THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『ワウンズ: 呪われたメッセージ』+『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』+『ホテル・ムンバイ』+『リズム・セクション』+『ペイ・フォワード 可能の王国』

●『ワウンズ: 呪われたメッセージ』

 

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レベッカ』に続いてアーミ・ハマー主演のホラー、なおかつ『ザ・コール』に続いて「電話」がキーとなる、Netflixオリジナルのホラー映画。

 主人公が拾ったスマホに収められている、生首と学生たちのささやき声の映像、そして死体から謎の手が出てくるショッキングなシーンはアメリカ映画らしからぬ不気味さであり、なかなか印象的。主演のアーミー・ハマーも図体はでかいけれど妙に甘ったるい声や潤んだ目をしているので、理不尽な恐怖に怯える気の毒なバーテンデーという役がちゃんとハマっている。

 しかし、生首関連のシーンはいいのだが、基本となるホラー描写は「大量のゴキブリ」なのは困りもの。単純にキモくていやだが、怖さはむしろ削がれてしまう。ラストシーンはシュールで意味不明だし、途中のホラー描写は少なすぎて中盤あたりで退屈してしまい、「徐々に壊れていく主人公と、失われていく人間関係」といったこの手の心理系ホラーに定番の展開もぜんぜん追う気が起こらなかった。

 心理ホラー要素は黒澤清のほうが断然いいし、オカルト要素も白石晃士で間に合っているしで、ちょっと作り手にとって「荷が重い」内容の作品だったのではないだろうか。あ、ヒロインのダコタ・ジョンソンはかわいかった。

 

●『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』

 

 

 

 けっこう前に観た作品だけど、この映画もヒロインはダコタ・ジョンソンだったのね。ダウン症の青年ザックが施設を抜け出すシーンはワクワクするし、ザックに対するヒロインのスタンスに関する描写も中立的でいいし(「なにかあったら責任とれるの!?」ともっともなことを言いながらもザックを甘やかして自立を阻害していることは否めない、というバランスが絵描かれている)、プロレスラーに会いに行くというストーリーの縦筋も悪くない。

 しかし、ザックの「相棒」となる、シャイア・ラブーフ演じるタイラーのキャラクターがどうにも魅力がない。この手の作品にありがちな、「乱暴だけど気のいい兄ちゃん」というキャラクターの典型以外の何者でもなく、なにか独自な要素や一際輝く個性というものが全く見受けられないのだ。冒頭でやっていた犯罪のツケをストーリー上で払っていないという点では、むしろ平均的な「気のいい兄ちゃん」よりも魅力に劣るかもしれない。

 また、障害者映画というものは障害者の自立を謳いつつ、なんだかんだ言いながらも結局のところは主人公の障害者を周りの登場人物たちが「介助」する、という構成になる点では偽善や白々しさが付きまとうものだ。この映画の主人公のザックはたとえば『思いやりのススメ』の主人公に比べればだいぶ好感が抱ける人物ではあるが、それでも、ハートウォーミングなロード・ムービーという映画自体のジャンルも相まって「予定調和」感や「はいはいよかったね」という感じはしてしまう。ザックをかすがいにしてダコタ・ジョンソンシャイア・ラブーフがくっつくところも「なんだかなあ」と思うし、エンディングもブツ切りで中途半端だし……。

 

●『ホテル・ムンバイ』

 

 

 

 アーミー・ハマーが準主演の、評判のいい、実際におけたテロ事件に基づいた緊迫感に溢れる映画。

 しかし個人的にはあまり好きになれなかった。テロリストたちは素人っぽくてミスが多いながらも無防備なホテル従業員や宿泊客たちはなす術もなく殺されていく(でも何人かは脱出できてしまえる)というあたりの妙なバランスは、実話を元にしたものであるからこそだろう。カタルシスのない結末を通じてテロ事件の悲劇性や恐怖、悪辣さというものを学べるという点もこの映画の価値であることは認めざるをえない。しかし、実話を元にしているだけに、ストーリーの展開や起伏は映画としては歪でありテンションやリズムを維持できるものではなくなっている。要するに、途中で飽きちゃうのだ。もちろん、 デーヴ・パテール演じるホテル従業員やアーミー・ハマーを史実以上に活躍させてしまったら実話を元にしていることが台無しになってしまうので、史実の範囲でホテル従業員たちや宿泊客たちの「英雄性」も描きつつテロの悲劇を淡々と描写し続けることしかこの作品にはできないのだけれど…。なんだか総じて「お勉強」のために観る作品であった。

 

●『リズム・セクション』

 

 

リズム・セクション (字幕版)

リズム・セクション (字幕版)

  • ブレイク ライヴリー
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 家族をテロで殺された女性がテロリストたちに復讐するために鍛えてスパイになる、『007』の制作陣が関与しているイギリス映画。

 主演はブレイク・ライヴリーだが、主人公の師匠役であるジュード・ロウを目当てに視聴。ジュード・ロウが女主人公を指導して、その冷徹さゆえに裏切られてしまい、最後は敵対する、というのは『キャプテン・マーベル』と一緒だな。

 がっつり修行はしても、主人公は元一般人なので、そんなに超絶的なアクションもできなければ情に流されてミスをしてしまう、というところがこの映画の個性となっている。性風俗業にまで落ちぶれて見た目も台無しになってしまった「どん底」から這い上がるところも、お人好しさや情の深さが「善性」につながっているという点も、主人公を女性にすることの必然性が感じられてよい。ブレイク・ライヴリーの「体当たり」演技はなかなかの見もの。また、ロックミュージックの使い方に通常のアクション映画に比べて「外し」や「ズラし」が利いていて、そこも印象的だ。

 ……とはいえアクションシーンは地味だし、敵はカリスマ性も異質さもないそこらへんのテロリストなので彼を探し出して始末するというストーリーのメインプロットにも惹かれるものはない。

 ところで、身体と心を許した異性が実は敵側の人物であり、裏切られたと気付いた主人公は容赦なく始末する、というのは女性主人公の作品だとたまに見かけるが男性主人公の作品ではほぼ見かけない展開だ。男性の女性に対する甘さや、女性側のミサンドリー(身体を許した相手にすらうっすらと敵意を抱いてる)に由来するものであるかもしれない。また、テーマにフェミニズムを含めるなら、女性主人公はレズビアンにするかセックスした相手を始末する(つまり、遡及的に「男に身体を許さなかった」ことにする)のどちらかしか認められないのかもしれない。女の人って制限が多くて大変だね。

 

●『ペイ・フォワード 可能の王国』

 

 

 

 2000年制作の「感動もの」な作品。たしか松本人志の『シネマ坊主』で評価が辛く、それでなんとなく敬遠し続けてきたのだけれど、いざ観てみるとなかなか感動できた。

 冒頭に自動車を失った記者が弁護士からジャガーをもらうシーンはファンタジック。そして、ケビン・スペイシー演じる社会科の先生が登場して、「世界を変える」ことを児童たちに命じる、という導入部分はかなり魅力的であり、一気に映画の世界に引き込まれる。

 ハーレイ・ジョエル・オスメントが演じる主人公の男の子が「ペイ・フォワード」の試みをやり始める流れと、彼の試みが成功してロサンゼルスにまで広がっていった後の時間軸で記者が「ペイ・フォワード」を行なった人たちに逆順でインタビューしていってその震源地まで遡っていく流れ、という二つの時系列に組み合わせ方も、映画的にかなり上手で魅力的だ。この時系列の描き方が優れているために、二つの時系列が合流して主人公とその周囲の人物が「ペイ・フォワード」の試みが実ったことを事後的に知ることになるというカタルシスが生まれて、さらにその後に起こる「悲劇」の印象が強くなる。……とはいえ、この「悲劇」はいくらなんでも無理矢理であり、最後に「ペイ・フォワード」に救われたであろう大量の人たちがロウソクを持って主人公の家に集まるシーンはかなり感動的であるとはいえ、映画のストーリーの都合のために主人公の運命が操作されている感は否めない。

 また、ケビン・スペイシーのキャラクターは実に魅力的だが、その恋の相手であり主人公の母親でもあるヘレン・ハント演じるヒロインは、キャラクターの性格や経歴的にも見た目的にもあまりに魅力がなさすぎる。80年代〜2000年台のブロンド女優ってなんか個性がなくてパッとしない人が多いんだけれど、なんでだろう。