいい苦労をしたり、余計なトラブルがいっぱい起きてる。
大人の価値観が子供に伝わって、子供たちも、セックスが一大事だと思いこむ。
セックスは、してもしなくてもいい。オプションだから。
この作品の中で、最終的に長男がそのことに気がついて、「この国の大人たちはなんかおかしい」と表現してくれれば、わざわざこういう作品を作った意味もあると思うんだ。
でも、そういうふうにはならなくて、なんだか「不安の正体」を直視しに博物館へ行く、もう「不安」から逃げないぞ、みたいな「少年の成長系」締め方になる。
違うんだって。その不安は、大人たちがヘンだからあーたたちが巻き込まれて発生したんであって、あーたの親だけじゃなくて国全体がヘンなんだって。確かに、父が学歴だけが自慢の貧乏で嫌味なインテリだったり、母が淫乱だったりという、その家庭ならではの特殊事情はあるにしても、「国がしょってる問題」のほうが大きいんだって。
こういう終わり方をしては、根本的な原因がまたうやむやになるだけだ。
フツーの国では、やたらと子供にセックスの話なんかしないし、上の子が高校生になってまで、両親がセックスの相手を必死に求めていたり、自分の親と親友の親がデキてたりなんてことは、たま~にはあってもそんなにはないんだって。
結婚=キングベッドで夫婦が一緒に寝る、という鉄則なんか、そもそも無い国だっていっぱいあるんだよ。40過ぎても週に数回セックスしないと愛が無いなんて、誰が決めたんだ?だいたい、「愛」がなくなったら離婚しなきゃって、誰が決めたんだ?
アメリカ人は、優先順位を考え直す時期をとっくに過ぎているんだけどなあ。
でも、べつに啓蒙する気がないならなんでこんな映画をつくるかな。 

 

イカとクジラ - パブロン中毒さんのレビュー - みんなのシネマレビュー

 

 

 ここでパブロン中毒さんが書いていることと同様の問題意識をわたしも持っていて、以前にウディ・アレンの『ブルー・ジャスミン』の感想記事を書いたときに軽く触れた。その記事ではアメリカ人のセックス中毒や性に対する妄執という側面は強調しなかったが、実に大問題であるとはわたしも思っている。

 

theeigadiary.hatenablog.com

 性や見栄えや「完璧で理想的な生活」に対するアメリカ人の妄執を大いに皮肉ることで批判的に描いた『ブルー・ジャスミン』に比べると、『イカとクジラ』は両親の離婚によって傷付く子供たちに一応は寄り添いながらも彼らの思春期や性徴期な側面をやたらと強調することで「君らはいまは子供でもやがて両親と同じような嫌な大人になるんでしょ」と突き放して相対化しているような風が感じられて、結果として子供にも間接的に両親を免責して批判しないような作品になっているように思える。両親の無責任な離婚やその後の無軌道な性交渉を「個人の自由」として認めてしまい、それが引き起こす問題についても「まあ仕方ないよね」で済ませてしまっているようなのだ。つまり、『ブルー・ジャスミン』のようにアメリカの個人主義や浅薄な理想主義が引き起こす問題そのものを直視するには至っていない。文明批評ができていないことは言うまでもない。ここに、ウディ・アレンとそのフォロワーであるノア・バームバックとの「格」の上下が如実に表れてしまっているように思える。とはいえ、ウディ・アレンの作品だって、いくら出来が良くて知的な意図が実現できているとしてもいま見てみると不愉快でイライラしてしまうような作品が大半であるのだが(『アニー・ホール』とか『マンハッタン』とか)。

 逆に言うと、ノア・バームバックが「ウディ・アレン風」な作風から脱却して徐々にオリジナリティを獲得していきそれによって彼の作品のクオリティも上がっていったことは幸いである。『マリッジ・ストーリー』や『フランシス・ハ』からは『イカとクジラ』には到底望めないような優しさが感じられるが、やはり、私生活でも創作でもパートナーであるグレタ・ガーウィグとの出会いが転機となっているのかもしれない。

 

 最後にもうひとつ、「みんなのシネマレビュー」から引用させてもらおう。このテの映画に対してみんなが感じている「うんざり」を端的に表現した名文であると思う。

 

不倫、セックス、マスターベーション、カウンセリング、なんてお馬鹿で駄目な私達、葛藤を経て最後は少し成長。このパターンにはもううんざり。

 
イカとクジラ -エウロパさんのレビュー - みんなのシネマレビュー