THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『七人の侍』

 

七人の侍 [Blu-ray]

七人の侍 [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2009/10/23
  • メディア: Blu-ray
 

 

 TOHO新宿にて、「午前十時の映画祭」で鑑賞。なんたって無職だから平日から午前十時の映画祭に行けちゃったりもするのだ。ところで、「午前十時の映画祭」は10周年である今回が最後のようだ。来週からのラスト3週間には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ三作が連続で上映されるようだが、たしか10年前に京都のTOHO二条でいちばん最初に上映されたのが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の一作目だったはずである。当時は学生だったので500円(!)で観ることができた。なつかしい。しかし家から映画館までが遠くて午前10時に行くことが難し過ぎたので、せっかくの「午前十時の映画祭」なのに以後はほとんど行くことがなかった(10年間の合計で6〜7回程度であると思う)。こういうときにも、学生の時分から都会に一人暮らしできていた人たちのことが羨ましくなるものである。

 

 それはともかく、『七人の侍』である。私は黒澤明の作品は18歳の頃からちょくちょく観ているが、実を言うと、『七人の侍』の評価は「まあまあ」といったところだった。もちろん他の大半の映画よりかは面白いし、黒澤作品の中でも上位に入る方だとは思うが、なにしろ長くてダルい。メッセージ性の鮮烈な『生きる』や、驚くほどシンプルかつ巧みにまとまっていてセリフもいちいち印象的な『用心棒』や『椿三十郎』などに比べると、ちょっと間延びしていて印象が落ちる感じが否めなかったのである。

 しかし、そもそも3時間半にも及ぶ超大作をDVDやストリーミング配信などの小さな画面で観ることに無理があったのかもしれない。だからこそ、わざわざ朝早く起きて映画館に観に行こうと思った次第だ。そして、確かに、映画館で見ると評価が変わるところはあった。『大脱走』を観た時にも思ったが、大作には大作ならではの充実感やエンディングの開放感と切なさがあるものだ。劇場で視聴後の現在となっては、『七人の侍』も『生きる』や『用心棒』と同等に評価している。

 

 毎度思うことだが、『七人の侍』は前半の仲間集めのシーンが素晴らしい。7人のキャラクターの立て方も見事だ。だから、ついつい「侍が主人公」の映画として記憶してしまう。実際にそういうところもあるのだが、「勝ったのは百姓たちだ」の有名なセリフが示す通り、この映画の真の主役は百姓たちである。スクリーンで見ると、勘兵衛や菊千代たちが登場するよりももっと前のシーン、野武士の襲来を予期して嘆く百姓たちの集合シーンにはえも言わせぬ迫力があることに気が付く。また、小さな画面で見ている時にはちょうど集中力が切れてしまうタイミングである中盤の侍たちと百姓たちが交流するシーンも、大画面で集中してみるとなかなか良いものだ。イメージしていた以上に、百姓たちが強かな存在として描かれていることに気が付くのである。

 キャラクターとしては主役級の勘兵衛や菊千代が魅力的なのはもちろんのことだが、あっけらかんとした五郎兵衛やいかにも剣客な久蔵も漫画的で良い。百姓たちの中ではすぐに泣きべそをかく与平が印象的だ。また、当初は憎まれ口を叩いていたが最終的には百姓のために協力してくれる、木賃宿の人足もいい味を出している。

 それでも、終盤の合戦シーンは何が起こっているかもやや分かりづらいし、劇場で観ても間延びしている感があることは否めない(ここぞという時に展開のアクセントとなる弓矢や種子島の用いられ方など、感心できるところもいっぱいあるのだが)。これは昔の映画だし白黒だしでしょうがないところはあるだろう。

 ところで、黒澤明の映画を見るたびに気付かされるのだが、セリフまわしが有名なものもそうでないものもいずれも異様に優れている。だからこそ、聞き逃した時にはもったいない気持ちになる。そして、ただでさえ耳慣れない言葉が用いられる時代劇なうえに昔の映画になればなるほど日本語の発音が変わってくるので聞き取りづらくなるものだ。さすがに劇場で上映する時にも字幕を付けろとは言わないが、配信サイトではこういう昔の映画は洋画と同じ扱いにして、選択式で字幕を付けられるようにしてほしいものである。