THE★映画日記

映画(たまに漫画や文学)の感想と批評、映画を取り巻く風潮についての雑感など。

『サイド・エフェクト』:後味の良い(!)悪女もの

 

サイド・エフェクト (字幕版)

サイド・エフェクト (字幕版)

  • 発売日: 2014/03/07
  • メディア: Prime Video
 

 

 先ほどの記事に続いてソダーバーグ監督の作品を紹介しよう。

 私は後味の悪い映画というものが何よりも嫌いで、そのために大半のホラーやブラックコメディ作品が嫌いであるし、また「悪女」もの作品も嫌いだ。人を騙したり殺したり人生を破滅させたりする悪人が出てくる作品というものは、基本的にはその悪人がやっつけられることで勧善懲悪が成立してすっきりすることを楽しむものであるのに、「悪女」ものでは悪人がやられてすっきりすることがほとんどない。男性陣が悪女にいいようにやられて、悪女は最後まで自分の計画が崩れず思い通りになることにほくそ笑む、というオチになることが多いからだ。『ゴーン・ガール』は途中で悪女がひどい目にあう点は良かったが、結局は悪女が勝って終わりなのでモヤモヤした。

 どうにも、「悪女」ものを楽しめる人たちと私とでは映画に求めるものが根本的に違うようだ。どうやら自分を男性社会の被害者としてアイデンティファイしている女性たちは悪女をヒーロー的な存在とみなして、普段は加害者である男性たちが悪女によって破滅することこそに勧善懲悪的な楽しみを見出しているようなのだ。また、男性の中にも「悪女」ものが好きな人たちがいるようだが、この人たちについては何を考えているのかさっぱり理解できない。ただのマゾヒスティックな性癖だと思う。

 また、今時のフェミニズム批評も「悪女」ものに「男性社会に対する女性の反撃」を見出して後押ししてしまうのである。たとえば『エクス・マキナ』はAIがテーマのSF作品でありつつ、「悪女」ものの変種であったが、この映画も最後は男性主人公が(女性型)AIのせいでひどい目にあってかわいそうだった。そして、とあるフェミニズム批評ではまさに「男性社会に対する女性の反撃」を見出して『エクス・マキナ』を褒めていて、私はムカっとさせられたのである。

「自分の属性や自分のアイデンティティにとって都合の良いお話」を楽しんでしまうという感覚はどんな属性やどんなアイデンティティにも付き物ではあるが、本来は、その感覚は決して高尚なものではない。むしろ批評や知性とは相反する感覚であろう。しかしフェミニズム批評はその感覚に「お墨付き」を与えてしまう点で反知性主義的で有害な面があるように思える。

 

 そして『サイド・エフェクト』でもルーニー・マーラーが「悪女」を演じるわけだが、なにしろ儚さを漂わせたミステリアスで美しい風貌をしているルーニー・マーラーなので、悪女を演じるといかにも手強そうな存在になる(あまりセクシーでエネルギッシュでパワフルな人が悪女を演じるとむしろ弱そうになるから不思議なものだ)。そして、ジュード・ロウをはじめとする男性陣や女性陣たちまでもが、ルーニー・マーラーの思い通りにされていく…。

 …されていくのだが、この映画の良いところは、後半にジュード・ロウの逆転劇が始まって最後にルーニー・マーラーをとっちめるところだ。そのとっちめ方もまさに「自業自得」「因果応報」という感じで古典的な勧善懲悪の爽快感がある。途中まで「また悪女の思い通りになるのか?」とハラハラさせられるからこそ、逆転の爽快感が際立つのである。

 

 この映画の面白さは、稀代の悪女である「美柳ちなみ」を敵役に据えた『逆転裁判3』の面白さにかなり近いものだ。そう言えば美柳ちなみもどことなくルーニー・マーラーに似ていなくもない。

 

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