THE★映画日記

観た映画の感想について書いていくぞ!

料理や映画について批評を"するべき"理由

 

 

 

 

 高校生の頃に実家で家族と『そりゃないぜ!?フレイジャー』を観ていたとき、とある何気ないシーンの印象が妙に強く、いまでも記憶に残っている。……とはいえ、私が『そりゃないぜ!?フレイジャー』を観ていたのもう10年以上も前の話である。日本語圏ではどの動画サイトでも『フレイジャー』は配信されていない。そのため、セリフの詳細は覚えておらず、確認することもできない。以下はあくまで「うろ覚え」に基づいたものであることは了承してほしい。

 該当のシーンは、嫌味で金持ちでインテリな精神科医の兄弟、フレイジャー・クレインとナイルズ・クレインが豪華なディナーを二人で食べてきた後の場面だ。家に帰った二人は、ディナーが美味しかったという話をしながらも、コース料理のなかの一品にあった些細な問題点についてあげつらう。そして、ナイルズが以下のようなセリフを言うのだ。

 

「最高のコース料理を食べた後には、コースの中のたった一つの欠点について語り合う…これこそが、最高のコース料理の中でも一番の喜びだね!」*1

 

 このセリフは作品的にも「嫌味」な人物として描かれているキャラクターが発するセリフだし、兄弟の会話を聞いていた庶民派の父親がうんざりした顔になる様子も映されている。そのため、作品的には必ずしも上記のセリフが「是」とされているわけではない。

 だが、このセリフは私にとっては印象に残り続けているし、はっきり言って気に入っている。セリフの詳細をきちんと覚えていたなら座右の銘にしたいくらいだ。というのも、このセリフは、「批評」という行為をすることの本質的な意義を表現しているように思えるからだ。

 

「食べ物や料理に対してどのような態度を取るべきか」ということについての考えと、「映画や漫画などのフィクションに対してどのような態度を取るべきか」ということについての考えは、多くの場合に一致するものだ。つまり、食事について批評的な態度を取らない人はフィクションについても批評的な態度を取らないことが多く、フィクションについて批評を行う人は食事についても批評を行うことが多い、ということである。…これは根拠なく言っているのではなく、30年間ほど生きてきた私の人間観察に基づいた主張である。一緒にご飯を食べに行った時に出された料理にあれこれと言い出す人は、一緒に映画を観に行った後にも映画の内容についてあれこれと言い出すことが多い。逆に、映画を観に行ったあとに作品について喋りあおうとしても話が盛り上がらないタイプの人は、食事に行った時にもだいたい何を出されても喜んで食べるだけの人である可能性が高いのだ。

 

 食事に関しては、日本の世間では「好き嫌いはいけない」「料理の味や質に文句を付けるのは品がないことだ」「何を出されても喜んで食べる人間が一番である」といった感じの規範が主流派であるようだ。そのため、料理や食事について肯定的な評価を示すことは支持されがちな一方で、批判的な評価を示すことにはその評価をした人の方が叩かれたりするリスクがある。

 サイゼリヤがやたらと神格化されたり、松屋で新メニューが発表されるたびに匿名掲示板やSNSで大騒ぎが起こるのも、食事に関しては肯定的な意見のみを是とする規範が背景にあるだろう。チェーン店の料理というものはある程度の質は担保されている一方でその質にはどうあがいても限界があるし、大味さや「何を食べても根本の味は毎回同じ」などの欠点もあるものだ。しかし、料理や食事についての欠点をあげつらうことは下品とされているし、個人店や家庭料理と比較してチェーン店の料理の問題点や欠点を指摘することは「野暮」とされる。そのために肯定的評価だけが出回ることになり、新メニューなり経営理念に関するエピソードなりの「話題」が多くなればなるほど肯定的評価のみが自動的に量産される、というメカニズムになっているのだ。

 …私にとっては、料理や食事についての否定的評価が許されない日本の世間の規範は馴染みのないものだ。というのも、私が育った家庭では、食事や料理について色々と批評をしたり文句を言うことがむしろ「是」とされていた。家庭内では料理をするのは基本的に父親の担当であったが、父は、自分の料理について私や他の家族が批判や意見を言うことをむしろ望んでいた。批判があった方が、次回以降により良い料理を作れるからである。

 また、家族で外食をするときにも、もしも店で出された料理に問題があったり期待外れのものであったり他の店に比較してレベルの低いものであったりした場合には、帰りの自動車の車内や家に帰った後などにも両親は容赦なく料理や店についての批判を言い続けていた。そして、期待以上の美味しい料理が出てきた場合にも、それこそフレイジャーとナイルズのように「ここの部分がこうなっていればさらに美味しい料理になっていたのに…」と「批評」を行なっていたものである。

 外食という行為には時間と金銭という対価が必要とされるものであり、もしもその時間と金銭に見合わない料理を出されたのなら、批判を行うことは当然の行為であるように思える*2。少なくとも、黙っていたままでいるよりかはスッキリするだろう。

 また、良かった料理についても「ここがこうであればよかったのに」と言い合うことも楽しいことだ。どんな外食や料理であってもそれが文句の一つも付けようのない「完璧」なものにはなり得ないだろうが、実際にあった外食や料理についての批判を行うことで完璧な外食や料理についての空想を具体的に行うことができて、現実には存在しない完璧な経験に間接的に触れることができるからだ。ポイントは、ある外食や料理について批判を行うこと自体は、必ずしもその外食や料理を経験することによって生じた楽しさを損なうものではないということだ。美味しい料理を食べる経験自体から生じる楽しさと、料理について批評をすることから生じる楽しさは両立や並存が可能なのである。

 

 思うに、特に日本では映画や漫画などのフィクションについても「批評」を行うことに対する拒否感が蔓延しているのは、「対象を経験すること自体から生じる楽しさ」と「対象について批評することに伴う楽しさ」の両立や並存が不可能である、という考えを多くの人が抱いてしまっているからだ。対象について批評をすることは、対象自体に内在している価値を損なってしまう行為である、という考え方が根強いのである。だから批評家は作品の価値を損なう存在と見なされて多くの人に嫌われている。自分の好きな作品に関する批評はたとえ肯定的なものであっても触れたくない、というスタンスの人も多いようだ。

 これは根拠のない私の邪推であるが、食事についての好き嫌いや批評が許されないという日本の世間の規範は、日本において作品批評に対する拒否感が根強く存在していることの一因になっているようであう。食事の好き嫌いや良し悪しを普段から口に出していて、さらに他人に対して説得力や共感を抱かせるように自分の好き嫌いや良し悪しの理由を分析して言語化している人は、本人も自覚していないうちに「批評」という行為に慣れることになる。批評に慣れているうちに、自分の主観的な判断とは別の客観的な良し悪しの基準の存在も理解するようになるし、自分の判断と客観的な基準との距離感のようなものについても考えていくようになる。そのために、食事のみならず、映画や漫画などのフィクション作品についても自然と批評を行うことができるようになるのだ。

 …一方で、食事について好き嫌いも言えない生き方をしてきた人は、自分の主観的な判断や感覚について他人に対して言語化する行為に慣れる機会をもてないのだ。そのために、たとえば映画を観た後には、その作品に対して肯定的な思いを持ってるにせよ否定的な思いを持っているにせよその思いを言語化することに対する自信のなさや拒否感のようなものが生じて、歯切れの悪い感想しか言えなくなるのである。

 また、批評を行えないタイプの人のなかには、批評を行えるタイプの人に対して逆恨みのような感情を抱いている人も多い。おそらく、自分が言語化できない思いを抱えている隣で相手がすらすらと自分の感想を述べていることに対する嫉妬がある。さらには、客観的な評価基準などを用いながら作品を分析されてその内容や構造についての良し悪しを語られることに対して、作品を解体されて台無しにされるような気持ちを抱いてしまうし、「自分がその作品を楽しんだ経験」にもミソをつけられるような気持ちになってしまうのだ。

 

 しかし、繰り返しになるが、作品自体の価値や作品を鑑賞することによって生じる楽しさと、作品を批評することの価値や批評をことによって生じる楽しさは別物なのだな。すごく面白い作品を観てその面白さについてたっぷりと楽しんだ後には、「この作品がここがこうなれば更に面白くなるのに…」と完璧な作品を空想することでまた別の楽しさを味わうことができるのだ。さらに、ある作品の良し悪しについて分析して理解を深めることは、別の作品の良さや悪さについての理解を深めることにもつながる。批評という行為を行うことによって、そうでなければ存在することにも気付かなかったような価値や面白さも見出せるようになるものである。

 作品についての批評を拒否する人のなかには「作品を批評する連中と違って、作品そのものをありのままに楽しんでいる自分の方がより多くの楽しみを得ている」と考えている人もいるようだ。しかし、実際には、批評を行なった方がより多くの楽しみを得られるようになるのである。だから、映画を見たり料理を食べたりした後には対象について批評を行える人間になった方が、本人にとっても得なのだ。これこそが批評をするべき理由である。

 

*1:正直に言うとセリフの詳細は記憶していない。締めのセリフは「最高のデザートだね!」とかそんなものだったかもしれない。

*2:その批判を料理人や店に対して伝えるかどうかは別の問題だ。