THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『レ・ミゼラブル』(2019):『レ・ミゼラブル』は関係ありません

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 ヨーロッパ映画には全体的に苦手意識を持っているのだが、このあいだNetflixで観た『ザ・スクエア 思いやりの聖域』はそれなりに面白かった。いまは失業中だが、仕事を再開するとおそらく難解で深刻なヨーロッパ映画を見る気力は失われてしまって、エンタメ寄りのアメリカ映画ばっかり見てしまうことになるだろう。というわけで、カンヌ映画祭パルムドールにノミネートされたりセザール賞を獲得したりしたことで話題の『レ・ミゼラブル』を鑑賞した。

 

 この映画の内容とは話がずれるが、久しぶりにミニシアターに行くとその施設のショボさにうんざりしてしまった。ミニシアターという名前の通り、画面は小さい。シネコンのような高低差がないのがひどい。私の前の席の人に座っている中年男性の頭が大きすぎたために画面の下側が隠れてしまい、字幕を読むためにひっきりなしに自分の頭を動かさなければならない羽目になった。画面も小さいんだから劇場ならではの迫力というものも勿論ない。これなら後から配信で見た方が絶対にいい、とは思うのだが、ミニシアターで上映されるような映画に限って動画サイトでも配信されてなかったりするから困りものだ(この映画のプロデューサーも、Netflixでの配信を拒んでいるらしい)。京都にいた時にいつも通っていたミニシアターは席の指定すらできず順番に呼び出されるシステムが最悪だったし客層もやたらとお高くとまった雰囲気の人たちが多くて行くたびにイライラさせられたことを思い出した。何と言ってもいちばん納得いかないのは、こんな設備なのに大画面のシネコンと同じ料金を取られることだ。そうでもしなければ採算が取れないんだろうし採算が取れなくてミニシアターがなくなってしまったら私も困るので仕方がないといえば仕方がないのだが、納得がいかない。

 

 それで『レ・ミゼラブル』(2019)だが、あらすじはほとんど読まずに前評判だけを聞いて見にいった。ポスターの「革命」っぽい感じと、何といってもタイトルから「ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の現代版かな?」と思っていた。私はユゴーの『レ・ミゼラブルは原作小説も読んでいるし(と言っても児童向けに要約されたバージョンであるが)、ヒュー・ジャックマンアン・ハサウェイラッセル・クロウが出ていたハリウッド映画版も好きだったので、今回の『レ・ミゼラブル』(2019)にも勝手に期待をふくらませていた。しかし、いざ見てみるとユゴーの『レ・ミゼラブル』は全然関係ない内容であった。冒頭の会話で物語の舞台がユゴーの『レ・ミゼラブル』と同じモンフェルメイユの街であることが言及されて、あとはラストシーンの直後に『レ・ミゼラブル』から文章が引用されるくらいだ。ユゴーの『レ・ミゼラブル』にあったようなヒューマニズムと民主主義のメッセージは特に描かれていない。ジャン・ヴァルジャン的な登場人物もいないし、コゼットもジャヴェール警部もファンティーヌも出てこない。

 

 映画の内容としてはフランス版の『エンド・オブ・ウォッチ』という感じである。麻薬対策課的なポジションについている3人の警官が、麻薬が蔓延している貧困地区を捜査していき、その過程で暴力的で威圧的な違法捜査まがいのことをしたり、逆に住民たちから暴力で脅されたりする、という感じだ。主人公は新入りの警官で、他の二人の警官に比べてば人権派であり、威圧的な先輩警官たちと対立することになる。そのうちに捜査官たちが貧困地区の子供を取り調べていたら子供たちに囲まれて石を投げられたりしてしまい、動揺した警官の一人がゴム銃で子供を撃って大怪我をさせてしまう。このことがきっかけとなって、後日に貧困地区の未成年たちが武装して主人公の警官たちや地元のギャング連中を襲って反旗を翻す…。

 フランス映画にしては珍しいくらいに様々なエピソードがテンポよく起きて飽きないし、終盤の未成年たちによる暴動シーンの暴力性にはハラハラドキドキした。しかし、何かの賞に値するほどの特別な価値のある内容では全くなかったように思える。フランスの貧困地区の暴力的な現状とか、警官たちの行なっている威圧的な違法捜査の実態などがリアルに表現されているのかもしれないが、ただそれだけだ。せいぜいが「フランスにおける社会の分断の現状をありのままに描写した」という程度であり、それ以上のものは何もない。

 

 この映画に特別な点があったり感動できたりするシーンがあるとすれば、終盤に起こる貧困地区の未成年たちによる「大人への反抗」的なシーンであるだろう。しかし、それまではリアリティを追求していた感じのこの映画がこの暴動シーンになった途端にリアリティを失うし、そこに飛躍とかマジックとかが感じられるわけでもない。

 なによりの問題が、暴動を起こす貧困地区の子どもたちのキャラクターに対して何一つ共感できないことだ。そもそものこの映画でメインの事件の発端となるのは貧困地区の子どもがジプシーのサーカスから子ライオンを盗むことなのだが、子ライオンを盗むことについて特別の事情が描かれているわけでもない。空腹に耐えかねてパンを盗んだりとかだったら同情の余地があるのだが、そうではなく、ただ仲間内で目立ちたいだけの無意味な犯罪に過ぎない。警官たちはこの子どもを捕まえようとしたために子どもたちに石を投げられて、それで戸惑ってゴム弾を撃ってしまうのだが、そもそも事情酌量の余地のない犯罪をした子どもを捕まえようとしているだけなのだから石を投げられる方が気の毒だ。犯罪者とはいえ子どもであるのだからゴム弾で撃たれた方も気の毒だが、その彼が未成年たちによる暴動を先導して警官たちを生命の危機に陥らせるとくれば、これはただの「逆恨み」に過ぎない。この子ライオンを盗んだ子どもとは別に貧困地区にドローンを飛ばして遊んでいる子どももいるのだが、この子も女子の着替えの盗撮という犯罪を犯している。これも無意味な犯罪だ。欧米の映画全般において多かれ少なかれ言えることだが、子どもや若者が犯罪を犯すことについて寛容に過ぎるのである。すくなくとも私は子どもの頃に子ライオンを盗んだりしたこともなければ女子の着替えを盗撮したこともない。

 そして、この子どもたちに観客の「共感」を寄せさせる工夫も全くされていない。「貧困地区の哀れな子どもなんだから犯罪は大目に見るべきだし、それは言われなくてもわかっているよね」という感じの描き方だ。観客をナメていながら、観客に甘えているのである。

 

 というわけで、近頃に流行りの「格差社会映画」のなかでも、ストーリーや描写に工夫もなければテーマ性もありがちなこの作品はかなり下の方のランクに位置するものだろう。『ザ・スクエア』の方が断然テーマ性や工夫が優れていて知性も感じられるし、リアリティを捨てる代わりにストーリーやキャラクターの面白さを追求した『ジョーカー』や『パラサイト』や『万引き家族』の方がずっと出来がいい。こんな作品が賞を取る理由も、最近の潮流にうまく乗っかっているから、というだけであるだろう。こうして考えると映画の賞なんてくだらないものだし、賞を取った取らないで観にいく作品を決めることが間違っているのかもしれない。